医学界新聞

寄稿

2010.11.29

寄稿

自殺予防対策の発展に向けて
心理学的剖検の実践

勝又陽太郎(国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 自殺予防総合対策センター研究員/臨床心理士)


 わが国では現在,1年間に約3万人の人が自殺で亡くなっています。しかし,なぜこれほどまでに多くの人が自殺で亡くなるのかは,いまだ解明されていません。

 自殺予防の専門家の間では,自殺の原因は1つではなく,多数の要因が複雑に絡み合って生じる,との認識が一般的です。すなわち,わが国における自殺の特徴を説明するためにも,その背景に「どのような要因が存在したのか」だけではなく,複数の要因が「どのような人にどのように関連していたのか」を明らかにする必要があります。これらの要因を詳細に分析するためには,警察庁の統計や厚生労働省の人口動態統計といった集合的なマクロ統計だけでは不十分であり,個別の自殺既遂者の情報を事例レベルで収集することが必要不可欠です。しかし残念ながらわが国では,こうした研究はこれまでほとんど実施されてきませんでした。

自殺予防対策に直結する心理学的剖検

 世界各国では,こうした自殺既遂者の事例レベルでの情報収集において心理学的剖検(psychological autopsy)と呼ばれる手法が用いられ,これまでにも数多くの研究が行われてきました。心理学的剖検とは,家族や友人など周囲の人からの情報収集によって,故人の生前の様子を明らかにしようとする調査手法の総称です。

 心理学的剖検には,比較的短時間で個別事例の豊富な情報収集が可能である反面,自殺者本人の主観的なデータが収集できないといった欠点があります。事例レベルでの研究では,心理学的剖検のほかにもコホート研究など前方視的にデータを収集していく方法や,自殺既遂者の代わりに自殺未遂者から情報収集を行う方法などが用いられることがありますが,いずれも完璧なデータ収集方法とは言い切れず,調査にかかる時間やコスト,あるいは母集団の特徴(例えば未遂事例では女性が多く,精神疾患のパターンが自殺既遂者と異なる)などさまざまな短所を抱えています。したがって心理学的剖検は,もちろんその調査手法に限界はあるものの,数あるデータ収集方法の中でも自殺予防対策に直結する「現実的な方法」として,多くの国で第一に選択されてきた手法であると言えるでしょう。

 筆者らは2005年度から,この心理学的剖検を用いた研究準備を進めてきました。そして07年度からは,「自殺予防と遺族支援のための基礎調査」という名称で,全国53地域の協力を得て本格的な調査を実施しています。

 調査は,原則としてトレーニングを受けた精神科医師と保健師などから構成される2名の調査員による半構造化面接によって行われます。また,調査に用いた面接票は,海外の心理学的剖検研究のレビューと予備調査の結果に基づいて作成されたもので,家族歴,生活歴,自殺前の行動,死亡状況,過去の自傷・自殺企図歴,仕事の状況,経済的問題,生活の質,身体的健康,心の健康問題,援助希求といった幅広い観点からの質問で構成されています。なお,この調査は,基本的には各地域において遺族ケアなどの支援を受けていらっしゃるご遺族にご協力いただきましたが,なかにはパンフレットなどをご覧になって直接われわれのセンターにご連絡をいただき,調査への協力を申し出てくださったご遺族もいらっしゃいました。

背景要因相互の関連性を立体的にとらえる

 09年12月末の時点で,76事例の自殺既遂事例について面接調査が終了し,現在もなお,少しずつ事例数を積み重ねています。筆者らは,これまでに収集されたデータをもとに,さまざまな角度からわが国の自殺の背景要因に関する分析を行っているところです。

 例えば,自殺既遂者の仕事と心理・社会的特徴との関連に関しては,無職の自殺既遂者では若年成人が多いのに対して,有職の自殺既遂者では中高年男性が多く,これら有職の自殺既遂者は,無職の自殺既遂者と比較して,借金を抱えており,うつ病などの気分障害に加えて,アルコール使用障害に罹患している者が多いといった特徴があることが明らかになりました。この結果からは,働き盛りの中高年男性が,借金などの困難な問題を抱えた際に,悩みを紛らわすために大量に飲酒する中でうつ病に罹患するなど精神状態を悪化させている可能性が推察されます。

