医学界新聞

インタビュー

2010.07.12

【interview】

研究で養った科学的視点が
やがて診療に生きる

水野美邦氏(順天堂大学医学部附属順天堂越谷病院院長)に聞く


 血管障害から先天性疾患,変性疾患まで非常に幅広く,診察法も多岐にわたる神経疾患。超高齢社会を迎え,アルツハイマー病,パーキンソン病など多様な老人性疾患も増加の一途をたどるなか,神経疾患への知識を深める必要性はますます高まりつつある。本紙では,パーキンソン病治療・研究の第一人者であり,先ごろ発刊された『神経内科ハンドブック――鑑別診断と治療 第4版』(医学書院)の編者を務める水野美邦氏にインタビュー。神経内科診療の魅力と,臨床能力のベースとなる研究の大切さについて伺った。


――まず,先生が神経内科を専攻された経緯を教えていただけますか。

水野 私が医学部を卒業したのは1965年のことで,その後1年間のインターン中に進路を決めることになっていました。そのころ既に,消化器や循環器の専門家の先生は相当な数おられたのですが,神経内科は内科から独立して5年程度の新しい学問で,まだ専門にする人も多くなかったのです。そうした新しい分野の開拓に魅力を感じた点が一つあります。

 もう一つの理由は,理詰めで考えていける神経学的な診察手順の面白さに気付いたことです。患者さんの全身を診て,病変の場所を推定した上で,病歴と合わせ病名を絞り込んでいくというプロセスにとても惹かれました。

――米国留学も4年近くご経験されていますね。ご留学のきっかけは,どのようなことだったのですか。

水野 医学生・研修医のころ,New England Journal of Medicine誌に掲載されていた症例検討会形式の記事をよく読んでいました。生検が陰性でも小脳出血と臨床診断し,剖検で確認されたケースなどもあり,読むたびに米国の臨床家の診断の的確さに感銘を受け,米国でトレーニングしてみたいと思っていました。

 また,ちょうど私が医師として働き始めた当時,大学紛争が激化しており,入局して3年目ごろには,その影響で研修が続けられなくなってしまったのです。このままでは日本での神経内科医の道はあきらめねばならないかもしれないと感じ,ならば米国へ行ってみようと思い立ちました。

――米国でのレジデント生活は,いかがでしたか。

水野 私が留学したノースウェスタン大学は,シカゴのダウンタウン北部のとてもよい環境にある私立医大です。神経内科の指導体制が充実しており,非常に実り多い研修を受けられました。

 研修制度がローテーション制だったのが特によかったですね。レジデントは初めの約1年間を病棟で過ごし,2年目には神経病理・脳波・筋電図・小児神経などの領域を回り,3年目にチーフレジデントを約半年間経験した後,希望分野を選ぶことができました。

 同僚のレジデントのレベルも高く,教科書や文献をよく読みこんでおり,鑑別診断を行う上でベースとなる知識が非常に豊富でした。そうした環境に刺激を受け,とにかく可能な限り何でも覚えようと,私も一生懸命勉強しました。

――研修制度をはじめ,当時の日本に先んじていた部分はやはり多かったのですか。

水野 そうですね。日本では,まだまだ考えられないことばかりでした。そうした米国留学で受けた鮮烈な印象を記録に残したいという思いが,帰国後の『神経内科ハンドブック』発刊につながり,さらには新設医大だった自治医大で,ローテーション方式の研修を制度化することに結び付きました。

研究に専念する期間が必要

――なぜパーキンソン病をご専門にされたのですか?

水野 それも,米国留学での経験からです。私が留学したころ,米国ではちょうどL-dopaによる治療が始まっていました。現在のようなカルビドパやベンセラジドの含まれないL-dopa単剤での治療でしたが,見違えるほど患者さんがよくなっていく。神経疾患でそこまで改善する例を見たのは初めてだったこともあり,自らの手で患者さんを治したいという思いから,パーキンソン病を専門にしたいという気持ちがわいてきました。

――先生は,臨床で患者さんの治療を続けられながら,研究でも大きな成果を上げておられますね。両立にあたり,ご苦労はなかったですか。

水野 私の場合,帰国後15年間勤務した自治医大で,臨床家でいながら研究に割く時間もある程度とれたのが幸運でした。当時は1週間のうち4日間を外来,回診,若手の指導などに充て,後の2日は研究に専念できました。

