医学界新聞

対談・座談会

2010.05.31

【座談会】

在宅ケアの現場には不思議な力がある

秋山正子氏(株式会社ケアーズ 白十字訪問 看護ステーション統括所長)=司会
河野政子氏(聖路加看護大学大学院 看護学研究科修士課程)
平原優美氏(あすか山訪問看護 ステーション所長/首都大学東京大学院 地域・在宅看護学 CNSコース)
野口忍氏(前北摂総合病院 訪問看護ステーション所長/大阪府立大学大学院 在宅看護学CNSコース)


 自分はどこでどのような最期を迎えたいか。大多数の人が病院で亡くなる今,そのようなことを考える機会は多くありません。また,介護における家族の負担や,何か緊急事態が起きたときの不安を考えると,残された時間を自宅で過ごすということに躊躇する人も多いのが現状です。しかし,在宅ケアでは,終末期の患者の思いがけない力に驚かされることがあると聞きます。それは,自宅が本来の居場所であり,自分らしさが保てる場であるからではないでしょうか。

 本紙では,このほど『在宅ケアの不思議な力』を上梓した秋山正子氏と,在宅ケアの現場で働くなかでさまざまな課題を見いだし,現在大学院でよりよい在宅ケアのあり方を模索している3氏を迎えた座談会を企画。患者のもっとも身近な医療職である看護職として,死にゆく人を支えるためには何が必要なのか,お話しいただきました。


秋山 近年,終末期を自宅で過ごす方々のための在宅ケアが注目され,なかでも訪問看護師の役割が重要視されてきています。在宅ケアは発展途上で課題も多くありますが,それを上回る魅力と思いもよらないような力があることをよく経験します。私はそのことを伝えたくて『在宅ケアの不思議な力』にまとめました。幸い,病院,在宅ケア,学校,患者さんなど多くの方に読まれているようです。

 本座談会では,ご出席の3人の方に事例を紹介していただきながら,在宅ケアの現状や魅力をお伝えできればと思います。また,今後の看護のあり方について話し合っていきましょう。

終末期の鎮静をめぐって(Aさんのケース

野口 私が今年3月まで勤務していたステーションは,2.5人のスタッフで運営していますが,終末期の方も多く,がん以外の疾患を含め年間約30人の看取りをしています。この事例では,1か月ほどのかかわりのなかで把握したAさんの背景や価値観などから,「鎮静されている」という状態はAさんにとって不本意なのではないかと考え,動いていきました。

秋山 フェンタニルによる傾眠状態に不信感を抱いたAさんの気持ちを汲み取り,Aさんの思いに沿うような提案をしたのですね。在宅では,鎮静を早くからかけることはあまりなく,患者さんの状態を見ながらぎりぎりのところで判断します。患者さん本人も「ちょっと体がつらいけれど,家族と話のできる時間がほしい」など自己決定することが多いです。

 しかし,場合によっては「家族が患者さんの苦痛を見ていられないのではないか」と察して医療者が鎮静をかけることもあるようです。鎮静に対する考え方は医療者によっても異なるので,倫理的な問題を含めてもっと話し合うことが必要ですね。

野口 昨年参加した日本死の臨床研究会でも,鎮静の是非を問う発表が多い印象を受けました。私自身は個々のケースにおいて,家族関係や生活背景,価値観を把握しながら,鎮静が最善なのかどうかをチーム全体で検討することが重要なのではないかと考えています。

秋山 個々のケースの全体を見ながらチームで動いていくことは,訪問看護師の重要な役割です。そのためにはチームメンバーとの円滑な関係が不可欠です。さらに,他職種との連携は何と言っても「顔の見える関係」が大切ですね。

全体を見ながらチームで動く

秋山 家族をチームケアの一員として支援しながら患者さんを看取る状態にしていく視点も非常に重要です。

野口 奥様がAさんの主介護者だったのですが,それまでの生活ではAさんがすべてを決定してこられたので,奥様が物事を決断することが難しい状況でした。また,Aさんが終末期にあることに対して心の準備ができていなかったので,奥様をサポートすることが不可欠だと考えました。

秋山 看護の基本は「その人の持っている力を引き出す」ことです。訪問看護師は,患者さんだけでなく,ご家族の持っている力を最大限引き出していくさまざまなスキルを持っていますね。

