有害事象発生時の適切な対応とは(高橋長裕,前田正一,児玉聡)
対談・座談会
2012.02.13
【座談会】 |
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院内で有害事象が起きた際に迅速に院内調査と情報開示を実施し,また必要な場合には謝罪と賠償を行うという,米国を中心に始まった取り組みが,問題のスムーズな解決につながると,近年日本の医療現場にも影響を与えている。こうした取り組みを院内に浸透させるには,個々の職員がその有用性と重要性とを十分に理解し,日常業務のなかで生かしていくことが必須となる。
本座談会では,医療安全に早くから取り組んでいる3氏に,日本の医療現場の現状と今後の課題についてお話しいただいた。
前田 日本では,1990年ごろから医療訴訟の新規提起数が漸増し,その数は2004年には1110件に達しました(図)。近年では増加傾向は収まったものの,それでも長い年月を対象とすると,その数は現在でも非常に多い状況にあります。
図 医療訴訟件数の推移(最高裁判所資料より作成) |
海外の状況を見れば,例えば米国は,医療訴訟が多発する状況を日本よりも早くに経験しました。そうしたなか,医療安全に関する取り組みや発生した事故の解決に関する取り組みが進められ,1999年には米国医学研究所が“To Err is Human(あやまちをすることは人の常である)”という報告書を公表しました。
この題名から,私たちは二つの取り組みの重要性を学ぶことができます。一つは医療安全に関する取り組みであり,もう一つは事故対応に関する取り組みです。例えば,後者については過ちをするのが人の常であり,医療安全活動を進めても医療事故の発生をゼロにはできないとすれば,事故が発生した場合に当該事故を迅速・適正に解決することができるように,事前に体制を整えておくことが重要であると言えます。この取り組みの一つとして,以前より米国や英国では,有害事象発生後の患者への情報開示や謝罪に関する取り組みが進められています。そこで本日はこれらの問題について,お二人と検討していきます。
日本の医療現場は情報開示・謝罪をどうとらえているか
前田 現在,高橋先生の病院では,医療従事者の方は有害事象発生後の情報開示や謝罪の問題について,どのように考え,行動しておられますか。
高橋 当院では,情報開示や謝罪は患者だけではなく,医療従事者にとっても重要であるとの認識が高まっています。有害事象が生じた場合には,実際に情報開示や謝罪を適時に行うようになっていると言ってよいと思います。
前田 その際,医療従事者が対応に苦慮していることはないでしょうか。
高橋 有害事象が生じても,医療行為に過失があったかどうかの判断は難しい場合が少なくありません。特に,有害事象の発生直後においては因果関係が明らかでないことも多いです。「迅速な謝罪」の重要性が一般に言われていますが,それが難しい場合もあり,この点では,現場の医療従事者も組織も対応に苦慮しています。
前田 過失や因果関係の判断には時間を要すこともあると思いますが,例えば過失の判断ができていない段階で患者側から謝罪を求められることなどはありませんか。
高橋 確かにそのようなことはありますが,当院では過失の有無が判断できていない段階では謝罪していません。その場合でも,患者には可能な限り共感を表明するとともに,有害事象の説明やその後の検証手続き等,情報開示を徹底して行います。
前田 以前は,過失の判断ができていない段階で見舞金が支払われたり,医療費の支払いを免除する約束がなされたりするという話を聞くことがありましたが,こうした対応は現在ではなされていないと考えてよいのでしょうか。
高橋 他の医療機関の状況はわかりませんが,当院ではそうした対応はしていません。
前田 今,高橋先生から,情報開示を徹底するとともに,過失があると判断した際には謝罪を行うというお話がありました。ただ,数は少ないと思いますが,医療事故の被害者の方が書かれた書籍などを読むと,謝罪が必要な場合でもそれが適時なされていなかったり,情報開示も十分になされていなかったりするケースがあることがわかります。児玉先生は以前,『医療事故初期対応』(医学書院)を執筆される際,情報開示や謝罪について海外文献の調査をされましたね。
児玉 海外文献の調査を通じて,私は医療機関によって取り組みに大きな格差があるのではないかと感じました。日本の状況については,現在前田先生が実態調査研究を進めておられますが,私が文献調査を行った限り,情報開示や謝罪については,先進的な取り組みを行って成功している一部の医療機関がある一方で,そもそも後ろ向きの考えを持っている群と,考えとしては前向きだけれども,実際には情報開示や謝罪をためらってしまう群などに分類できるように思いました。後者に分類される施設はかなりあるように思います。
謝罪と賠償責任に関する誤解?
