医学界新聞

インタビュー

2010.05.31

【大宅賞受賞記念インタビュー】

患者の周囲の他者が,
「私たちのために生きていてほしい」と願い,
その生を最後まで肯定していくのは,
当たり前のこと。

川口有美子氏に聞く


 第41回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)に,医学書院刊『逝かない身体――ALS的日常を生きる』が選出された。喜びさめやらぬ著者の川口有美子氏に,受賞作に託したメッセージや難病介護の現状に思うこと,これから取り組みたいことを伺った。


――受賞,おめでとうございます。

川口 ありがとうございます。このような大きな賞をいただくとはまったく考えてもいなかったので,とにかく驚きました。いまだに驚きが続いていて,私はどこにいってしまうのだろう,という気持ちです(笑)。

 本を書いたことは家族には内緒にしていたので,受賞によって知られてしまった今,どういう顔を向けたものか。家族も,自分たちのことが書かれている本がこうして世に出ているわけですから,少々複雑な面持ちでした。

――審査員の柳田邦男さんの講評をお聞きになって,いかがでしたか。

川口 共感の言葉がうれしかったです。柳田さんご自身が脳死状態の息子さんを看取った父親として,生と死の狭間での葛藤を『犠牲(サクリファイス)――わが息子・脳死の11日』(文藝春秋)に書かれていたこともあり,ご自身の過去を振り返りつつ『逝かない身体』を読んでくださったのかもしれない,と勝手に推測してしまいました。

 また,逝きゆく身体のケアにおいて言語化されていないことが多々あり,それらを文学にしたことを評価してくださったのも,ありがたかったです。

■病人はアスリート,介護者はトレーナー

――ALS介護の記録というと,感傷的な「闘病記」と受け取られるかもしれませんが,それとはまったく別のものですよね。「植物的な生」を肯定し,植物を育てるがごとくケアをする。潔ささえ感じます。

川口 ALSの患者さんは文字盤を通して,「薬指にくっついている小指をちょっとだけ離して」といったミリ単位の要求をしてきます。「ン? 指の位置がおかしいの?」と言うと,パチッとまばたきが返ってくる。そこから位置の調整を始めて,またまばたきでOKが出るまで,何度も繰り返すのでたいへんな時間がかかります。

 1日24時間,家族とヘルパーさんが交替でそうした身体の微調整をずっと繰り返しているのが,ALSの介護。慰め合っている暇もありません。

――感傷に浸っている場合ではないと。

川口 ええ。患者さんは神経を研ぎ澄ませて身体に極力集中し,ベストな体調にコントロールしてもらおうとします。「今日は睡眠薬を4分の3に削って何時に飲ませて」「今日は気分があまりよくないから,呼吸回数をちょっと落として,呼気の量を450から475にして」などと実に細かく指定してくる方もいます。そうした調整を刻々と続けていると,良い体調は皆で作るという気概が生まれてきて,病人といえどもオリンピックのアスリートのようになってくるんですよ。介護者は,縁の下で支えるトレーナーの気分です。

――それは,患者が何も発信できない状態(TLS : Total1y Locked-in State)になっても同じなのですか。

川口 突然その状態になるわけではないので,介護のスタンスは変わらないですよ。それまでも経験の積み重ねを総動員させてケアをしてきており,患者さんの顔を見て,何を言いたいのかだいたい読み取ってきていますしね。あうんの呼吸です。そうして亡くなる瞬間まで,患者の意思を汲み取ろうとして身体をとても大事にし続けます。

 ですから,そんな身体介護をしてきた人にとっては,世話する身体を喪失したときが死なのです。私がいちばん悲しかったのは,母のお棺に釘を打つそのときでした。呼吸器が外された後も身体が存在している間は冷静でいられましたが,火葬場のボイラーが点灯した瞬間が最もつらかったですね。

 そんなふうに,身体を心や意識と同等に大切なものとして扱うことを心身一元論と呼びますが,母や他のALSの介護の様子から,そうした理論は自然に身に付いたと思います。

――日本には昔から,そうした考え方がありますよね。

川口 むしろどこの国にも,原初的な心身一元論はあるのではないかと思います。西欧では主流でないだけです。

 西欧では「我,思うゆえに我ありのデカルト的な心身二元論に基づいた生命倫理観が主流で,まず高尚な魂=思考する脳が重要視されているため,自己決定ができなくなったら生きていても意味がないと考えられがちです。

 そうした思考はALSの医療にも反映されていますよ。例えば,英国では優れた緩和ケアのプロセスがありますが,長期人工呼吸器の装着はQOLの低下であるとして,選ばないよう導かれます。自己決定できなくなるのだから自律できなくなる。だから呼吸器を選ばないという考え方が主流です。オーストラリアの患者会でもALS患者家族を対象に,穏やかな死を迎えるための講習会が行われています。

「それでも生きたい」への共感

――呼吸器の選択については,本人の意思が重要だとして,事前指示書やリビングウィルを書いておくべきとする風潮が,日本でも強まっていますね。

川口 それも,西欧的な心身二元論に基づくものでしょう。日本は西欧に比べて遅れていると言われますが,「あなたは生きたいか,生きたくないか」という問いそのものが,おかしいという議論もあります。

 心の中では生きたいと願っている患者さんでも,先々に不安があったり,自分が生きていることで家族が苦しむと思うと,その生きたい気持ちを表出することは難しい。葛藤の末「呼吸器を着けない」選択をしてしまうこともあります。日本は現在のところ呼吸器を選ぶことができる国ですが,ALS患者8000人強のうち,呼吸器を着けていない7割の中にも,そうした事情から着けられない方はかなりいます。押しつけに近いかたちで生死の選択を迫られるALS患者の悲しみを,私は日ごろからひしひしと感じています。

 人間は孤独ですが,独りぼっちで生きているわけではなく,他者との関係性で生き方も考え...

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