医学界新聞

寄稿

2011.03.14

寄稿

子どもの傷害予防と医療者の役割

山中龍宏(緑園こどもクリニック院長)


 子どもの事故は多発している。毎日,全国の至る所で同じ事故が同じように起きている。0歳を除き,子どもの死因の第1位は不慮の事故であり,事故は小児の健康問題として最も重要な課題である。欧米ではaccident(予測できない,避けられない事象を指す)ではなくinjury(予測でき,避けられる事象)という言葉が使用されており,私はinjuryを「傷害」と表記することにした。injury prevention(傷害予防)には,いろいろな人のいろいろなアプローチが必要であるが,今回は医療関係者が取り組むべきことについて述べてみたい。

遅々として進まぬ予防への動き

 傷害予防が必要なことは誰でもわかるが,予防することは大変難しい。臨床医であれば同じ傷害を何例も診て,何とかならないのかと思うだろう。そこで,まず傷害の実態を調べようということになる。しかし,外科系の診療録を見ると,多くは診療日のスタンプが押された脇に「5針縫合」と記載されているだけで,どこの部位にどういう怪我をしたのかなどの記載はなく,傷害が起こったときの状況などまったく書かれていない。これでは何もできない。

 一方で,小児では,健診の場を利用すれば,数千件の事故の情報はすぐに集まる。外来受診例でも数百件は容易に抽出できる。いつ,どこで,何歳児が,どういう状況で,身体のどこの部位に,どのような傷害を受け,予後はどうだったか,そういうデータは山ほど集まる。季節や時間,傷害の発生場所,年齢分布,受傷した身体部位,傷害の種類など,たくさんの図や表を描くことができる。それらをまとめた論文の考察の最後は,「今回検討したように傷害は多発しており,これらは未然に防ぐことが大切である」と締めくくられている。すなわち実態報告は山ほどあるが,予防はまったく行われていないのが現実なのだ。

傷害予防への私の取り組み

 私は1985年9月,プールの排水口に吸い込まれ,引き上げるまでに30分を要し搬送されてきた事例を経験した。患児は7時間後に死亡した。その後,同事故の報道を目にし,医療機関での治療の限界を強く感じた。1987年,勤務していた公立病院小児科に入院した事故の症例をまとめてみた。考察のために既出の報告を読むと,同じ年齢層で同じ事故が同じように発生していた。

 1989年,日本小児科学会の吉岡一理事に対し,「事故の問題は重要なので,学会に委員会を設置してほしい」と要望した。当時の大国真彦会長が「小児事故対策委員会」を設置し,学会としての活動が始まった。1989年から96年まで,私も委員として活動した。2年おきに提言を作成して『日本小児科学会雑誌(日児誌)』に掲載したが,具体的な予防活動とはならなかった。

 小児科臨床医として,毎日,傷害を受けた子どもを診ている。最初のうち「注意喚起」をしていたが,乳児健診で「誤飲しますよ」と注意しても,1時間後には誤飲をして受診する。まさに賽の河原のような状況の中で,事故予防などやめようと何度思ったことか。一人で事故予防と叫んでいてもらちが明かないので,2002年6月に情報発信の場として「子どもの事故予防情報センター」という個人サイトを作った(註1)。

 またこの間,「実際に起こった事故に対し,予防の面から見解が述べられるか」という指摘もあった。そこで,新聞記事から子どもの事故を切り抜き,それについて予防を考え,『小児内科』誌(東京医学社)において,「子どもたちを事故から守る」をテーマに20回にわたる連載を執筆した(2003年1月-05年1月)。個々の事故に対し予防を考えるつもりでいたが,調べてみると,以前から同様の事故が起きており,その多くは予防策も明らかになっているものであった。この連載は,大変いい訓練になった。

 2003年9月,私のサイトを見た工学系の研究者から,共同研究の誘いがあった。最初はお互いにどう取り組んだらよいかわからなかったが,2005年12月,公園の螺旋階段から転落し,腎臓破裂で9日間入院した事例について検討し,遊具の改善に取り組んだ。この取り組みにより,「安全知識循環型」社会の構築が必要であることを認識し,環境改善/製品改善の制御系と行動変容/リスクコミュニケーションの制御系の二つの制御系をPDCA(Plan→Do→Check→Action)で回していく包括的アプローチの概念()を確立した。

