医学界新聞

連載

2011.11.07

ノエル先生と考える日本の医学教育

【第19回】 ワーク・ライフ・バランス(5)

ゴードン・ノエル(オレゴン健康科学大学 内科教授)
大滝純司(東京医科大学 医学教育学講座教授)
松村真司(松村医院院長)

ご意見・ご質問募集中!
本連載の執筆陣がご意見・ご質問に答えます!!


2948号よりつづく

 わが国の医学教育は大きな転換期を迎えています。医療安全への関心が高まり,プライマリ・ケアを主体とした教育に注目が集まる一方で,よりよい医療に向けて試行錯誤が続いている状況です。

 本連載では,各国の医学教育に造詣が深く,また日本の医学教育のさまざまな問題について関心を持たれているゴードン・ノエル先生と,マクロの問題からミクロの問題まで,医学教育にまつわるさまざまな課題を取り上げていきます。


 今回からは,シリーズ「ワーク・ライフ・バランス」のまとめとして,この問題に関係する今後の医学教育や医療を取り巻く社会の在り方を検討します。特に,多様なワーク・ライフ・バランスを可能にするための考え方や方策,またそれに伴う課題などを取り上げ議論していきます。

***

大滝 実態が変化しているにもかかわらず制度がすぐには対応できない状況は,社会のさまざまな場面でみられますが,ワーク・ライフ・バランスも同様の問題だと思います。

 女性の社会進出,核家族化,老親の介護,少子化,職業上のストレスの増加,生涯学習の必要性の増加,医師のキャリアの多様化など,ワーク・ライフ・バランスを取り巻く状況は大きく変化し,医学生・医師の仕事や生活に関する価値観および志向も以前とは変わってきています。そのようななかで,妊娠・出産・育児などで職場を離れる女性医師に対し,これまで日本で行われてきた主な対応は,非常勤やアルバイトといった正職員以外の形での「職場復帰」や「離職の食い止め」を図ることに比較的限定されていました。

 これまでのノエル先生との議論を通じて,以前とは異なる「新たなキャリアの形」が医師に必要となってきていることは明らかだと思います。この点について,これまでの議論を振り返りながら,コメントをお願いします。

最大の変化は上の世代の理解

ノエル 1970年当時,米国の医学部入学者における女子学生の割合はわずか15%でした。その当時は,医師であれば性別に関係なくほぼ全員がフルタイムで勤務していましたが,女性医師の場合は家庭を持った最初の数年間をパートタイムで働く人もいました。その後人口の増加と高齢化を見据えて医師増員の要求が生じ,医学部の卒業者数は1980年までに8000人から1万6000人に倍増しました。また,人種,宗教や性別による差別を撤廃し,教育と雇用の機会を均等に与えることを求める新しい法律が制定されました(本連載第9回参照)。こうした2つの変化に伴い,将来的に仕事と家庭の両方を持つと予想される女性の大学・職業学校卒業者は急増しました。そして今日,女性の大卒者数は男性を上回り,修士・博士号取得者も女性が多くなっています。

 1980年代までは夫が妻と家事を分担することは一般的ではなく,家庭に多くの時間を費やす男性のロールモデルはほとんどいませんでした(上司や父親の世代は,家のことを全くしませんでした)。それから30年,つまり一世代分が過ぎ,さまざまな職業分野で変化が生じてきました。小さな子どもを持つ女性の半分以上が外で働くようになり,働く女性に不利な扱いをした企業は訴訟を起こされ重い罰金の支払いを余儀なくされました。職場では,女性だけでなく男性も上の世代が行ってきたような働き方をすることは,もはやなくなりました。

 オレゴン健康科学大学でも,研修医や勤務医の大部分は夫婦共働きです。附属病院は,医師や看護師の不足に対応して,職員の子どもたちのための保育室を開設しています。これを受け,保育士やベビーシッターの雇用は大きく拡大しました。医師夫婦の多くは夫も妻もパートタイム勤務に変え,片方が仕事を行う間,もう片方が子どもの世話をみるよう働き方を変えました。

