医学界新聞

連載

2010.11.29

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第187回

アウトブレイク(3)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2904号よりつづく

前回までのあらすじ:2010年,カリフォルニア州では百日咳が大流行。感染率に大きな地域差が生じた一因として,予防接種率が地域によって著しく異なることが考えられた。


 前回,百日咳感染率の地域差に予防接種率の違いが寄与する可能性について論じたが,百日咳に限らず,米国では予防接種一般を忌避する傾向が高まり問題となっている。親たちがなぜ子どもたちへの予防接種を拒否するのか,その理由を考えることが本シリーズの主テーマであるが,予防接種忌避の歴史は予防接種の歴史そのものと不可分である。まず,歴史上最初に登場した予防接種,「種痘」をめぐって,どのような「反予防接種運動」が展開されたのかを見てみよう。

英社会にもたらされた人痘接種の試み

 読者もよくご存じのように,エドワード・ジェンナーが天然痘に対し「牛痘」を用いた予防接種を始めたのは1796年のことであった。ジェンナーが牛痘を用いる前,天然痘に対する「予防接種」として広く一般に普及していたのは「人痘」接種であった。天然痘に対する免疫能を付与するために,患者の皮疹から得られた膿を健常人に接種することが行われていたのである。

 英国において人痘接種を始めたのは,メアリー・ワートリー・モンタギュー(1689-1762年)だったとされている。その美貌と文才とでロンドン社交界のスターだったモンタギューが天然痘に罹患したのは1715年。かろうじて一命を取りとどめたものの,顔面に明瞭な瘢痕が残り,評判の美貌は損なわれてしまった。

 モンタギューが,アジアで古くから用いられていた人痘接種について知ったのは,トルコ大使に任じられた夫に伴ってイスタンブールで暮らしていたときのことだった。自分が死にかけただけでなく弟をも天然痘で亡くしていたモンタギューは,1718年,5歳の息子(6歳という説もある)に人痘接種を受けさせた。実施に当たっては,人痘接種を生業とする現地女性を雇い,大使館付け医師チャールズ・メイトランドに手伝わせた。

 その際,乳児だった娘にも人痘接種を施すことを考慮したものの,子守の女性に感染させることを恐れて見合わせたという。人痘接種の本態は「予防接種」と言うよりも「人工感染」であり,接種者は当然のことながら天然痘症状を発現したし,感染性を有することは自然感染と変わらなかった。若い女性を天然痘感染のリスクに晒すことは,生命だけでなく容貌への影響も考えるとためらわれたのだった。

「反予防接種運動」の原型

 娘に人痘接種を受けさせたのは,英国帰国後の1721年のことだった。ロンドンに天然痘の流行が始まる兆しが見えたため,早急に予防処置を講じる必要に迫られたのである。イスタンブールで人痘接種を手伝ったメイトランドに接種を依頼する一方,モンタギューは,親友の皇太子妃キャロラインを通じ,英医学界の代表を「証人」として立ち会わせた。かくして,アジアで古くから伝わる天然痘予防法が初めてヨーロッパに「輸入」されることとなったのだった。

 その4か月後,メイトランドは,国王ジョージ1世の認可の下,囚人6人に対し人痘接種を実施した。囚人たちには「釈放」を条件にして協力させたのだが,国王が「人体実験」実施を認めたのは,皇太子妃から自分の子どもたち(国王にとっては孫に当たり,王位継承権の順位が高い)に人痘接種をしたいと相談され,「安全性」を確認する必要があったからだった。

 果たしてメイトランドの実験対象となった囚人はみな生き残り,人痘接種の「安全性」が確認されることとなった。翌1722年,メイトランドはさらに健常人6人に人痘接種を実施したが,うち2人はジョージ1世の孫娘だった(註1)。王室のメンバーで成功したこともあり,人痘接種はやがて広く英社会に普及することとなるのだが,「最新の医療技術」が,英社会を二分する論争を引き起こすのに時間はかからなかった。

 人痘接種を受けた患者の天然痘が重症化することは稀で,接種者の死亡率も2-3%にとどまり,自然感染の死亡率(病型にもよるものの約30%)を一桁ほど下回ったとされている(註2)。しかし,人痘接種がかくも劇的な効果を上げたというのに,反人痘派はその「危険性」を声高に喧伝した。現代でも反予防接種派の人々は事実に基づかない主張を声高に喧伝する傾向が強いのだが,ジェンナーが医学史上初めての予防接種を「発明」する70年以上も前に,現代に通ずる「反予防接種運動」の原型が登場していたのである。

この項つづく

註1:王位継承権の順位が高い男児の孫に国王が接種を認めなかったのは「安全性」を懸念したためとする説がある。この説に従えば,男系子孫の王位継承権を守るために,女系子孫で二回目の「人体実験」を行ったという解釈も成り立つのである。
註2:人痘接種後の症状が自然感染よりも軽症となる理由については,感染経路が皮膚に限定されるためではないかと考えられている。

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