前田 情報開示等をためらう理由には,どのようなことが挙げられるでしょうか。
児玉 私は,「組織を守る」という意識が強いことも,医療関係者が謝罪をためらう要因として挙げることができるのではないかと考えています。昨年行われたある研修会では,受講者の方が「われわれが若いころは,先輩から『患者には謝ってはならない』と教わっていた……」と話していました。
この方のように明確な言葉で指示されなくても,黙示にそうした教育を受けることが以前はあったのかもしれません。教育現場において,無意識的かつ暗黙のうちに,生徒に伝達してしまう価値観,行動様式,知識などを「hidden curriculum(潜在的カリキュラム)」と言いますが,医療事故が起きた際の謝罪についても,日々の診療のなかで上司や先輩から受ける影響は大変大きいです。これが組織文化になっている可能性があります。
前田 医療従事者が情報開示や謝罪をためらう状況は,諸外国でもあるのではないかと思います。高橋先生は米国で長く医療に従事されていましたが,米国の状況はいかがでしたか。
高橋 1970年代当時の米国でも同じような状況でした。その理由としてはやはり,児玉先生がお話しされた,組織文化や先輩からの教育が挙げられると思います。さらに,医療過誤保険の保険会社から多少の圧力もありました。
前田 そうした状況にあった米国でも,近年個々の医療機関で情報開示の取り組みが行われるようになっていますが,その背景にはどのような事情があるのでしょうか。
児玉 大きな理由の一つに,医療過誤訴訟に関する費用の増大が病院経営を逼迫しかねない状況になったことが挙げられます。これに対し,民事訴訟の損害賠償額に上限を設ける民事訴訟改革など,いくつもの対応がなされましたが,根本的な問題の解決には至りませんでした。そうしたなかで,1999年に情報開示と謝罪の利益に関する初めての学術論文1)が発表され,病院が自律的に問題解決を図る新たな取り組みが始まりました。
日本ではハーバード大学病院の取り組みがよく知られていますが,私たちが翻訳・出版した『ソーリー・ワークス!――医療紛争をなくすための共感の表明・情報開示・謝罪プログラム』(医学書院)のもととなった「Sorry Works!」運動は,この一連の流れに沿ったものです。英国の“being open project”やオーストラリアの“open disclosure”なども同様の取り組みと言えます。
適切な情報開示は病院経営にも寄与する
前田 こうした各国の取り組みの中で「病院経営を逼迫しかねない費用」という点に関して効果を示している学術研究があれば教えてください。
児玉 費用についての体系的な研究はまだ行われていませんが,ミシガン大学の関連病院では,2001年に情報開示プログラムを導入したことによって,2006年には損害賠償請求の件数が262件から100件以下に減少したと報告されています2)。また,和解の費用が1件当たり4万8000ドルから2万1000ドルへと削減され,問題解決に至るまでの所要時間は,平均20.3か月から9.5か月に減ったそうです。
さらに,費用との関係ではありませんが,現場のスタッフの精神衛生との関係からも効果が上がっているとのことです。職員の55%が「プログラムの存在が,自分がミシガン大学にとどまる大きな要因」と答えているという調査結果もあります。つまり情報開示プログラムの導入によって離職率が下がる可能性が示唆されているのです。
高橋 医療従事者は特に過失の判断ができていない段階など,どのように対応すべきか悩むことも少なくありません。私たち管理者は現場の医療従事者の苦悩をなくしたいと考えていますし,情報開示等の取り組みを促進する上でも,こうした研究が継続されてほしいですね。
適切なICも鍵
前田 これまでの議論から,有害事象発生後の情報開示や謝罪は,患者,医療従事者,さらには医療経営にとっても重要であることがわかりました。最後に,今後医療現場で情報開示・謝罪が適時適切に行われるようになるために,わが国で必要な取り組みについて検討しておきたいと思います。
医療機関が教育プログラムや指針を策定し,自律的にこの問題に取り組むことが重要ですが,それ以外にも日常における取り組みとしてインフォームド・コンセント(IC)の実施や,学生教育における取り組みとして,医療安全・医療倫理に関連する教育の充実など,いくつか重要な点があるように思われます。
まずICは,有害事象の情報開示と謝罪のうち,少なくとも前者の促進には一定の機能を持つのではないかと私は考えています。生じる可能性がある有害事象について,患者へ事前にしっかりと説明をしていれば,それが現実化した場合には,そのことを患者へ説明しやすくなるでしょう。このことの妥当性については,研究者が科学的に検証することが必要ですが,ICについて早くから力を入れて取り組んでこられた高橋先生は,どのようにお考えですか。
高橋 私もまったく同じように考えています。例えば合併症についても事前に説明がなされておらず,発生後に初めて説明がなされると,患者さんは過失によって生じたのではないかと考えるでしょうし,そうなると,医療従事者の事後の説明も防御的になってしまうかもしれません。