 こうした変化にはおよそ30年かかりました。医学の分野における最大の変化は,若い世代の医師が従来と異なるキャリアを追求することを教授たちが受け入れたことです。

キャリアトラックからの逸脱者をサポートする米国社会

大滝 多様なワーク・ライフ・バランスを可能にする必要があるのは,女性医師の増加に対応するためだけではないことも,この連載で明らかになってきましたね。

 家族の介護,自身の健康問題,研究や臨床研修を目的とした留学,医療過疎地域や途上国での医療支援など,さまざまな理由で「通常のキャリアトラック」から外れなければならない人が,私が知る医師の中にも少なからずいます。米国でも,このような状況は少なくないと思います。

ノエル はい。そういった既存の形態と異なる働き方を生むさまざまな理由は,米国でも生じています。個性を尊重するのが米国の特徴ですし,臨床医であれ大学教員であれ,さまざまなキャリアを米国の人々はサポートします。

 米国社会は多種多様です。外国からの移民や,異なる宗教的信条を持つさまざまな人々で成り立っています。社会的・生物学的進化を通じて多様性を保持することは,変化する外的環境への適応に不可欠なのです。

 外科医や内科医になるには,それぞれに決まったカリキュラムや訓練期間が要求されますが,医学部入学以前,そして臨床研修後にたどる道筋は人によって異なるはずですし,キャリアパスも容易に変えられるはずです。教授職や医局での終身雇用への期待だけを持って働く人はもはや誰もいません。しかしながら,公私の両面で最も得るものが大きい職場を求める争奪戦は,若手からベテランまで,すべての医師の間で絶えず続いているのです。

キャリアの多様性が進歩を促す

大滝 日本では,「通常のキャリアトラック」から外れた場合,その組織の中では昇進を望めなくなることが多いのが現状です。以前,米国では非常勤でも昇進できる制度があると教えていただきましたが,そのような制度は広く定着しているのでしょうか。

ノエル 研修病院は絶えず優秀な医師を探し求めています。個人の業績や優れた技術は教員を探す上で重要な要素ですが,どの大学も教員が他の研修病院に移るのは自由とされているため,多くの医師が実際に異動しており,空いているポストはよくあります。米国は医師を一つの大学や医局に長く所属させ育成することに,日本ほど重点を置いていません。むしろ,外部から新しい人材を取り入れて大学の教授陣を絶えず向上させることに主眼を置いています。オレゴン健康科学大学では,学生や研修医が他大学の優れた研修プログラムに進むことを決めたら,彼らを最大限支援します。そして新しい知識や経験をわれわれの教育に取り入れるため,彼らが研修を終えたら戻ってきてくれるよう努力します。これは社会の発展の一例であり,新しいアイデアや方法を探し求めることで,進歩を遂げられることを示しています。

 例として私のこれまでの経歴を振り返ります。私はハーバード大学で英文学を専攻した後,コロンビア大学医学部に進みました。インターンのマッチングではシカゴ大学に採用され,そこで初期研修を受けました。その後,専門分化されていない総合医の訓練を受けたいと思い,ハーバードとコロンビアの研修に応募し,両方から受け入れ許可をもらいました。コロンビアで研修とフェローシップを受け,教員に加わりました。私がキャリアを積み始めたころ,4つの医科大学から誘いがあり,新設医大で内科の卒前教育プログラムの構築を任されることになり,コロンビアを離れることを決めました。この異動のとき,講師から准教授に昇進し報酬も上がりました。それから12年たち,やりたいことはすべてやったという気持ちになったころ,スタンフォード大学とダートマス大学から新たなポストのオファーがありました。結局ダートマスに移り,教授として新規のプログラムをスタートさせることになりました。3年後,内科のチェアマンのポストの誘いがあり,オレゴン健康科学大学に異動しました。

 私の経歴は,研修修了時には予想もつかなかった道をたどりましたが,これは米国では珍しくないことです。

松村 日本でも,少しずつ時代は変わってきていると感じます。社会全体を見ても,以前のように一度就職したら,当然のように同じ組織に生涯勤務し続けるのではなく,自分のキャリアやライフスタイルに合わせ転職するようになってきています。そして,社会のさまざまな分野に能力のある女性が進出してきています。ですから,医師の間にそのような社会環境の動きに応じた変化が起こるのは自然なことです。むしろ,その変化を押しとどめようとした場合,新たに生まれつつある困難に対応できない,ということだと思います。

つづく

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook