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  • 私を変えた,患者さんの「あのひと言」(松本俊彦,村井俊哉,内山登紀夫,野村総一郎,糸川昌成,加藤忠史)

医学界新聞

寄稿

2014.10.27



【精神科寄稿特集】

我以外皆我師!
私を変えた,患者さんの
「あのひと言」


 精神科臨床において,医師の発する言葉が患者さんの回復に重要な役割を果たすことは,論をまちません。一方で,患者さんからの何気ない「ひと言」が,臨床実践や研究に貴重な気付きをもたらしたり,精神科医としての働き方を問い直すきっかけになった,そんな経験はないでしょうか。

 文豪,吉川英治は“我以外皆我師”を座右銘に「接する人全てから学ぶことがある」と説きました。それになぞらえ,本企画では精神科医の方々に「今も心に残る患者さんの“ひと言”」と「そこから得た学び・気付き」をご寄稿いただきました。

松本 俊彦
野村 総一郎
村井 俊哉
糸川 昌成
内山 登紀夫
加藤 忠史


松本 俊彦(国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部室長/自殺予防総合対策センター副センター長)


「やめ方を教えてほしいんだよ」

 私が薬物依存症患者とかかわるようになったのは,医者になって5年目のときであった。大学医局で繰り広げられた,依存症専門病院への医局員派遣をめぐる,美しくない譲り合いの末の,いわば不本意な赴任であった。

 そんなわけで赴任当初,私は,薬物依存症患者をどう治療すればよいのか皆目わからず,毎日,内心半泣きで診療に当たっていた。かろうじて私にできることといえば,患者に,心身に対する薬物の害について懇々と説教することだけであった。私なりに,患者が薬物をやめられないのは害に関する知識がないからであり,害をことさらに伝えてビビらせれば,薬物なんてやめるはずだと考えていた節がある。だからこそ,認知症患者の脳MRI画像を示して,「長年,覚醒剤を使ってきた人の脳だ」などと患者に説明するような,詐欺同然の荒技まで使ったりしたのだろう。

 しかし,そんな脅しめいた説教で薬物をやめる患者などいなかった。それどころか,多くはすぐに通院治療を中断した。そしてあるとき私は,ある患者から手厳しい洗礼を受けることになったのである。診察室の中で不機嫌に腕組みをする,覚醒剤依存症の中年男性が,私の話を遮ってこう凄んだのだ。

 「害の話はもう聞きたくねえよ。あんたが知っているシャブの害なんて,全部,本で読んだだけの知識じゃねえか。俺なんか10年以上,自分の身体を使って『臨床実習』してんだよ。知識で俺にかなうはずがない。だが,俺は自分よりも知識のねえ医者のところにこうして来ている。なぜだかわかるか?」

 彼は,「ああん?」といった表情で顎をしゃくり上げ,私を見据えた。「シャブのやめ方を教えてほしいんだよ,やめ方を」。

 完全に私の負けであった。玉砕といってよいほどの完敗であった。考えてみれば,患者はそれまで周囲の人たちから説教や叱責を受けてきたはずであり,それでやめられないから病院に来ているのだ。いまさらシロートと同じ説教を,病院でわざわざお金を払って聞きたくはないだろう。彼らが知りたいのは,何といっても「やめ方」だ。

 とはいえ,当時の私は,「クスリのやめ方」なんて知らなかった。そこで,「せめてヒントだけでも」と考えて始めたのが,患者に教えを請うことだったのだ。「今回,何がきっかけでクスリを使いたくなったのか」「同じ状況でも,クスリを使わず済んだことはあるのか」「欲求を抑えるのに成功したときと失敗したときでは何がどう違うのか」……。それは決して尋問や詰問ではなく,虚心坦懐な気持ちからの質問であった。

 後になってから気付いたのだが,私のこうした姿勢は,診察室を,「薬物を使いたい/使ってしまった」と正直に言える,患者にとって希少な場所に変えたようであった。その結果,以前よりも通院治療からの脱落患者が少なくなり,そればかりか,通院を継続する患者の中から,少しずつ長期の断薬に成功する者が出始めたのである。


村井 俊哉(京都大学大学院医学研究科 脳病態生理学講座(精神医学)教授)


