医学界新聞

寄稿

2010.01.11

【新春企画】

指導医に聞く
研修医の忘れられないひと言


 研修医のみなさん,あけましておめでとうございます。ところで,みなさんは指導医とどんなことを話しますか? 医療についてはもちろん,日常生活の相談まで乗ってもらえて,本当に頼りになる大先輩ですよね。あれ?「怒られてばかりです」なんて言っているのは,誰ですか?

 一方,指導医は,みなさんとの何気ない会話を案外覚えていたりするものです。そこで今回は,新春企画として人気指導医の心に残る研修医のひと言を聞いてみました。指導医もまた,研修医とともに成長しています。今年も指導医と一緒に頑張りましょう!

川尻宏昭
今 明秀
林 寛之
尾藤誠司
古屋 聡
名郷直樹


川尻宏昭(組合立諏訪中央病院内科総合診療部部長)


「先生! そんな言い方しなくてもいいじゃないですか!」

 これは,臨床研修必修化前に初期研修医が外来で私に対して発した言葉である。確か,私が医師となって7年目くらいだった。私はこのときのことを,そこでの会話一つひとつよりもむしろ,研修医の表情も含めてまるで写真のように「絵」として記憶している。

 そのころ私が勤務していた病院では「外来研修」を行っていた。私はその日,外来の診療および教育の責任者であったが,自らも「初診患者さんの診察」にあたり,かつ「研修医が診た患者さんのコンサルト」にも応じていた。まだまだ「全く余裕のない指導医(?)」であった私のもとに,その2年目研修医が,自分が診察をした外来患者さんの相談にやってきた。私はそのとき診察室のいすに座り,机に向かっていた。備えてあるシャウカッシェンに掲げてあった患者さんのX線写真を眺め,時間に追われながら,所見をカルテに書いていた。研修医は「先生,よろしいですか」と私に声をかけ許可を得た後に,プレゼンテーションを始めた。私は,いつもの通り研修医の話を聞いていたつもりであった。数分後,研修医が突然「先生,そんな言い方しなくてもいいじゃないですか」とかなりきつい口調で言った。一瞬,何が起こったのか,私には全く理解できなかった。研修医は「もういいです」と言って私の前を去っていた。

 なぜ,研修医はそんな言葉を残したのか? 私は,そのとき「研修医の顔をほとんど見ることなく机とX線写真に向かい,自分の仕事を中断することなく,決して良いとは言えない態度と言葉」で,研修医のコンサルトに乗っていたのだろう。また,私が発した言葉の中には,おそらく「研修医個人を否定するような」内容があったと思われる。私は,決してそんなことを思うことなく行動し,発言していただろうが……。

 その後,私は「研修医と指導医の関係」について考え,そして「教育」に興味を持つようになった。「教育とはコミュニケーションである」と尊敬する先生から教えていただいた。「研修医と指導医の関係」は,「患者と医師の関係」と共通する部分が多くある。「研修医からのひと言」は「医療における教育というコミュニケーションの大切さと力」を学ぶ大きなきっかけとなった。

研修医へのひと言メッセージ
 医療の現場には,研修医にしか見えないものや,できないことが多くあります。研修医という立場だからこそ感じ,見えることを大切にし,堂々と意見を述べてほしいと思います。そして,そうすることで医療人にとって大切な「相手に対する思いやり」と「謙虚さ」を身につけてほしいと思います。


林 寛之(福井県立病院救命救急センター科長)


「あんなにたくさんの文献,本当に読んでるんですか?」

 某雑誌で連載をかれこれン年も続けていると,けっこうしんどい。後期研修医のために情報を提供しようと,鼻息も荒く連載をスタートしたものの,膨大な文献に埋もれて読み倒すだけでも毎月多くの時間をとられてしまう。

 そんな折,素朴な疑問からか研修医に「本当に読んでるんですか」と聞かれたので,「正直心外だ」と思うと同時に,最近弱音を吐きつつあった自分を見直すいい機会になった。ありがとう。「もっとまじめに継続的に取り組まなくては」とお酒とテレビも絶った。なるべく身銭を切って文献を購読した(年間約100万円! もったいないから読まないといけない)。「読み捨て」のスピードも意識して上げるように心がけた。それでも時々スランプになると,あの言葉を思い出し,自分を奮い立てるようにしている。

