医学界新聞

寄稿

2014.10.06



【寄稿】

日米の精神科臨床研修から見えること

前田 麗奈(米国デューク大学病院精神科研修医)
勢島 奏子(京都大学大学院医学研究科脳病態生理学講座博士課程)


 本稿の執筆者である前田は,医学部卒業後数年間,内科医として日本で勤務していました。しかし日々の臨床の中で,生死に関する倫理的問題や,患者・家族の心のケアにも興味を抱き,もっと包括的なアプローチはできないかと考えるようになりました。この興味が「コンサルテーション・リエゾン」という精神科の専門領域と重なり,その分野で先んじている米国への臨床留学をめざし,USMLEを受験。2012年より米国デューク大にて精神科臨床研修に従事することになり,現在は4年間の研修プログラムの3年目(PGY3:Post-graduate year 3)を迎えています。

 研修開始から今に至るまで,言語はもとより,文化,宗教,歴史,経済,法律などさまざまな分野に対する理解を深める必要性を痛感しながらも,精神科の幅広さ,奥深さへの興味を高めています。掘り下げたいトピックは多々ありますが,今回は日本で精神科研修を修めた勢島との共同執筆にて,米国と日本,おのおのの精神科臨床研修の特徴を紹介したいと考えています。

システム化・専門分化が進む米国,自由度が高い日本

 米国に来てまず驚いたのが,研修自体がかなりシステム化されていることです。研修内容を審査するACGME(Accreditation Council for Graduate Medical Education)という第三者機関があり,その基準項目を満たすプログラムを各教育機関が運営しなくてはなりません。精神科研修でもローテーションの種類や期間,各種精神療法の理解と臨床実践,就労時間の制限など,多岐にわたり定められています。

 翻って日本の精神科後期研修では,専門医や指定医取得といった到達目標のほかは,初期研修のような細かな到達目標は一律には定められていません。裏を返せば,研修の環境や内容の自由度が高いということは言えそうです。精神療法あるいは精神病理学に重きをおいた教育がなされている施設もあれば,認知症・統合失調症など特定の診断や治療に強い施設,薬物治療のマネジメントの教育中心の施設もあるというように,病院や医局の歴史,治療文化などによる教育内容の違いは,日本のほうが大きいように思います。

 では実際,日米それぞれの研修プログラムの構成はどうなっているのでしょうか。デューク大のプログラムを例にとると,医学部卒業後,最初の2年間(PGY 1-2)は大学病院や州立病院,退役軍人病院などでの病棟業務が中心で,成人・老年・児童病棟,リエゾン,薬物依存などの各種病棟を数か月おきに回るほか,神経内科や一般内科の病棟・外来も必修です。PGY3-4では外来業務のみとなり,救急外来,大学・退役軍人病院・市中病院での外来に加えて,家族療法など精神療法を行う外来も必修です。また「選択外来」もあり,精神療法,老年期,精神腫瘍,薬物依存,トラウマ,ECT,睡眠,周産期,食思不振,学生向けカウンセリング等,多くの領域から選べるオーダーメードの研修が可能となっています。

 この選択肢の豊富さからは,外来治療の専門分化が進んでいること,なおかつ研修修了後,外来専門に勤務することを希望するレジデントが多いこともうかがえます。

 一方,日本の肥前精神医療センターでの研修を例に挙げると,1年目には救急・慢性期病棟,2年目以降はそれに外来が加わり,並行して同じ院内にある児童,依存症,認知症,司法精神医学など専門病棟のローテーションを希望に応じて行います。主治医の立場で,一人の患者さんの外来から退院までのプロセスや,入退院を繰り返す患者さんの長期経過を追える点は,研修において大きな意味があるように思えます。米国の研修は幅広い専門分野を短期間に集中して学べますが,その反面,細切れの病棟ローテーションで急性期のケアに限定して診ることになり,病の全体像が見えづらいことや,自分が行った臨床的判断の結果を把握しづらいことなどが難点と感じます。

 米国と日本の精神科臨床研修カリキュラムの例(クリックで拡大)