――バランスがとれていたということですね。臨床と研究がつながった,と感じられた出来事はありますか。

水野 研究当初はなかなか難しかったのですが,順大に移ってから,そう感じた発見がありました。

 当時,パーキンソン病の原因として遺伝的素因とミトコンドリアの酸化ストレスの2つが話題になっていました。そこで,臨床で診ていた患者さんたちから血液サンプルをいただき,ミトコンドリアの活性酸素解毒酵素であるmanganese superoxide dismutase(MnSOD)の遺伝子を調べることにしました。そのうち,劣性遺伝の家族性パーキンソン病患者さんのサンプルから,MnSODの遺伝子に変異があると考えられる家系を見つけました。ここが臨床と研究の接点だったように思います。

 結果的に,MnSODと同じ6番染色体の長腕上にあった別の遺伝子の欠損が原因だとわかり,その遺伝子をParkinと名付けました。それが,2番目に発見された家族性パーキンソン病の遺伝子,Park2です(Park1=αシヌクレイン)。その後続々と原因遺伝子が見つかり,家族性に発症する方も10%近くいることがわかってきました。そこで私の教室で遺伝子検索のシステムを作り,全国からたくさんの血液サンプルをいただいて検索した結果,Park6やPark8,最近ではPark9,Park11と,たくさんの家族性の遺伝子異常が日本人にもあることが確認されています。そうした研究成果は再び臨床に還元され,患者さんの治療に役立っています。

――最近はどちらかというと博士号よりも専門医志向が強く,研究は軽視されがちだという話も聞きますが,その点についてはどう思われますか。

水野 領域を問わず,研究が嫌いな人が増えているようですね(笑)。やはり臨床医学を志す人たちは,研究には身が入りにくい面があり,学会でも,基礎医学関連のプログラムはいまひとつ人気がありません。

 しかし私は,臨床家も大学で働く以上は,臨床だけではなく科学的な視点に立った研究もするべきだと思っています。研究で培われた科学的な思考法は,患者さんを診るときに必ず役立ちます。勘や経験だけで診断を下すのではなく,あくまで科学的・論理的に鑑別診断を行い,治療を選択することが大切なのです。

 今,神経内科の研修医は,2年ほどの臨床経験を経て大学院に入るのが一般的なようですが,それだと研究も臨床も中途半端になりがちです。私は,若手医師は専門医を取得して,臨床を一段落させてから大学院に入るべきだと思っています。大学院では,3年は研究に没頭することが必要です。そして大学院卒業後は,後進を指導しつつ研究と臨床を行う,という段階を踏んでほしいですね。

――大学卒業後,専門医の取得までどのくらいの期間が必要なのでしょうか。

水野 初期研修2年に加え後期研修の1年,計3年間の研修後に内科認定医を取得し,それから最低3年間,神経内科の研修を受けなければ専門医の受験資格が得られません。つまり,最速でも卒業して6年間はかかります。昔は,最低1年の内科研修後,神経内科の研修を3年間受ければ専門医試験が受けられました。

――内科認定医の資格が必要なぶん,研修が長くなるわけですね。

水野 いわゆる二階建ての専門医制度です。日本のほかにも,英国や英国の影響を受けたアジアの一部では神経内科が内科学の一部という位置付けです。一方で英国以外の欧米諸国では,神経内科は内科から独立した診療科とされています。

 私自身も初めに内科研修を2年間受けたので,内科の基礎知識を持つ大切さは理解していますが,神経内科学そのものは,内科学から独立して考えてよいのではないかと思っています。変性疾患や血管障害から,末梢の神経・筋疾患まで,神経疾患について知識と経験を深めようと思うと,一般内科のdutyまでこなすことは難しいです。

■鑑別診断,その奥深さと魅力

――長年神経内科の領域で診療をしてこられて,難しかった診断のご経験などはありますか。

水野 例えば大脳皮質基底核変性症は,一見進行性核上性麻痺に見えることがあり,そのつもりで診ていたけれど,途中からどうもかみ合わなくなってきて気付いた,という経験はあります。大脳皮質基底核変性症の場合には,apraxia(失行症状)があるので,それを無動と取り違えないことが大切です。

 また,ヒステリア(hysteria)で不随意運動を呈している患者さんが時々来院されますが,器質的な病変なのか,それとも心因性に起きているのか,鑑別診断でいかに見分けるかも興味深いですね。心因性で起きている場合は,治療で改善したり,社会復帰できる可能性もあります。

――昔に比べると,画像診断も格段に進歩していますよね。他科ではよく,画像に頼りすぎる診察が問題視されていますが,神経内科領域でも,そうした懸念はあるのでしょうか。

