アウトブレイク(4)(李啓充)
連載
2010.12.20
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第188回
アウトブレイク(4)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)(2906号よりつづく)
前回までのあらすじ:種痘登場前,天然痘に対する「予防」は人痘接種であった。
前回は英国で人痘接種が始められた経緯を紹介したが,英国でモンタギューが初めて人痘接種を実施したのと同じ1721年,まだ独立前のアメリカでも人痘接種が始められていた。
ボストンでの普及と反対運動
アメリカで人痘接種を始めたのは,ボストンの牧師,コットン・マザー(1663-1728年)。悪名高い「セイラム魔女裁判」(1692-93年)で指導的役割を果たしたことで知られる宗教家である。マザーは,「魔女裁判は間違っていた」と一般に認識されるようになった後も一貫して「裁判は正しかった」と主張し続けたことでもわかるように,植民地時代のニューイングランドにあって,もともと「controversial(物議をかもしがち)な」存在であった。
そのマザーが人痘接種についての知識を得たのは,アフリカ出身の奴隷からだったと言われている。前回,アジアで予防法として使われてきた伝統があったと書いたが,アフリカでも天然痘に対する予防法として広く行われていたのである。その後,トルコでの人痘接種について調査した英国人研究者の学術論文を読んだマザーは,次の流行時にボストンでも実施できるよう「備え」を始めたのだった。
果たして1721年4月,天然痘患者を乗せた船が入港したことがきっかけとなって,ボストンに新たな流行が始まった。マザーは人痘接種を実施するよう医師たちの説得を試みたが,ボストンの医療界はこぞって反対した。ただ一人マザーの説得に応じたザブディエル・ボイルストン医師が初めての人痘接種を施行したのは1721年6月。モンタギューの英国での実施から,わずか2か月後のことだった。ボイルストンは6歳になる自分の息子と奴隷の父子,計3人に人痘接種を実施。3人の回復を確認した後,マザーの家族・同僚牧師等をはじめとして徐々に接種対象を拡大した。
1721年の流行時,ボストンの感染者5889人中死亡者は844人(14.3%)であった。これに対し,人痘接種者242人中死亡者はわずかに6人(2.5%)。人痘接種が死亡率を激減させたことを,ボイルストンは1724年に英王立協会で発表。1726年,同協会員に推挙される栄誉を得たのだった。
前回,英国で人痘接種が始まると同時に反対運動が起こったと書いたが,マザーがボストンで始めた人痘接種に対してもすぐさま反人痘運動が起こされたことに変わりはなかった。強く反対したのは主に二つのグループであったが,その第一は医療界。「医療のことは医師に任せるべきで宗教家がしゃしゃり出るのはけしからん」と,「専門性」を侵害されたことに怒ったのだった。
反対派の第二グループは皮肉なことに宗教界。「人が病気にかかるのは神のなせる業。神がされることに干渉するなどもってのほか」と反対する宗教家が続出したのである。注意深い読者はすでにお気づきであろうが,ここで「神」という単語を「自然」という単語に置き換えると,「自然のすることに人間が干渉すべきでない(免疫を得ようと思ったら自然感染が一番よい結果を生み出すのであって,ワクチンで人工的に免疫を獲得させようとするのは間違い)」という,現代の反予防接種運動の代表的主張の一つとなる。人痘の例でも明らかなように,この手の論理に共鳴する人が多いのは今に始まったことではないようなのである。
人痘接種が医療ビジネスへと様変わり
かくして英米でほぼ同時に「非医療者」によって始められた人痘接種は,やがてその効果が認められるようになり,「まっとうな」診療行為として医療界に定着するようになった。さらに,当時,医療界の主たる医療行為であった瀉血や浄化療法(註)が人痘接種と組み合わされるようになり,今様に言うと「人痘接種・浄化療法組み合わせ3週間入院コース」のような診療サービスが行われることが常態化した。
「3週間コース」に入院した患者が脱水で苦しんだであろうことは想像に難くないが,当時の医師たちは最新の医療行為を実践していると信じて疑わなかった。一方,富裕層相手の「3週間コース」は医師に高額の収入をもたらし,人痘接種は医療ビジネスの重要な一部門としても成長した。
かくして,当初は病変部の膿を健常者の皮膚に接種するというだけの「簡単」な処置だった人痘接種は,医師による大がかりな入院治療へと「様変わり」していったのだが,こういった医療界のやり方に怒ったのが誰だったかというと,それは英国に人痘接種を導入したモンタギューその人だった。彼女は,フライング・ポスト誌に「一トルコ商人」の筆名で寄稿すると,トルコでは極めて簡単かつ安全だった接種法が,英国の医師たちの手にかかった途端に,接種部の皮膚を大きく切開したり,瀉血や浄化療法と組み合わせられたりして危険な診療行為となってしまったことを非難したのだった。
(この項つづく)
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