医学界新聞

寄稿

2015.03.02



【寄稿】

タイで気付かされるリハビリテーションの価値

岩田 研二(青年海外協力隊・理学療法士)


 現在,私はタイのバンコク近郊にある「Phrapradaeng Home for Disabled People」という障害者ホームで理学療法士として活動している。かつて海外にまったく興味のなかった自分が,今では青年海外協力隊の一員として異国で生活しているのだから,人生とはわからないものだ。

 きっかけは4年前,三重県の理学療法士協会が主催した講演会にさかのぼる。途上国のリハビリテーション(以下,リハ)について話を聞く機会があったのだ。当時,理学療法士が1000人以下の国は77か国に上り,100人以下の国も少なくない,さらには理学療法士・作業療法士養成施設すらない国があることを知った。

 言わずもがな,日本の理学療法士の会員数は世界一だ。ただ,「世界」のリハについてはあまり多くを知らなかった。卒前・卒後教育でも学ぶ機会は少ないものだ。荘子の言葉に「けいこ春秋を知らず(けいこしゅんじゅうをしらず)」というものがある。夏に生まれてきたセミは夏に死ぬため,他の季節があることを知らず,それ故に夏そのものを知らない。この言葉をなぞれば,日本のリハしか知らない療法士は,日本のリハすら知らないのかもしれないのである。そこで他国のリハを自分の目で確かめてみたい,そして挑戦するには今しかないだろうと考え,青年海外協力隊に応募し,現在に至っている。

人口1万人当たり1.3人の理学療法士

 タイは,総人口約6700万人を数える国で,WHOの報告によれば平均寿命は男性71歳,女性79歳である1)。タイにおけるリハの歴史はポリオの流行によって始まり2),1963年に理学療法士の1期生がマヒドン大で誕生している3)。2015年1月時点で,理学療法士の養成校は4年制大学が16校(国立大学12校,私立大学4校)で,1学年の募集定員は合計約800-900人。修士課程は4校,博士課程は1校に併設されている。

 タイで理学療法士の有資格者は約9000人だという。日本とタイの人口1万人当たりの理学療法士数を比較すると,日本8.7人に対し,タイでは1.3人。6倍以上の差があることを考えると,タイでは理学療法士の数が決して多くない現状がわかる。なお,作業療法士の養成校は2校で有資格者は826人,言語聴覚士の養成校は1校で有資格者は259人と,実は療法士全体で数が不足している現状がある2)

 以上の状況からタイでは,マンパワー不足により,リハのために1対1での個別対応を行うことが難しい場面が多い。理学療法士の場合に限っても,人手のかかる運動療法よりも,物理療法(温熱,電気などの物理的手段を治療目的に利用するもの)が中心となっている。なお,タイの交通事情を知っている人なら想像できると思うが,タイのリハの特徴としては,交通事故によるリハ対象者が多いことも挙げておきたい。

地域間・所得間格差が拡大する医療提供体制

 タイは,2002年から国家政策としてアジアの「メディカル・ハブ構想」を掲げ,メディカルツーリズム(医療観光)を推進している。外国人患者の誘致を進め,これまでのところ順調に医療産業は拡大している。その一方で,医療の地域間格差,所得間格差が広がってきている,と私は感じている。

 メディカルツーリズムで利用される主な病院はJCI(国際病院評価機構)認証を取得した施設で,2014年末時点でタイには42か所ある。日本で取得している病院が10施設である点からも,タイの力の入れ具合がわかるだろう。JCI認証を取得する病院の多くは私立病院で,いずれもさながら5つ星ホテルのような内装であり,医療スタッフ数も充実している。私が見学したある病院では,1人の患者に対し,理学療法士とアシスタントの2人で歩行の見守り練習を行っていた。最近では,ロボット技術を導入する病院さえ見られるようになっている。

 こうした私立病院が都市部に増えてきたことに伴い,医師,看護師,理学療法士などの医療従事者も,公立病院よりも待遇面で勝る私立病院を選択する傾向にある。かくして国民の約75%が対象となり,「30バーツ制度」()で利用できる公立病院では理学療法士も確保できず,十分なリハを受けることなく退院させられるケースが散見されるようになっているのだ。退院後も,日本のような在宅支援サービス(通所・訪問)が整っていないため,患者は家族支援を中心に生活している現状がある。