水野 私の知る限りでは,神経内科医で最初から画像に頼るような人は少ないと思います。日本神経学会の指導方針でも神経学的診察から入ることを推奨していますし,CTやMRIのない時代から現在に至るまで,まず自分で診察して,診断を考えて,その上で検査所見を見るという神経内科ならではの診察手順はまだ生きています。

 また,例えば多系統萎縮症や進行性核上性麻痺のように,病状が進行しないと画像では異常がわからない疾患もありますので,病初期の時点で適切に対処するためにも,患者さんの身体をきちんと診て判断することはやはり大切です。

――神経内科的な診察方法は,魅力を感じる人もいる一方,苦手意識を持つ人もいると聞きます。

水野 確かに,ちょっと勉強は必要ですね。

 まだ研修途上にある医師の場合は,精神状態の観察から始まって感覚障害に至るまで,それこそ頭のてっぺんからつま先まできちんと診察することを習慣にするとよいと思います。救急外来などでは,悠長に診察していられないこともあるかもしれませんが,そういうときでも後ほど病棟を訪れて,全身をくまなく診るくらいの心がけが大切です。

 診察時の患者さんのポジションにもコツがあります。日本では,診察の際,患者さんをベッドに寝かせて診ることが多いように思いますが,米国では,椅子に座らせることが多いです。私も座位のほうがきちんと診られると考えていて,入院患者さんでも意識障害のある人以外は,ベッドに座ってもらって診察するようにしています。

――座位のほうが所見をとりやすいということですね。

水野 もちろん寝ていないととれない所見もありますが,それ以外は座位で診察したほうが早く,スムーズだと思いますよ。

 そしてもう一つ大切なのは,診察をしたら記録に残すこと。これは,最近はパソコン入力ですみますから,皆かなりきちんとカルテを書くようになっていますね。

細分化する神経内科領域の道しるべとして

――神経内科領域の専門分化はかなり進んでいるのでしょうか。

水野 学会も細分化しており,特に大学から離れてしまうと,自分の専門分野の学会にしか行かなくなることが多いです。そこは問題だと思いますが,情報量がどんどん増えているだけに,やむを得ない面もあります。

 ですから『神経内科ハンドブック』が,細分化する神経学のエンサイクロペディア的な本になればよいなと思っています。まれな症候・所見についても何かしら記載があり,研修医や大学院生,若い指導医などにとって,神経内科診療全般での手助けになるよう心がけました。私自身もわからないことがあるとき,「どうだったかな?」とときどきひもといてみています。

――読んでいると,神経内科の分野には多様な疾患があることを実感します。

水野 そうですね。患者さんの数も多いですし,頭痛・めまいから手足のしびれまで症状は幅広いです。本当は神経内科を受診すべき患者さんが,他科を訪れている現状はかなりあると思います。そういう意味でも,神経疾患を診る機会のある,整形外科や精神科など他科の医師の方にも『神経内科ハンドブック』を参考にしていただきたいと思っています。

――後進の先生方へのメッセージをいただけますか。

水野 今の若い人たちは,患者さんの話をよく聞きますし,言葉遣いや応対も丁寧な人が多くなってきていますね。皆,医師としての資質はきちんと持っていると思っています。

 一つ大切なのは,患者さんに「身体のどこが原因で,この症状が出ているのか」ということを,しっかり説明することです。患者さんたちが一番心配していることをクリアにした上で,治療を考えていく。そういう接し方を,臨床現場の教育者が教えていく必要もあるでしょう。

 そしてやはり,科学的な視点が養える研究も忘れずにいてほしいですね。専門医を取得した後はしばらくは研究に専念するということと,これは指導する側の先生方へのお願いですが,研究と臨床,どちらにも全力を注げるよう,時期を分け,十分な時間をとってほしいと思います。

 神経内科は昔ながらの臨床的なアプローチが生きており,面白く,奥深い領域です。また,全身を診て病因を突き止めるという神経内科ならではの鑑別診断は,応用の域も幅広いと思います。皆さんにさらに興味を持っていただけたらうれしいですね。

――ありがとうございました。

(了)


水野美邦氏
1965年東大医学部卒。同大病院インターン,内科研修医を経て,67年同大神経内科入局。69年ノースウェスタン大医学部神経学レジデント。73年自治医大神経内科講師,81年助教授,88年教授。89年順大神経学講座教授。2006年同大老人性疾患病態治療研究センター長/特任教授。07年より現職。74年に米国神経学会神経専門医資格を取得。96年日本医師会医学賞,02年ベルツ賞,05年上原賞受賞。07年には紫綬褒章受章。日本神経学会名誉会員。編著に『神経内科ハンドブック』のほか,『パーキンソン病治療薬の選び方と使い方』(南江堂)など。

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