野口 患者さんのことは,ご家族が一番よくご存じです。例えば「お父さんは熱いお風呂が好きだから,熱めのタオルで身体を拭いている」など,家族にしかわからない個別性のあるケアを工夫して行っています。しかし,介護はご家族にとっても非常に負担が大きいものです。ですから,「すごいですね。やっぱり○○さんのことをよくわかっておられますね」などと声をかけることで,達成感や自己肯定感を得られるのではないかと考え,日々実践しています。

遺族が「よかった」と思える選択を支援する(Bさんのケース

河野 私が以前勤務していた訪問看護ステーションでは,終末期のケアに積極的に取り組んでおり,自宅で亡くなるまで数日しかないような方も引き受けていました。Bさんは,病状が悪化して病院ではもう治療ができないとのことで,ご自宅に帰っていらした方でした。しかし1か月後,Bさんが動けなくなったのを機に在宅療養の限界を感じた家族が話し合い,PCUに戻ることが決まりました。

 当時は私自身も,自宅で最期を迎えるには訪問看護だけではなく,ある程度家族の介護力が確保されていなければ難しいと感じていたので,Bさんが置かれた状況下では入院となっても仕方がないと思っていました。しかし,所長からもっとできることがあったのではと問われ,どうすればよかったのか考えるようになりました。

秋山 本人のご希望に沿えないということも,現実にはありますよね。奥様はBさんが亡くなった後,どのように思っていたのでしょうか。

河野 Bさんが亡くなった後に奥様とお話しする機会があったのですが,「自分も精一杯やったし,最後は一緒に入院してゆっくり見送ることができたのでよかった」とおっしゃいました。

秋山 周りの人がいくら「最期まで自宅でみてあげたかった」と思ったとしても,中心に据えるべきは患者さんと家族です。訪問看護師は水先案内人として,少し先を読んだ提案や情報提供を行いながら,遺された家族が「それでよかった」と思えるような選択と,その選択を全うすることを支え続けることが重要ではないでしょうか。

終末期に寄り添う体制をつくる

秋山 河野さんがおっしゃったように,終末期の患者さんに寄り添うには,そのための体制整備も必要ですね。例えば,英国では亡くなる直前の48時間を「hands on care」が重要な時期として,とても大事に考えています。そのため,Marie Curie nursesやMacmillan nursesなどの団体が,希望があればトレーニングを受けた看護師を派遣し,交替しながらそばに居続けることができる体制をとっています。

 私は日本にもこのような仕組みがあれば,最期まで自宅で過ごせる人がもっと増えるのではないかと考えています。そこで今,患者さんが自宅で最期を迎えるという選択をしたときに,ともに寄り添ってサポートできるボランティアを育成する活動に取り組んでいます。

 また,地域においても,看取りの経験者を演者に迎えたシンポジウムを続けています。在宅ケアの関係者,病院のスタッフや市民が一堂に会し,実際に同じ地域内で家族をみとった人たちの話を通して,病院が機能分化して長く入院できなくなっていること,その受け皿として在宅療養支援があることなどを話し合う。そして「住み慣れた地域で最期まで暮らせる」「訪問看護という支援がある」と知っていただくことは,とても重要だと思うのです。

自分の誇りを傷付けられたと感じるとき(Cさんのケース

平原 当ステーションでは,がんの方を中心に年間30人前後の看取りをしています。近年がんの治療は長期化しており,これまで入院して行っていた化学療法などを外来で受け,在宅療養をしている患者さんも非常に多いです。そのようななか,Cさんのように化学療法ができなくなってから訪問看護を受ける方も増加しています。Cさんは化学療法をやめてからの症状の進行が早く,ご自身も家族も不安に感じていらしたのですが,自宅でせん妄が出たときに家族がびっくりしてしまい,コミュニケーションが取れない間に緊急入院となってしまいました。

 私はCさんが入院なさってからお見舞いに行ったのですが,ご自宅では美空ひばりさんのような凛々しいオーラのあったCさんが,ベッド上での排泄がうまくできないことを,スタッフから強く言われていたことに非常にショックを受けました。また,医師に「こんなに重症なのだから,自宅療養は無理ですよ」と言われたことで気力が失せてしまい,Cさんの本来の姿を取り戻すことなく亡くなりました。