 なお,タイでも,今後の高齢化を見据え,地域の高齢者をどのように支援していくかを検討している真っ最中だ()。タイでは65歳以上の人口割合が10%を超え4),今後,先進国以上の速さで高齢化が進むと予想されている。日本が1970-94年の25年間で「高齢化社会」から「高齢社会」に移行したのに対し,タイは2001-24年の24年間で高齢社会に達すると見込まれ,日本から約30年遅れて高齢化が進行していると言われる。ただ,先進国並の経済発展を遂げる“前”に高齢化に直面してしまうという点において,日本も経験していない状況へとタイは向かっているのである。

 タイで構想されている,高齢化に対する長期的なケアシステム5)
日本のように虚弱高齢者に対し,医師・看護師・療法士が直接的に個別のリハビリテーションに介入するのではなく,間接的に介入することが前提になっていることが見てとれる。

「○○をしたい」の感情を引き出すのがリハ

 日本とあらゆる点で異なる状況にあるタイに身を置いた今,「リハの本質的な価値は何か?」とあらためて考えることがある。現在,入所者470人の障害者ホームで活動しているが,私の他に理学療法士の有資格者はおらず,看護師もいない。そのため,理学療法士としての日常生活を行う上で基本となる動作の改善などのタスクだけでなく,専門外の幅広い知識も求められる。価値観への問いは,こうした働き方の違いから生まれるものでもあるだろう。

 ただ,それだけではない。日本であれば高齢化の影響もあり,「リハの対象=虚弱高齢者」と想像する人も多いが,療法士が不足する国,高齢化がまだ進んでいない国からすると,この方程式が成立しにくい。タイにおいては,「リハの対象=特殊な疾患」という意味合いがまだまだ強く,リハに求めているものからして日本とは異なっているのである。

 私が活動開始から間もないときに気になったのは,歩く,話す,食べるなどの行為が達成できたとしても,「社会保障制度やアクセシィビリティの不十分さ」によって,最良の生活・人生が送れていない入所者が存在しているのではないか,ということだった。しかし,そのような中であっても,入居者はいつも笑顔で,生活上の不自由さを感じさせない。そうした姿に私は感銘を受けると同時に,リハの価値にあらためて気付かされる思いであった。

 つまり,どのような状況であろうと,個人の「尊厳」の保持・向上を目標としながら「○○をしたい」という感情を引き出すこと,そこにこそリハの存在価値があるのではないだろうか。国が変われど,まさしく日本語訳のとおり,「全人間的復権(人間らしく生きる権利の回復)」こそがリハの価値であると換言できるのだ。

:保健省の主導により創設された医療制度。1回の外来,または1回の入院につき30バーツ(日本円=約100円)で利用できる。

参考文献・URL
1)World Health Organization. WORLD HEALTH STATISTICS 2014.
2)Chavasiri S.タイにおけるリハビリテーション医学の現状.総合リハ.2014;42(1):47-50.
3)Fongchotip P.タイの理学療法.理学療法学.1994;21(2):80-1.
4)Population Division of the Department of Economic and Social Affairs of the United Nations Secretariat. World Population Prospects : The 2012 Revision.
5)厚労省.第12回ASEAN・日本社会保障ハイレベル会合結果概要.タイプレゼンテーションより.2014.
http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10500000-Daijinkanboukokusaika/01-08_Thailand.pdf


岩田研二氏
2007年藤田保衛大リハ専門学校理学療法科卒。花の丘病院リハ科を経て,13年より青年海外協力隊で,Phrapradaeng Home for Disabled Peopleにおいて理学療法士として従事。10年日本福祉大通信教育部福祉経営学部卒。12年藤田保衛大大学院修了(保健学)。13年第24回『理学療法ジャーナル』賞奨励賞受賞。途上国のリハの現状を多くの人に知ってもらいたい思いから,有志団体「開発途上国リハビリレポーター」副代表,「途上国にリハビリ道具を届けませんか?」代表を務める。