「最先端」医療費抑制策 マサチューセッツ州の試み(7)(李啓充)
連載
2013.01.21
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第237回
「最先端」医療費抑制策 マサチューセッツ州の試み(7)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(3008号よりつづく)
前回までのあらすじ:診療報酬支払いで名門病院が厚遇されている実態が批判された直後,保険会社が出来高払いからglobal payment への転換圧力を強めるなど,マサチューセッツ州における診療報酬制度改革の動きが加速した。
慈善病院の閉鎖危機に現れた「救世主」
パートナーズ社に次いでマサチューセッツ州第二の規模を誇る「病院チェーン」,カリタス・クリスティ(以下,カリタス)が,プライベート・エクィティ・ファンド,サーベラス社に8億3000万ドルで身売りされることが発表されたのは,2010年3月のことだった。
カリタスは,カソリック教会系の医療機関として,長年,無保険者・低所得者に慈善医療を提供してきた。例えば,チェーン6病院中最古の歴史を誇るカーニー病院が創設されたのは1863年。篤志家から資金提供を受けた修道尼たちが,困窮移民のために開設したのがその始まりだった。ボストンの病院として初めて開腹手術を手掛けたり,全米で最初の整形外科を開設したりと,医療史に刻まれる業績も残してきた。
現在地のドーチェスター地区に移転したのは1953年だったが,同地区はボストン市内でも低所得者が多いことで知られている。最先端医療を売り物とするハーバード系の名門病院が世界中から富裕患者を招き入れてきたのとは対照的に,民間セイフティネット病院として,ボストンでも最も貧しい地区での地域医療を支えてきた。
しかし,市場原理の下で医療が営まれる米国にあって,「貧民」を対象とする医療は,「持ち出し」になることはあってももうかることはあり得なかった。しかも,パートナーズ系の名門病院が保険会社から割高の支払いを受けてきたのとは反対に,カリタス系の病院は最低ランクの支払いに甘んじてきたのだから,慢性の財政難にあえぐようになったのも無理はなかった。2007年には,起死回生の策として,経営状態のよいセントルイスやデンバーのカソリック系病院チェーンに「身売り」を持ちかけたものの,負債の巨額さ故に断られてしまった(註)。特にカーニー病院はチェーンの中でも最も経営状態が悪く,負債額が資産総額を上まわる状態が続いていただけに,「閉鎖」というオプションも真剣に検討され始めた。
と,「八方ふさがり」の状況に陥っていたカリタスにとって,「借金を全部清算してあげましょう。改築や機器購入の資金も出しましょう」という「救世主」が現れたのだから,サーベラス社のオファーを断ることは難しかった。しかし,プライベート・エクィティ・ファンドのビジネスモデルを一言で説明すると,「経営状態の悪い企業を安く買収,立て直した後高く売って利益を得る」ことにある。カソリック系の慈善団体として,長年,「もうけ」を度外視して貧者に医療を提供することを使命としてきたカリタスが,身売りと引き替えに「利益を上げ,出資者に配当する」ことを使命とする営利病院に転換することになったのである。一見相反する新旧二つの使命が両立するのかどうかが議論の的となったのは言うまでもない。
冥界の番犬に託された運命
ここで少し説明すると,サーベラス社は企業転売の実績では定評があり,1992年に出資金1000万ドルでスタートした後,カリタス買収の時点では資産総額25億ドルの大投資企業へと成長していた。2007年には米三大自動車メーカーの一つ,クライスラー社を買収して一般にも名を知られるようになったものの,リーマン・ショックの影響もあって同社の再建には失敗した。医療産業に出資するのはカリタス買収が初めてであったが,「営利病院となった途端に,セイフティネット病院としての機能が失われるのではないか?」とする危惧に配慮,買収に当たってカリタス社と以下の事項で合意した。
1)医療部門の運営はカリタス側が引き続き担当し,サーベラス側は財政上の「指南役」に徹する。
2)従業員の雇用を継続する(=リストラによる従業員減らしを経営立て直しの手段としない)。
3)少なくとも3年間,カリタスを転売したり,株を公開したりしない。
ところで,サーベラス社の社名はギリシャ神話に出てくる冥界の番犬「ケルベロス」に由来する。3つの頭を持つケルベロス,死者の魂が冥界にやってきたときは快く迎え入れるものの,一度逃げだそうとすると貪り食ってしまうという。上記3つの合意事項によって,少なくとも3年間は経営が安定することになったカリタスだが,長期的にどのような運命が待っているのかは,ケルベロスの胸一つにかかっているといってよいだろう。
身売り後,カリタスは,社名を「ステュワード・ヘルス・ケア」と換え,サーベラス社の指南の下に積極的なシェア拡大路線を展開し始めた。いわば,冥界の番犬が,マサチューセッツ州医療界のシェアを貪り食うようになったのであるが,スチュワード社のシェア拡大戦略は,同州における診療報酬制度改革にも大きな影響を与えることとなったのだった。
(この項つづく)
註:サーベラス社への身売りが決まった2010年の時点で,チェーン全体の負債総額は4億ドルを越えていた。
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