秋山 医療者の言葉や態度から,Cさんは「自分の誇りや自分らしさが尊重されない」と受け取られたのですね。

平原 病気というのは,人生の長い流れのなかではほんの一部分の出来事です。しかし,医療者はその一部分だけを切り取って“優秀な患者”“生活管理ができない患者”などと判断する。もちろん専門職としての責任を持って自分の知識や技術を患者さんに提供するなかでは,ときには指導も必要です。しかし大前提として,人生に寄り添い,学ばせていただいているのだというスタンスがなければ誤った関係性になりかねません。

秋山 医療者も患者さんも,お互いにきちんとコミュニケーションをとりたいと思っていても,急性期病院が多忙を極めていることによる難しさもあるように思います。

病院の退院調整で早めに在宅チームにつなぐ

野口 近年,必要性が叫ばれる退院調整は,2008年の診療報酬改定で退院調整加算も付けられたことで,広く行われるようになっています。しかし,平均在院日数が14日を切るような急性期病院では,退院患者数も非常に多く,退院調整が難しいことが指摘されています。きちんとした退院調整を受けることができなかったがゆえに,退院後すぐに再入院となる方もおられます。ですから,まずは患者さんのいちばん身近な医療職である看護師が,患者さんの退院後の生活を考える視点を持ってケアを行うことから始めてほしいと思います。

秋山 そうですね。先日,京都大学医学部附属病院で退院調整を行っている宇都宮宏子さんから伺った話をご紹介しましょう。がんは40歳から介護保険が適用されるのですが,申請を勧めても「自分は寝たきりではないから,介護保険は必要ない」という人も多いそうです。しかし,宇都宮さんは「介護保険を使うことであなた自身が低められるのではない」と伝え,必要な情報を提供して早めに在宅チームにつなげるようにしているとのこと。このような視点を持った看護が行われると,もっと病院と在宅ケアの連携もとりやすくなると思います。

 また,私たち訪問看護師も自分たちの役割について,もっと積極的に病院に情報発信し,早期からかかわるよう努力しないといけませんね。

平原 私もCさんの看護を通して,もっと早い段階,例えば外来で化学療法をしているときからCさんにかかわって,訪問看護師がその方の生きる力を支えることができる存在であることを知っていただきたかったと,強く感じました。病気に関する情報は世間にあふれているようにも見えますが,実際に有効な情報を患者さんが手に入れているとは限りません。Cさんが入院された病院にもがん患者の相談室や図書室などはありましたが,Cさんには訪問看護の情報がまったく与えられていませんでした。早期の段階から訪問看護師がかかわることによって,そのときどきに合った情報を提供したり,医師との仲介に入ったりするなど,さまざまな役割を担うことができるのではないでしょうか。

■学生に伝えたい,在宅での患者の力

秋山 以前,急性期病院に勤務する友人に「在宅ケアはその人の人生をまるごと引き受けるので,自分には重くてできない」と言われたことがあります。しかし実際には,患者さんはさまざまな力を持っているし,社会にコミットしながらユニークに生きていますよね。

野口 そう思います。しかし,「終末期の患者さんは家に帰っても何もできない」と思っている看護師は少なくありません。私は以前,臨地実習中の学生に「授業で習って思い描いていた在宅患者さんと違う」「皆さんいきいきとされていて驚いた」「病院での患者さんの顔と全然違う」と言われたことがありました。

 患者さんは,自宅に帰ると“生活者”あるいは“父親”“母親”などの役割を持っています。そのような役割を取り戻すことで本来の力が発揮できるし,それまでの痛みが嘘のように軽くなることもあります。その実際を学生だけでなく,ぜひ教員の方にも知ってもらい,実態により即した教育を行う工夫が必要です。

河野 総合実習において,病棟実習でかかわった患者さんの在宅療養の様子をみる,という試みをされている大学もあります。野口さんがおっしゃったように,入院しているときと自宅にいるときとでは患者さんもご家族も表情がまったく異なるので,このような実習も有用かもしれません。