「先生はよくキレずにいれますね。すごい! 僕なんか心が折れそうです」

 救急は心が折れそうになることも多い。夜中に若い娘に「おっさん,こらぁ! ボケェ!」と怒鳴られ,「俺らの税金で食ってるくせにぃ!」と酔っ払いにからまれ,「本当に緊急性あるんですか? 適応は? 基準は? 責任は? なんで今,俺が行かなきゃならんの?」と理不尽に怒る後方専門医もいる。そう,「救急は知識,技術の獲得のみならず,精神修行の場と心得ないといけない」とはかの有名な道元禅師が言ったとか言わないとか……(言ってない,言ってない)。

 そんな折,私が理不尽にひとしきり怒鳴られて,一休みしていたとき,私に研修医が上記のごとく言ってくれた。私は別に忍耐強いのではない。何のことはない,理不尽に耐えるまでもなく憔悴しきって,怒る元気もないだけだ。なんと,私を仏様かと勘違いしているようだ。しめしめと思いつつ,喜ぶことも疲れてできない状態,あぁ年をとったものだ。若かりしころは,メラメラと怒りが沸いて,患者さんとも後方専門医とも火花を散らすことがある武闘派(と言ってもペアンを投げたり,モニターを蹴飛ばしたりしたことはない)であったが,結局ケンカからは何も得ることがないとわかってくると同時に,うまい具合に体力も衰えてきた。

 聖人君子からは程遠い短気な自分ではあるが,理不尽極まりない相手の頭の上に「仮想のチューリップ」を咲かせてみることで自分の心の平穏と客観性を保つ技術を身につけられるようになったのもつい最近だ。私は心が折れそうになるとき,彼ら彼女らの「勘違い」の賞賛を心の糧に,「いい人」の振りをするのに徹しているんだよ。ありがとう。

研修医へのひと言メッセージ
 ERって頭ばかり下げて格好悪いと思ってない? あれは患者のために頭を下げているんだ。「自分を制して頭を下げる姿は格好いい」のだ。「強い,偉い」医師より「優しい,患者目線」の医師をめざしてください。医療は自分のエゴのためではなく患者のためにあるんだから。名医より良医になりたいよねぇ。


古屋 聡(山梨市立牧丘病院院長)


「先生,爪切ってください」

 実は研修医でなく学生さんからのひと言です。2001年当時,僕は無床公立診療所の塩山診療所に勤めていました。

 僕は学生さんや研修医の実習を受け入れたとき,最後の面談で「最も印象に残ったこと」と「現在の古屋や塩山診療所に対する提言」をお願いしていました。山梨医大(当時)6年生として実習に来た伊藤彰洋君(現ファミリーメディスン株式会社)に尋ねたところ,少し考えて上記のように答えてくれました。

 僕は,見た目の印象と違って潔癖で,現在の病院内でも突出して手洗いの回数は多く,ディスポ手袋もたくさん使います。手袋をつけることで,逡巡せずに身体のどの部位でも,そのまま触れることができ,診断の遅れが出ないようにしたいからです。と,それはともかくとして,そんなに手を洗うのに,僕の手の爪はしばしば伸びています。ちょろいことに,爪かみ癖があり,いまだに歯が爪切りの代わりをしているからです。

 充実した日々を過ごしていると,爪が伸びているときがある,つまり不潔ですよね。今も診療の合間に,ふと自分の手や爪を見ると,伊藤君を思い出します(なんか胸がきゅんとなった)。

「先生,年寄りって元気ですね」

 当牧丘病院には山梨県立中央病院から地域保健医療研修の研修医(2年目)がやってきています。上記は昨年11月に研修したK君の最後の面談で,「当院で最も印象に残ったこと」という問いかけに答えてくれたひと言です。

 僕も20年前,3年目医師としてこの病院にはじめて赴任,そのとき全く同じことを思いました。県立中央病院で出会った患者さんたちは,60歳でも70歳でも,かなり病人に見えました。しかし,地域に出てきて初めて,「80歳でも90歳でもふつうに元気な人がいる!」と驚き,さらに訪問診療にも出かけるようになると,自然と共に生きる,たくましい老人たちの強さに打ちのめされました。

 現在,「元気でも病んでいても寝たきりでも死にそうでも」イケてる高齢者の生き様に惚れこんで,訪問診療を中心に活動している僕です。この原稿を書くナイスタイミングでいいことを言ってくれたK君に感謝します。

研修医へのひと言メッセージ
 キャリアのなかのどんなに短い時間でも一緒にいることで,お互いにすごくいい経験ができるのではないかと思っています。短期間でもぜひ,牧丘病院に遊びに来てください。


今 明秀(八戸市立市民病院救命救急センター所長臨床研修センター所長)