また,ICについては機会があるたびに前田先生と勉強をしていますが,もめごとを防止するといった視点からではなく,わかりやすい医療を提供するという視点から取り組まなければ,有害事象後の情報開示という点からも意味がないことに注意しておかなければならないと思います。
説明の際に私たち医療関係者が用いる言葉は時として難解で,患者さんに正確な情報が伝わりにくい場合もあります。また,説明の仕方によっても患者さんの理解の程度は変わってきますから,私たちはICにおける説明の仕方についても日ごろから学んでおく必要があるように思います。説明時に,わかりやすい説明文書を用いることも重要ですね。
前田 以前私は,医師が作成した説明文書を事務担当の方などがわかりやすさの観点から精査することが重要ではないかと述べました。そうしたところ,高橋先生はさっそく医療事務担当者に依頼され,実践されておられます。
高橋 医療事務スタッフなどに協力をお願いして一部説明文書を改訂したりしましたが,まだまだ不完全です。なるべく易しい言葉を使おうと思うと説明文がどうしても長くなり,頁数が増えてしまうといった問題もあります。現在は,患者さんから直接「わからなかった言葉,わかりにくかった言葉」を投書の形で指摘していただく活動を始めています。
学生時代からの継続した教育を
前田 次に学生教育についてですが,私たちが日本の医学部・看護学部を対象に実態調査をしたところ,事故の防止についての教育は進みつつあるものの,情報開示や謝罪の問題など,事故後の対応については,教育が進んでいないことがわかりました。高橋先生はこの分野の今後の教育について,どのようにお考えですか。
高橋 現在,医療技術は急速に進歩し,家族環境も変化していますし,何より患者さんの求めるものが,質・量の両面で以前より格段に高くなっています。ぜひ日本の教育機関には,これまで以上に医療安全・医療倫理の教育に積極的に取り組んでいただきたいと思います。また,こうした教育は早い段階から継続して行ってこそ効果が上がります。
前田 児玉先生は既に倫理教育にも従事されていますが,教育について,今後特に重要とお考えのものを一つお示しいただけませんか。
児玉 一つ挙げるとすれば,この分野の教育者の養成を迅速に進めるということだと思います。このことについて,教育機関もそうですが,日本の国や行政も真剣に検討すべき時期に来ていると考えています。
前田 本日は,有害事象への対応の一つとして,患者への情報開示と謝罪の問題を取り上げ,検討しました。日本における取り組みの促進に寄与できれば幸いです。
(了)
文献
1)Kraman SS, et al. Risk management: extreme honesty may be the best policy. Ann Intern Med. 1999; 131(12): 963-7.
2)Richard C. Boothman, et al. Testimony before the U. S. Senate Committee on Health, Education, Labor and Pensions Committee, June 22, 2006.
高橋長裕氏 1970年千葉大医学部卒。博士(医学)。座間米国陸軍病院インターンを経て,71年に渡米し,エピスコパル病院インターン,ハネマン医大レジデント,カンザス大メディカルセンター循環器フェロー,ハネマン医大小児循環器科Assistant Professor。81年帰国後,国循小児科に勤務。94年千葉大講師,97年より千葉市立海浜病院,2003年より千葉市立青葉病院に勤務。10年より現職。医療事故紛争対応研究会の人材養成講座受講をきっかけに,医療安全活動に積極的に取り組んでいる。 |
前田正一氏 2001年九大大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。同医学研究院助手,東大大学院医学系研究科特任講師,同特任助教授・准教授を経て,09年より現職。専門は医事法学,臨床倫理・研究倫理学,医療安全管理学。編著書に『医療事故初期対応』(医学書院),『病院倫理委員会と倫理コンサルテーション』(監訳,勁草書房)など。「科学的検証とそれに基づく実践など,真に有効な取り組みが可能となるように,わが国は今後迅速に,この分野の研究・教育体制を確立させるべきです」 |
児玉聡氏 2006年京大大学院文学研究科博士課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員,東大大学院医学系研究科医療倫理学分野助手を経て,07年より現職。専門は倫理学,生命倫理学,政治哲学。訳書に『病院倫理委員会と倫理コンサルテーション』『健康格差と正義』(いずれも監訳,勁草書房)など。国内外の研究で明らかにされた医療事故の多さに驚くとともに,医療過誤訴訟に至る背景にインフォームド・コンセントの不備など医療倫理にかかわる要因が多いことに気付き,本領域に関心を持つ。 |
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