平原 私たちはご自宅にうかがうことで,患者さんについてのさまざまな情報を自然に耳にし,その方の人生を感じることができます。このように,対象理解をしやすい在宅実習は「看護とは何か」を学ぶ絶好の機会です。しかし,実際に実習生を受け入れて感じるのは,とにかく慌しいということです。

 ステーションと病院の連携もまだまだ不十分ななか,病院と在宅での実習がちぐはぐになっていることも否めません。教育機関,訪問看護ステーション,病院に勤務する看護職同士が顔の見える関係にあれば,学生への指導はもっとスムーズにいくのではないでしょうか。例えば,当ステーションは首都大学東京のすぐそばにあるので,大学の資源をお借りしたり,教員を講師に迎えて研修会を行うなど,近隣の訪問看護ステーションにも声をかけてさまざまなかかわりを持つようにしています。

秋山 平原さんたちのように,普段から顔の見える関係をつくっておくのは,とても大切だと思います。また,教員の方もたくさんの実習施設を兼務していて大変ですが,ぜひ実習中の現場に足を運んでもらい,ともに学生の学びを助けることができるといいなと思います。特に,日々の振り返りは非常に重要です。慣れない現場での実習で学生たちは緊張しているし,同じケアを見学しても,見えている内容はそれぞれ異なるので,ケアの裏付けや意味合いがわかるような丁寧なカンファレンスが必要ですね。

野口 私たちが実習を受け入れていた大学は,毎日教員がステーションに来られます。学生同士のディスカッションだけでは学びが浅いので,カンファレンスにも出てもらい,フィードバックするようにしていました。教育においても,そのような協働が不可欠だと感じています。

各々のライフサイクルに合わせた柔軟な勤務形態を

秋山 超高齢社会において,今後ますます病院の機能が特化し,自宅で療養する方が増加していくことが考えられます。しかし今,再び療養型病床頼みに戻り,かつ入居待機者を減らすため,施設を増やそうという動きがあるのも事実です。これは,施設や病院に患者を収めようという方向に再び向き始めているとも考えられ,在宅医療を推進してきた者として懸念を抱いています。

河野 このような動きの背景には,訪問看護師の不足も一因として挙げられています。私が実際に訪問看護師として勤務して思ったのは,看護師として普通に働きたいという人が勤務するにはさまざまな障壁があるということです。小規模の訪問看護ステーションの中には,休暇もとりづらいし,もっと勉強や研究をしたいと思っても,日々の業務で精一杯というところもあります。

 在宅ケアに長くかかわってきた看護師のやる気や力量は,非常に高いと思います。しかし,いくら個人の看護実践が素晴らしくても,その方々が頑張るだけでは在宅ケアの裾野は広がっていきません。ですから,病院に勤務する看護師が在宅ケアの分野に転向したときに長く働き続けられるような環境整備が必要ではないでしょうか。

秋山 管理者の視点からも,各々のライフサイクルに合わせて自分の時間が使えるようにフレキシブルに雇用することは,非常に重要です。特に,在宅ケアの現場は自分自身の経験を生かして働くことのできる場であり,看護の知識や技術を磨ける場でもあります。ですから,もっともっと頭を柔軟にして,多様な勤務形態で働く人たちの力を借りながら在宅ケアの力を広げていけるといいですね。

多職種協働のなかで話し合って動ける仲間を増やしたい

河野 私は以前,雑誌『訪問看護と介護』の連載「マグネットステーション」の内容を抽出してまとめたことがあるのですが,いわゆるマグネットステーションの何がスタッフを引き付けているのかを検討したところ,所長さんがスタッフの話をよく聴いているんですね。訪問看護師は,1人で患者さんのご自宅に行って,ときには葛藤しながら仕事をしています。だからこそ,帰ってきたときに誰かと悩みを語り合えることが大事なのだと思います。

秋山 確かに重要な視点ですね。ただ,管理者に余裕がないとスタッフの話をいつでも聞くというのは難しいこともありますね。

野口 私は1日2回のカンファレンスを必ず行い,スタッフが帰ってきたら「おかえりなさい。どうやった?」と尋ねるなど,何でもすぐに話ができるような環境づくりを心がけていました。また,一緒に食事をしながら患者さんのカンファレンスをすることもありました。