 傷害予防に求められる包括的アプローチの概念

 その後,われわれの研究チームはいくつかの成功事例を提示することができ,2010年からは産業技術総合研究所デジタルヒューマン工学研究センター傷害予防工学研究チームとして正式な研究組織となり,現在,傷害予防学という新しい科学領域の確立をめざしている(註2)。

「Injury Alert」の誕生

 小児科医は,日々さまざまな傷害例を診療している。これらは貴重な事例であるが,症例報告をしようとしても,考察を書くことが難しくて報告できない。また,同じ傷害例が多く,既出のものは報告にならない。たとえ症例報告として雑誌等に掲載されても,企業や行政の人が小児科の専門誌を目にする機会は少ない。直接,製造元に電話をして傷害の発生を伝えても無視される,あるいは使用法が悪いと言われるだけで,貴重な症例が社会に還元されない。これらから,商業誌ではなく公的な雑誌に事例を載せたいと考えた。

 2004年秋,日本小児科学会の一会員として,理事会に対し「子どもの事故として注意すべき症例を緊急報告として日児誌に掲載し,会員に周知してほしい」という要望を行った。学会に働きかけてから約3年半,2008年3月号から日児誌に「Injury Alert(傷害注意速報)」のページが誕生した。学会員からの投稿例をこどもの生活環境改善委員会「傷害注意速報」担当が読み,不足している情報を投稿者に問い合わせる。掲載様式を整えた後にコメントをつけて理事会に提出し,そこで了承されたものが日児誌に載る。日児誌に掲載されたものは,学会ホームページで一般にも公開している(註3)。

 現在まで20件以上の事例が掲載され,事例の一部はメディアや消費者庁にも引用されている。事例の報告だけでなく,掲載された内容を関連企業に伝え,追加実験してもらった結果はFollow-up報告として掲載している。今後は,掲載例と同じ事例を経験した会員から情報提供してもらい,ホームページ上にその情報を追加して,同じ傷害が起こり続けている状況を公開したいと考えている。新聞の漫画欄を最初に見るように,日児誌が来たら最初に「傷害注意速報」を見る,そういう状況を望んでいる。

傷害を再現できる情報を

 予防につなげるためには,傷害が起こった部屋の状況(ソファやテーブルの位置など),子どもの発達段階(台所の入り口で伝い歩き),母親のいた位置,炊飯器の置いてある高さ,受傷に至るストーリー(玄関のチャイムが鳴って母親が玄関へ出たところ,子どもが蒸気の出ている炊飯器に近寄り蒸気に手をかざした)など,詳細な状況を知る必要がある。すなわち事故が発生する直前から発生の時点までをアニメーションとして作成できるように,医療関係者はシナリオライターとなって情報を記載する必要がある。この仕事は,医師よりも看護師のほうが適任であると私は考えている。

 どの診療科であっても,傷害事例の受診はある。特に重症度が高い入院例については,傷害事例の記録を公的な学会誌等で公開することが予防には不可欠である。日児誌の傷害注意速報を参考にされれば幸いである。

 「同じ傷害を二度と繰り返さない」。こう決意し,傷害の発生状況を詳しく聞いて正確に記載すること,これが傷害予防の出発点であり,医療関係者の重要な役割である。傷害予防の解は,われわれの目の前にある。あなたの情報が人々を傷害から守るのである。

註1)現在は註2のwebsiteを中心に活動している。
註2)http://www.kd-wa-meti.com
註3)http://www.jpeds.or.jp/alert/index.html


山中龍宏氏
1974年東大医学部卒。同大小児科講師,焼津市立総合病院小児科科長,こどもの城小児保健部長を経て,99年より緑園こどもクリニック(横浜市)院長。85年9月,プールの排水口に吸い込まれた中学2年女児を看取ったことから事故予防に取り組み始めた。現在,日本小児科学会こどもの生活環境改善委員会専門委員,産業技術総合研究所デジタルヒューマン工学研究センター傷害予防工学研究チーム長。編書に,『《総合診療ブックス》はじめよう 臨床医にできる子育てサポート21』『《総合診療ブックス》見逃してはならないこどもの病気20』(いずれも医学書院)など。

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