 このように,自殺既遂者の背景にあるさまざまな要因間の相互の関連性を立体的にとらえることによって,借金,うつ病,アルコールと一つひとつの問題への介入を単独で考えるだけではなく,専門家同士が連携し,自殺予防のための介入方法をより精緻化させていく必要性が浮かび上がってきます。なおには,筆者らがこれまでに行った分析をもとにして発表した,自殺予防の介入ポイントを提示しました。

 自殺予防の介入ポイント

遺族が故人の自死を語る時

 最後に,調査にご協力くださったご遺族にとって,亡くなった方の話をすることにどのような意味があるのか,ご遺族の感想とともに筆者の考えを述べたいと思います。

 多くのご遺族にとって亡くなった方の話をすることは,少なからず辛い体験であることは容易に察しがつきます。ご遺族の中には,調査後に「いろいろと思い出して辛かった」という感想を率直に述べる方がおられます。筆者の実感としては,こうした声は,比較的死別から時間が経過していて,ご自身の中で気持ちの整理がついておられる方から多く聞かれるように思います。一般的には,「気持ちの整理がついた人でないとこういった調査への協力は無理だ」と思われがちかもしれませんが,実際に調査を実施すると,むしろ「気持ちの整理がついている人ほど,詳細を思い出すことが辛い」のではないかという印象すら抱きました。

 一方で,死別後1か月にも満たない間に調査への協力を申し出てくださったご遺族も数多くおられました。こうした方々からは,むしろ調査をきっかけに前向きに生きていきたい,という感想が多かったように思います。

「喪の作業」を進める契機に

 私たち人間が,大切な人を喪った体験を心の中で整理できている状態というのは,いわば,故人がどんな人で,どんな人生を送って,どのように亡くなっていったのか,その故人の人生に自分がどのようにかかわっていたのか,という故人と自分との一連の「物語」が一貫して整理されている状態と言えます。この物語を整理する心理的プロセスを精神医学や心理学では「喪の作業」と呼びますが,このプロセスの中では,他者とのコミュニケーションが欠かせません。

 私たちは,葬儀などで親しい人とともに故人を偲ぶ中で,他者から見た故人の生前の姿を思い浮かべ,そして自分と故人との心理的距離感を相対化するうちに,故人との関係性の物語を整理していきます。しかし,自殺者のご遺族の多くは,自殺だということを周りの人に隠していたり,あるいは家族の中でもその話題に触れずにいるうちに,結果として他者とのコミュニケーションを経ないまま時間が経過していきます。実際,調査の中で,「初めて他人に話した」という方も少なくありません。もちろん,辛い体験をいつでも誰にでもただ単に話せばよいというものではありませんが,少なくとも自分自身で話をする決心をされたご遺族にとって,心理学的剖検に協力することはまさに,故人の人生を振り返り,自身の「喪の作業」を進める契機となったのではないかと思います。

 自殺対策基本法では,自殺の防止に加え,自死遺族への支援の充実も明記されていますが,実は自死遺族支援の起源はこの心理学的剖検にあると言われています。心理学的剖検の手法を確立させたEdwin Shneidman博士は,自殺の起こった後の事後対応を意味する「ポストベンション」という言葉の生みの親でもあります。このように,心理学的剖検は,自殺防止対策を考える上で有用な調査方法であると同時に,自死遺族支援との繋がりもある重要な概念です。したがって,その役割は「故人の死から学ぶ」という単純なものではなく,むしろ「確かにこの世に生きた人の人生」をご遺族,そしてわれわれの残りの人生に共に引き継いでいく作業にあるのではないかと考えています。


勝又陽太郎氏
2005年 都立大大学院人文科学研究科修士課程修了。精神科クリニックの臨床心理士やスクールカウンセラーとして臨床経験を積む傍ら,06年より国立精神・神経センター精神保健研究所の流動研究員として自殺予防研究に従事。2010年より現職。

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