「ダメかと思いました。うれしいっす」

 彼は卒後4年目,救命救急の後期研修中。前日ERを発熱と呼吸困難で受診した老女について朝のカンファレンスで突っ込みが入った。「胸部CTで両側肺炎があるのはいいけど,その中央に見えているのは心嚢液じゃないの。閉塞性ショックの症状はあるの?」「血圧は低くありませんでした」。続く回診で,心エコーを行ってみた。「心嚢液が確かにあります。EFは55%あります。やはり,ショックではありません」「呼吸が速いね。代謝性アシドーシスは?」。心嚢液貯留は,経過を診ることになった。

 その6時間後に,彼からのPHSが鳴った。電話口で彼は焦っている。「血圧が下がりました。SpO2も88%です。これから気管挿管します。心タンポナーデでしょうか」「あれくらいの心嚢液貯留でショックになるなら,急性変化だよ。すぐに心嚢ドレナージしないと」。……すでに気管挿管されている患者の上体を持ち上げ,ファーラー位とした。彼は,ガウンを着て術野を消毒,私は心嚢穿刺セットをそろえる。ケタラール40mg静注で準備OKだ。「刺したことはあるよね」「CPA(心肺停止)で数回です」「エコーを見ながらやろう」。収縮期血圧はDOAが入っても70mmHg。彼の右手の16G針は,ゆっくりと皮膚を貫く。そして5cm,8cmと進む。エコーで心嚢液は見えるが,針先エコーはうまく見えない。「これくらいでしょうか」「方向は合っている。さらに進めていいよ」。ぷつりと音がしたような感触がこちらにも伝わった。シリンジに液体が吸引される。「うまい! あと5mm進めてからガイドワイヤーだ」。彼は無言。心嚢に管が入り,60mLを抜いたときだった。「血圧が上がりました。105です。すごい。すごい」。無言から一気にはしゃぎだす。「僕あのとき,ダメかと思ったんです。うれしいっす」。

「救急って,非生産的ですね」

救急医師16名と研修医3名で行う朝のドクターヘリミーティング
 独居老人CPA,アルコール依存意識障害,希死念慮が薄い薬物過量服用などなど,日常業務の中に確実に紛れ込んでくるこれらの行き場所を失った弱者は,初期診療にエネルギーがかかるわりに救命後の社会に対する経済効果は少ない。2年目の研修医が,救急を回って1か月してからぽつりと言った。「救急って,非生産的ですね」。確かにそうだ。だけど,弱い者の味方は,映画ではヒーローであったはず。患者を救った後に,どの患者も必ず言う,あのか細い声の「ありがとうございました」を聴き逃すな。それでいいじゃないか。

「感動しました」

 予測救命率の出し方をご存じだろうか。予測救命率が低い患者に医療チームが全力で立ち向かう。多くはそれでも失うことになるが,時には勝利する。滅多にないけれど,その場にいれば感動する。「すごいです。感動しました」。まだ医療者の常識に染まっていない1年目の研修医は感受性がいい。若い医師に感動を与える仕事,それは救急!

研修医へのひと言メッセージ
 学生時代に救急を志す理由に,テレビドラマの「ER」や「コードブルー」「救命病棟24時」などカッコいい職場のイメージがある。しかし,実際の救急医療の現場では,「救急って,非生産的ですね」に象徴されるような医学より社会学の問題が目立つ。救急医療に憧れてきても,これは違うと進路を変えるらしい。でも待て。君たちが憧れるカッコいい救急医はドラマの中だけではないぞ。本物の救急医を見てほしい。八戸には“山P”はいないけれど,カッコいい救急医が確かに存在する。


尾藤誠司(国立病院機構東京医療センター教育研修部医長)


 患者さんからのひと言も,ヘコむものほど勉強になりますが,研修医からのひと言もやはりヘコむものが勉強になります。思い出に残っているものをいくつか紹介します。

「お医者さんて,薬出しすぎだと思いませんか? 薬なんて5種類以上は出しても出さなくても変わらない気がするんですけど」

 B(尾藤)の回想:これは約10年前,私が卒後10年目くらいのときに言われたひと言。一緒に退院時処方などを書いていたときだったと思います。そのときは,「そんなことないよ! 一つひとつちゃんと意味あるんだから!」とたしなめた記憶がありますが,その後ずっと引っかかっていた言葉です。おそらく心の底では自分もそう思っていたのでしょうね。

 薬の限界や,医学の限界もよく理解できた今となっては(例外を除いて,特に高齢の方に対しては),その人が毎日「薬ばっかりだよなぁ」と思いながら口をアーンとして錠剤をバラバラ飲み干している姿を想像しながら処方箋を書けるようにようやくなりました。ありがとう。