秋山 平原さんも,いつも笑顔でスタッフを迎えていますね。

平原 スタッフは1人で業務を行うことが多いので,1日中緊張していることが多いです。ですから,ステーションに帰ってきたら自分の思いを自然に話せるようなホッとする雰囲気をつくりたいと考えています。

 でもそれ以上に,スタッフも患者さんもすごく愛しい(笑)。患者さんが遠出をしたいと言えば叶えてあげたいし,スタッフが長期で海外旅行をしたいと言うなら行かせてあげたいです。そのようにして,自分が尊重されていることを感じ,感性が豊かになっている看護師は,自然とよい看護をするようになると思います。

秋山 先日NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組の取材を受けたときに,ディレクターの方に「スタッフ1人ひとりが凛と立って,まばゆいくらいです」と言われました。そのとき,私は最上の褒め言葉だと思いました。在宅ケアの現場は特に個々の看護師の自立が望まれますが,他職種との協働や連携のなかで,専門職者として凛と立って自立してものを考えることは,すべての看護師がめざすべき基本的な力ではないかと思います。

 『在宅ケアの不思議な力』にも書きましたが,安心して最期まで生活できる「まちづくり」に訪問看護師の力は欠かせません。今後ますます期待される在宅ケアにおいて,訪問看護師として実践能力を高めるだけではなく,その魅力を多くの方に伝えながら仲間を増やす努力を重ねていきたいものです。後に続く方々が,こうやって学びながら実践の場にも良い影響を与えてくれていることがわかり,有意義な座談会となりました。これからのご活躍を期待します。

野口氏の事例
 Aさん,男性。妻と二人暮らし。がん末期で疼痛コントロールをしており,痛みを表すNRS (数値的評価スケール)は10段階中5。亡くなる2週間前に往診医がフェンタニル貼付剤を増量したところ,強い眠気で傾眠状態となった。看護師が揺り起こして声をかけると「この薬は大丈夫なんか?」「誰もかれも信用ならん!」とだけ言われ,眠り込まれた。

 Aさんは痛みをとるために麻薬の増量に同意されたが,こんなに強い眠気がきて会話や日常生活行動が制限されてしまう状態は予想していなかったのではないか,このように鎮静をかけられた状態は不本意ではないのかと思い,野口氏は妻に意向を聞いたが,妻は「私にはわからない」と言った。そこでスタッフとケアマネジャーとカンファレンスを行ったところ,やはり本人は不本意であろうという結論に達し,往診医に相談した。その結果,次回はフェンタニル貼付剤を減量し,痛みが増強するようならレスキュードーズで対応することになった。Aさんは,3日後のフェンタニル貼付剤減量後はしっかり覚醒し,NRSも2でレスキューを使用することもなく経過し,食事や家族との会話を楽しむことができた。あるとき,「あのまま終わりたくなかった」とAさんがぼそっと言われた。その後,徐々に傾眠となりせん妄も出現したが,亡くなる当日には娘や孫も泊まりこみ,皆に見守られながら逝去された。

河野氏の事例
 Bさん,80代男性。妻(肝臓がんで通院治療中)と二人暮らし。3月に大腿骨頸部骨折で入院後,胃がんの末期と告知され緩和ケア病棟(PCU)に転院したが,本人の強い希望で1か月後に退院した。息子二人は車で1-1.5時間かかる他府県に在住し,週1回の頻度でBさん宅を訪れている。5月末頃になって食事飲水量が激減して衰弱が進み,腹水も著明となり,簡易トイレへの移動がかなり不安定な状態となった。5月29日早朝「トイレからの立ち上がりの際,床にしゃがみこむよう崩れてしまった」と,妻より泣き声で電話が入った。妻自身も介護できる体力がなかったため,夜間早朝の訪問介護サービス導入を検討。サービスを担う事業所が見つかるまで,従来通り夜間早朝は訪問看護で緊急対応し,昼間はサービスに入る時間を要望に合わせ調整,さらに妻以外の家族からの協力を検討するという結論となった。また,夜間は転倒の危険があるためオムツを当てて対処するよう,本人・妻に相談したところ本人も納得された。

