医学界新聞

連載

2011.08.22

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第204回

医療保険のご利益についてのRCT

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2939号よりつづく

 無保険社会の米国においては,医療制度について,日本では想像もできないような根源的な(あるいは初歩的な)レベルでの議論が行われることが珍しくない。

 例えば,「医療へのアクセスは基本的人権か?」とする議論はその好例である。日本が憲法25条によって「生存権」を保障しているのとは対照的に,米国保守派の中には「医療へのアクセスは基本的人権ではなく特権。お金を払った人だけがサービスを受けられる」(註1)と主張してはばからない向きが多いのである。

 さらに,以前(第2918号)に,テキサス州が低所得者用の公的保険「メディケイド」からの全面撤退を検討していることを紹介したが,米国には,医療へのアクセスは特権とする考え方の延長線上で,「低所得者に公費で保険を提供することは税金の無駄遣いだからやめてしまおう」とするような,「乱暴な主張」が行われる素地があるのである。

医療保険の有無を「ランダムに」割り振る

 「医療へのアクセスは特権」とする乱暴な主張に対して,医療へのアクセスの重要性(あるいは非重要性)をエビデンスで示す努力がなされてきた。有保険者と無保険者との間で,健康度の指標や有病率・死亡率などを比較することで「医療保険のご利益」を検証する試みがなされてきたのである。しかし,もともと,有保険者と無保険者との間では,収入・教育程度・健康度などにはじめから差があることが多く,両者の間の差を厳密な基準の下に比較することは困難を極めた。

 新薬の臨床効果を調べるときにするように,母集団をランダムに治療群(=有保険)と対照群(=無保険)の二グループに分け,その後どのような差が生じるかをプロスペクティブに比較するRCT(randomized controlled trial)が実施できれば,保険にご利益があるのかどうか,そしてあるとすればそのご利益の程度はどれだけであるのか,といった疑問に答えることが可能となるのだが,医療保険の有無をランダムに割り振るような「非倫理的な」研究の実施が許されるはずはなかった。

 しかし,2011年7月号の『ナショナル・ビューロー・オブ・エコノミック・リサーチ(NBER)』に,これまで実施不可能と思われてきた「医療保険のご利益の有無を検証するRCT」についての研究結果(註2)が発表され,米医療界に驚きが走った。いったい,論文執筆者は,どのような手品を使って,被験者を「ランダムに」有保険と無保険の2群に割り振ることができたのだろうか?

非倫理的な研究を可能とする社会背景とは

 実現不能とされてきたRCTが可能となった最大の理由は,オレゴン州のメディケイド財政が逼迫したことにあった。もともとオレゴン州のメディケイドは,(1)妊婦・児童・障害者など医療保険の必要度がとりわけ高いグループを対象とする「プラス」と,(2)それ以外の低所得者を対象とする「スタンダード」の二つのプログ...

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