「日本語で話してください」

 Bの回想:これはですねぇ,救急外来だったかな。卒後4年目くらいのとき,すなわちレジデントのとき。自分も知識がついてきたときだから,研修医にいろいろ教えたいわけですよ。それで,肺炎か何かの患者さんを診療していて,X線写真が上がってきたときに,まずは一緒についていた研修医に対してシルエットサインがどうとか確か講釈をし始めたんだと思います。

 自分としては,研修医に教育的な指導をしたあとで患者さんに向かって説明するつもりだったんですね。でも,研修医に話している最中も患者さんはわれわれの前にいたわけです。研修医の彼女は,そのときに自分ではなく患者さんに対して私が講釈をたれていると勘違いした。それで,私に専門用語をやめるように諭してくれたんですが,そのときの私はまだ若かったので「せっかく君に教えようとしてやっているのに!」みたいな感じでちょっとムカついた覚えがあります。おそらく,患者さんから見たらよけいに医師が自分に対して訳がわからないことを話しているように感じていたと思います。あれから,自分が医師として発する言葉についていろいろ考えるようになりました。ありがとう。

「Bさん,私のことわかってくれてるとは思うんだけど,あんまり問題の解決にはつながらないからな……」

 Bの回想:うっぎゃー,そんなこと言うか面と向かって! これはですねぇ,指導医として自分は相当いけているなぁと悦に入っていた卒後13年目くらいのときだったかと思います。研修医の悩みとか,それこそホレタハレタとか,そんなことにもけっこう首を突っ込んでいたころですねぇ。研修医から,いろいろな視点で信頼されていると勘違いしていたのですが……。たぶん,人間関係のことで相談に乗っていたときに言われたひと言です。

 研修医はけっこう軽いノリで放っていたと思われるひと言ですが,私はなかなかぐっさり来ましたねえ。なんだかんだ言っても年は干支で言うならひと回り以上違うわけですから。研修医がその年代の人間に相談してくる場合は,何らかの成果や利益を求めて相談してくるわけです。当たり前のことですが,そのときは正直意識してなかったですねぇ。その後,年輪を経た医師として,年輪を経た人間として研修医と接する上で,自分はどうあるべきか,どう振る舞うべきか,ということについて考えるようになりました。いやいやありがとう。

研修医へひと言メッセージ
 研修医の皆さん,これ読んだからって,あんまり意識して俺のためにわざわざヘコむこと言わないでくださいね。けっこう傷つきやすいほうなんです。


名郷直樹(東京北社会保険病院臨床研修センターセンター長)


「少し,わかりました」

 初期研修医とは,ローテートごとに30分ほどの個別の振り返りを共有している。そのときのひと言。循環器内科ローテート後の振り返りで,印象に残った患者は,との問いに,重症心不全から回復し,自立して帰宅した患者のことを語る。それに対して,いろいろ訳のわからないことを私が話す。どこまでも回復するということをめざすとどうなるのだろう。結局は死んでしまうんだけれど。へき地診療所で,回復しない患者ばかりを診てきたけど,それはやりがいのない仕事ではなくて,むしろやりがいのある仕事だったように思う,などと研修医にとっては,印象に残った患者とはむしろ正反対の患者について話す。

 そのほかにもいろいろ話したと思う。でも詳細は既に思い出せない。30分と言いつつ,1時間くらい話していただろうか。そして,振り返りの終わりがけになって,2年目の研修医が,臓器別専門医と臓器別の専門を何も持たない私のような訳のわからない医師との違いについて,こう言ったのだ。

 「少し,わかりました」

 私の好きな言葉に,「時おり」というのがある。例えば以下のようなものである。

「われらの父よ」 ジャック・プレヴェール

天にましますわれらの父よ
そちらにおいで願います
地上にはわれらが残りましょう
こちらも時おりすてきです

 こんな感じである。そして今日,「時おり」と同じように,「少し」という言葉がとても好きになった。研修医は,多分何かをつかんだのだ。そう思える。この「少し」という言葉からそれがわかる。「現実」とか「事実」とか言うけれど,それこそ現実にはとらえられないことばかりである。「臓器別専門医と総合医のギャップの現実」というのも同じで,そういう現実が明確にとらえられることなどない。「現実」こそ,一部しかとらえられないし,全体像を把握できることなどない。研修医のひと言は,それを明確に示してくれる。

 大事なことは,「少し」という控えめな言葉でしか語れないのかもしれない。「完璧にわかりました」,そんなのは,逆に勘違いというものだろう。この「少し」という言葉のリアルさは,「時おり」という言葉のリアルさに似ている。

「だいたいわかりました」

 こりゃだめだな。

研修医へのひと言メッセージ
 全部をわかるということの中には,少ししかわからないということを含む。

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