 しかし,その3日後にも夜間トイレに降りてベッドに戻れなくなったことから,家族会議が持たれた。そこで,妻の心身の負担を考えてPCUに再入院するという結論が出され,本人に了承を得て再入院の手続きをしたと連絡をもらった。河野氏は家族だけで話を進めたことを残念に思ったが,介護力の限界を考えるとやむを得ない,事情を酌んだPCUスタッフがご夫婦ともに入院の形で引き受けてくれることがせめてもの幸いと受け止めた。しかし所長からは「なぜいまさら入院なの? プライマリーナースとしてもっとできることはなかったの,それでいいの」と投げかけられた。BさんはPCU再入院4日後に永眠された。

平原氏の事例
 Cさん,女性。がん末期であり,外来化学療法を受けていた。Cさんは化学療法の副作用にも1人で耐えながら必死に頑張ってきたが,医師から診察時に突然治療中止の宣告をされた。医師に自分の気持ちを伝えることもできず,見捨てられ感を持ったまま在宅療養が開始となった。Cさんは,家で死にたい,いつも自分らしくありたいというはっきりした気持ちを持っていた。しかし,これまで1人で痛みや副作用に耐えてきたことを「自分らしさ」と考えていたため,残された人生を自分らしく生きるということへの切り替えがなかなかできなかった。「体に悪い薬は避け,気力で頑張る」と話すCさんに,緩和医療の意味を理解してもらい,在宅療養は敗北ではないと理解してもらうことは難しかった。

 残された時間でCさんがやりたいことを支援していきたいと思っていたが,Cさんは「これまで何年も自分で化学療法の副作用に対処してきたし,生活も自分で何とかできているので,訪問看護はいざというときにお願いします」と話し,治療のための注射を打つわけでもない訪問看護の役割をなかなか理解できずにいた。平原氏たちも十分なケアを提供できないままに,往診医と連絡をこまめに取って対応していた。そのようななか,どうにかしてCさんがやりたいことを引き出したいとかかわるなかで,「旅行がしたい」という希望を聞けたことから,家族旅行を企画した。その後症状が急激に悪化し,せん妄が出現するなどしたため家族が不安になり,病院への緊急入院となった。Cさんはその後,病院で最期を迎えた。

 

(了)


秋山正子氏
1973年聖路加看護大卒。日本バプテスト病院産婦人科勤務を経て,阪大医療技術短大看護学科,日本バプテスト看護学校にて教鞭を執る。90年実姉の末期がんでの看取りを経験後,92年より白十字訪問看護ステーションに勤務し,訪問看護に携わる。2001年ケアーズを設立し,09年より現職。看護学部の非常勤講師として後進の育成に携わるほか,健やかに暮らし,安心して逝くためのまちづくりにも取り組んでいる。本年3月にはNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも取り上げられた。

河野政子氏
1982年大阪市立住吉看護専門学校卒。卒後,11年間の臨床経験後,大阪市立看護専門学校,神戸市看護大にて看護教育にかかわる。神戸市看護大に在籍中,研究フィールドとして在宅ホスピスケアに力を入れている訪問看護ステーションとかかわり,訪問看護の実践をしたいと一念発起。その後,東京への転居を機に在宅看護実践について本格的に学びたいと考え,上級実践コースで学びを深めている。

平原優美氏
1987年島根県立総合看護学院保健学科卒。島根県立中央病院に4年間勤務した後,91年より都内の梶原診療所で訪問看護を行い,ステーション開設所長となった。2006年訪問看護認定看護師を取得,同年6月より現職。現在所長業務を行いながら,首都大学東京大学院の地域・在宅看護学領域在宅看護CNS コースで「外来化学療法を行っている患者への訪問看護での緩和ケアをいかに行うか」を模索している。

野口忍氏
1995年国立刀根山病院付属看護学校卒。国立循環器病センターに3年間勤務した後,98年民間病院の訪問看護ステーション開設スタッフとなった。2000年北摂総合病院訪問看護ステーション,05年より同所長。今年4月より北摂総合病院の「看護師キャリアアップ支援制度」の1期生として,「人間生まれてくる場所は選べなくても,死ぬ場所くらいは選びたい」をテーマに,大阪府立大大学院の在宅看護学CNS コースで学んでいる。

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