精神療法の教育を重視し面接スキルを磨く米国

 米国の研修において特徴的なのは,精神療法が必修項目であることではないでしょうか。実際デューク大でも,薬物療法のみならず,精神療法の教育も重視されています。4年間を通しての各種の精神療法講義を基本に,PGY2では毎週,面接の基本技能の個別指導の時間があります。PGY3では通年で家族療法のローテーション,毎週の症例スーパーバイズの時間があります。また,必修ではありませんが,自身をよりよく理解して治療に生かすことを目的として,精神分析などの精神療法をレジデント自身が継続して受けることも奨励されています。保険にもよりますが,毎回20ドルほどで受け続けることが可能です。

 面接技能の指導については,レジデントと患者さんの実際の治療の場を,指導者がマジックミラーを通して観察するobserved interviewに重点が置かれています。面接室内にあるパソコン画面を通して同時進行で指示やフィードバックをもらえ,質問の仕方や,面接の力動,進め方を学んだり,自分の言葉掛けの癖を知ることもあります。患者さんに同意を得た上で公開で進められるため,他のレジデントや指導者の治療の場にも立ち会える貴重な学びの機会となっています。筆者自身は,面接を観察されるということに当初はかなり緊張があったのですが,これは米国のレジデントも同様の気持ちを抱くようで,それを知って少し安堵しました。

 こうした環境は,精神療法を学びたい人にとっては魅力的だと思います。現在の日本では,診断や薬物療法,環境調整などを中心に,入院から退院までの症例マネジメントを学ぶ機会は頻繁にある印象ですが,精神療法の技能の習得は個人的な興味や希望の範囲として,外部での研修指導などで補っていることが多いのが現状だと思います。近年の日本精神神経学会でも精神療法に関連したシンポジウムが多く開かれているのは,精神療法を学ぶ機会が希求されている現場の状況を反映しているようにも思えます。

学習者・教育者としての権利が守られるシステムが必要

 このように,米国では教育に時間や人手がかなり割かれており,レジデントは働きながらも学習者として守られている印象を受けます。例えば,毎週半日かけて行われる講義の間は臨床業務は完全に免除され,指導医が病棟コールを受けるシステムが確立されています。また,先のACGMEの規定により,研修責任者は勤務の5割以上,週20時間以上を研修運営や教育に充て,病院側もその時間を確保できるようサポートしなければなりません。つまり指導者には教育の質を維持する義務が課せられていますが,他方で多忙な彼らが教育に時間を割ける体制も比較的整っているように感じます。

 一方でレシジデントにも,各ローテーション先や研修責任者との面接などで自身の医療行為についてフィードバックを受ける機会が頻繁にあります。教育効果を常に確認・評価される環境に置かれ,レジデント個々人の努力も必要不可欠となっているのです。

 以上,日米の主な相違点を挙げてみました。双方のシステムの違いはあれど,向上意欲にあふれた研修医や思慮深く教育熱心な指導医がいることに違いはなさそうです。しかし日本の現行の研修制度をあらためて顧みると,主治医制により培われる責任感や病の全体像の把握しやすさ等がある一方で,学習・教育を個人のモチベーションや努力に頼る部分が大きく,業務に忙殺されずに学習者・教育者として守られる基準やシステムづくりが検討される必要があるのではないかと思います。

 また,少々遠大な話になりますが,精神医学は実証的科学のみに依って立つわけではなく,多様な要因に影響を受ける人間の主観を対象とする分野です。臨床をしていく上で,bio-psycho-socialモデルにのっとった薬物療法,精神療法,社会的要因への均等な配慮も大切ですが,カリキュラムには,精神医学と関連を持つ人文科学諸領域(科学哲学,人類学,倫理学などを含む)についての理解を促すような視点が一層必要になるのではないかと考えます。薬理作用や精神療法の技法の具体を超えて,精神医学の専門的概念や理解の枠組みがどのように形成されてきたのかという根本的,批判的吟味も当然のように可能となる土台づくりが,日米双方の精神科研修制度において今後望まれていくのではないでしょうか。


前田麗奈
2005年東京医歯大卒。手稲渓仁会病院総合内科研修,横須賀米海軍病院インターン,手稲山クリニック勤務などを経て,12年より現職。

勢島奏子
2009年富山大医学部卒。下関市立中央病院,九大病院を経て,京大精神科に入局。同大病院,肥前精神医療センターを経て14年より現職。

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