「先生,お疲れのようですね。ごはんは食べておられますか?」

 同じような言葉を,これまで何度となく聴いてきた。これと,似たような言葉として次のようなものも何度もあったように思う。

 「先生,なんだかだいぶ痩せられましたね? 大丈夫ですか?」
 「先生,お昼休みもなしですか? 食事はお済みですか?」

 実際,私は痩せており体格が貧弱に見えるので,こうした言葉を掛けていただく機会も多いのだろう。ただ,食事や体格には直接関係しないけれども似たようなニュアンスの言葉として,次のようなものもある。

 「先生,夏休みを取っておられないのですか? お疲れがたまりませんか?」

 これは,掲示された夏休みの休診表を見た患者さんからの言葉だった。次のようなものもある。

 「先生,前の方,お話長かったですね。お疲れではないですか? 私は大丈夫ですから,診察短くてよいですよ」

 痩せているだけでなく,いつも疲れて見える,ということだろうか。

 長年,精神科医の仕事をしているとそれが当たり前のような感じになっているが,精神科の診察では,診察室での会話の一つひとつが,日常会話と比べるとどうしても重いものが多くなる。そんな中,ここで紹介したような患者さんのちょっとした気遣いの言葉に,自分自身これまでずいぶん癒やされてきたな,とあらためて思う。

 では逆に,自分自身が発した言葉で,患者さんの人生を左右した「ひと言」があっただろうか。振り返って考えてみると,そのような言葉が仮にあったとしても,少なくともそれは,「魔法のひと言」ではなかったように思う。「魔法のひと言」で一見うまくいったように思えた場合でも,たいていその効果は長続きしないものだった。一方で,結果的に治療がうまくいった場合を振り返ると,平凡な言葉を繰り返しながらも休まずこつこつと診察を続け,ゆっくりと信頼関係が築けていった場合が多かったように思う。

 同じようなことが,患者さんから私に向けられた言葉についても言えるような気もする。時として患者さんから向けられる虚を突くような鋭い洞察や,治療が難渋しているときに向けられる厳しい言葉,治療の終結時点でいただくことがある,こちらが驚くほどの感謝のひと言,それらはそれぞれ私の心を大いに揺さぶってきた。けれども,この文章で紹介したような日常的な気遣いの言葉のほうが,結局のところ長い間心に残っている。そして私自身が,この仕事を何十年も続ける上での支えになってきたように感じる。


内山 登紀夫(福島大学大学院医学研究科 人間発達文化学類・教授 よこはま発達クリニック院長)


「恥ずかしいのは先生です」

 幼児期から診させてもらっている小学4年生の自閉症スペクトラムの女児Aちゃん。学校では時々トッピな行動をして周囲をハラハラさせることがあるが,基本は真面目でルールを厳格に守るタイプ。厳格すぎて周囲から浮いてしまうこともある。落ち着きはないが,勉強好きであまり問題行動もなかった。教師も上手に支援しているようであった。

 あるとき担任教師から,暑いと授業中でもTシャツを脱ごうとする,何度注意してもわかってくれない,何か良い方法はないかと相談を受けクラスで面談した。

 「どうしてTシャツ脱いじゃうの?」
 「暑いからです」
 「でもそれは恥ずかしいよね」
 「どうしてですか?」
 「だってもう4年生だから女の子が上半身裸になったら恥ずかしいよね」
 「男の子は良いんですか?」
 「まあ,男の子も授業中に上半身裸になったらいけないよね」
 「じゃあ,なんで女の子だからって言うんですか?」
 「そっか,ごめん,男の子も女の子も脱ぐと恥ずかしいから,やめようね」
 「恥ずかしくないです。男の子も恥ずかしくないし。女の子も恥ずかしがる子と恥ずかしがらない子がいると思います。私は恥ずかしくないタイプです」
 「そっか,そうだね。エーと,なんて言うのかな……」
 「先生,困っているみたいですね……(しばし沈黙)。あっ,もしかしたら恥ずかしいのは先生ですか?」
 「えっ……あ,そうだね。恥ずかしがっているのはAさんじゃなくて先生かも」
 「そうなんだ,私が脱ごうとすると担任のB先生も恥ずかしそうでした」
 「そうだね」
 「だったら,わかりました」
 「?」
 ......

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