学業成績向上薬(李啓充)
連載
2012.07.16
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第226回
学業成績向上薬
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2984号よりつづく)
いま,米国の青少年の間に,新たなる薬剤乱用が広がっている。
しかし,乱用とはいっても,薬剤を使用する目的は「ハイ」になったり「いい気持ち」になったりすることにあるのではない。「いい大学に進みたい。そのためには高校でいい成績を挙げないといけない」と,プレッシャーを感じている高校生たちが,学業成績を向上させる目的で,ADHD(注意欠陥・多動性障害)の治療薬であるアンフェタミンやメチルフェニデートを使うことが流行っているのである。
気の抜けない高校生活を乗り切るためのADHD治療薬
日本の場合,志望校に入学するためには,入学試験という「一発勝負」でよい点をとればそれでよいので,高校在学中遊びほうけた生徒でも,浪人するなどして挽回することが可能である(かくいう私もその口だった)。しかし,米国の場合,日本のセンター試験に相当するSATのスコアに加えて,高校での重要科目の成績,スポーツやボランティアなどの学業外活動などが選考の際に重視されるため,「一発勝負」の気楽さがない。名門大学に入りたいと思う生徒は,「毎日が勝負」の,気を抜くことができない高校生活を送らなければならないのである。
例えば,普段の宿題は,日本でいう「レポート」形式が多いのだが,質に対する教師の要求度は日本よりもはるかに高い。「A」の評価を得ようと思ったら,資料調べに膨大な時間をかけることはもちろん,「オリジナリティ」のあふれるレポートを作成しなければならないのだからその負担は重い。クラブ活動やボランティア活動をしていない生徒でさえも,「宿題を仕上げるために睡眠時間を削らなければならない」生活が常態化,「頭をしゃきっとさせる」ためにADHD治療薬の助けを借りる,ということが容易に起こり得るのである。
さらに,試験の際の集中力を高めるために,直前に薬剤を使用することも行われている。「即効性」を得るために,カプセルの中味をつぶして,まるでコカインのように鼻から吸入する投与法が常用されているのだが,名門高校では,期末試験の最中など,トイレでアンフェタミンを吸入してから教室に向かう生徒が少なくないという。
では生徒がどうやって薬剤を入手するかだが,ADHDの診断は病歴・症状のみによってなされるので,医師を受診して,「集中できない」とか「授業の際にじっと座り続けることが難しい」とか「症状は小さいときからあった」とか,それらしい症状を並べ立てれば,ADHDと診断されて処方箋を入手することは難しくない。しかも,こうして処方箋を入手した生徒が「売人」となって薬を売るので,学校内で容易に調達できる供給体制が整っているのである。
乱用は研究者にもまん延
かくして,学業成績を向上させる目的のADHD治療薬使用がまん延するようになったのだが,ほかの娯楽性薬剤と違って,使用するのは「成績がよくて真面目」な生徒がほとんどであるため,周囲の大人が薬剤使用を疑うことはまれである。しかし,米政府がADHD治療薬をコカインと同じ「第二級規制薬品」に分類していることでもわかるように,その危険性・習慣性はコカインのような麻薬と同等であるだけでなく,治療外の使用が犯罪となるのはほかの規制薬剤と変わらない。しかし,使用する生徒に「犯罪である」とする認識は低く,いわゆる名門校を中心として,安易な使用が広がっているのである。
高校生の間にどれだけ蔓延しているかについてはしっかり調べたデータがないので不明なのだが,ケンタッキー大学教授アラン・デサンティスが同大学の学生約2000人を対象として実施したアンケート調査によると,ADHD治療薬の(治療外)使用率は高学年ほど高く,3-4年生での使用は半数を超えたという。高校のときから試験のたびに薬を使うことを繰り返した生徒が,大学入学後もその習慣を継続することは容易に想像されるが,「高学年ほど使用率が高い」事実は,大学に入ってから薬剤使用を覚える学生の存在を示唆するだけに,ADHD治療薬の乱用は「伝染性」も伴うようである。
さらに,ハーバード大学の研究者,ブランドン・アダムズ(プロのポーカー・プレーヤーとしても知られる)によると,ADHD治療薬の使用は,研究者・教官の間で「extremely common」であり,ナルコレプシー治療薬,モダフィニル(註)も広く使われているという。
このように,「学業成績向上薬」の乱用は,生徒・学生だけでなく,その上の研究者・教官にも蔓延しつつあるのだが,私自身がハーバードで研究者をしていた時代,周囲にそんな薬を使う人はいなかったし,話題に上ったこともなかった。もっとも,薬を使うことで眠る時間を削ってまで研究したいと思うような,真面目な研究者ではなかったので,私が,気がつかなかっただけのことかもしれないが……。
(つづく)
註:モダフィニルは長距離トラックの運転者が常用することで知られているが,米空軍では,長時間の任務に就くパイロットが使用することを公認している。
いま話題の記事
-
医学界新聞プラス
[第1回]心エコーレポートの見方をざっくり教えてください
『循環器病棟の業務が全然わからないので、うし先生に聞いてみた。』より連載 2024.04.26
-
PT(プロトロンビン時間)―APTT(活性化部分トロンボプラスチン時間)(佐守友博)
連載 2011.10.10
-
事例で学ぶくすりの落とし穴
[第7回] 薬物血中濃度モニタリングのタイミング連載 2021.01.25
-
寄稿 2016.03.07
-
連載 2010.09.06
最新の記事
-
医学界新聞プラス
[第3回]腰部脊柱管狭窄症_保存的リハビリテーション
『保存から術後まで 脊椎疾患のリハビリテーション[Web動画付]』より連載 2024.10.07
-
取材記事 2024.10.04
-
医学界新聞プラス
[第2回]自施設に合ったSNSを選ぼう(前編)
SNSで差をつけろ! 医療機関のための「新」広報戦略連載 2024.10.04
-
医学界新聞プラス
[第2回]腰部脊柱管狭窄症_治療の概要
『保存から術後まで 脊椎疾患のリハビリテーション[Web動画付]』より連載 2024.09.30
-
取材記事 2024.09.27
開く
医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。