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医学界新聞

2010.01.04

新春随想
2010


わが国独特の保健医療福祉政策に根差した看護専門職者教育の発展

佐藤 禮子(兵庫医療大学副学長)


 2009年7月9日「保健師助産師看護師法及び看護師等の人材確保の促進に関する法律の一部を改正する法律案」が衆議院本会議で可決,成立し,2010年4月に施行されることになった。このニュースは,「日本看護協会ニュース」が,『看護教育,新時代の幕開け,看護師の基礎教育「大学」主流へ,新人臨床研修が制度化』という大見出しの号外で発信し,一気に人々の関心を集めた。骨子は,看護師国家試験受験資格に「大学」を明記,保健師・助産師の教育年限を1年以上にすること,そして,卒後研修の努力義務化である。

 看護基礎教育(3年課程)の教育内容は,指定規則制定の1951年から16年目の1967年に導入された改正カリキュラムによって大きく転換された。新しい考え方,すなわち,看護は病気から始まるのではなく,健康から始まるという教育の実施は,2年半ばかりの米国留学を経て帰国した筆者にとっては看護の基本であり,当たり前と受け止めた。

 筆者の看護観は,米国の大学での看護教育の一端に触れ,大学病院のチャージ・ナースという立場で医師と協働する経験,アキレス腱手術を全身麻酔で受ける患者体験等々を通して大きく変化していた。そこには,文化,人間観,成育環境,社会構造,医療制度等々,健康にかかわるすべてが関係した。

 看護基礎教育の改正は,第4次改正にまで至り,この間に看護職者の名称は“師”に統一され,看護専門職の国家資格は看護師免許を基盤とすることが定められた。看護学は学問としての地位を獲得できたが,実践の科学としての看護学は,看護現場で具現化する実践者の一人ひとりが,その行為に対する社会的評価を得て,確立させていくものとなる。

 身分を定める法律改正がないままに,質を担保する教育が先行する現状においては,変化自体を必須としつつも,社会構造との関係を見誤らない智恵が必要となる。看護専門職者が責務を果たす領域は人の健康生活の保持であり,働きの場のために必要となる免許取得教育では,国民皆保険というわが国独特の制度との関係,また米国とは大きく異なる病院の成り立ち等についての教育が重要である。

 極言すれば,入院生活,在宅療養,地域生活,どの場にあっても看護の本質は変わらず,その場で果たす役割・機能が免許に規定されることになる。医師・薬剤師が6年教育となり,世界に伍して看護専門職者としての地位を獲得するための教育年限は重要な課題である。国家資格が一本でない看護専門職においては,実践の科学である看護学と免許制度の在り方とを懸命に区別して発展させることが今後の方向性を決める鍵となるであろう。


わが国のがん対策

垣添 忠生(国立がんセンター名誉総長/日本対がん協会会長)


 がんは全世界の健康上の課題となった。このため,世界共通のがん対策として実践されているのは1)喫煙などの予防策を進める,2)科学的に有効ながん検診を精度高く,受診率高く実施する,3)がん診療の基幹施設を連携させ,標準的な診療を国中に展開し,がんの治癒をめざす,4)どうしても治せないがんには適切な緩和医療を提供する,この4点に集約される。世界保健機関(WHO)も,国際対がん連合(UICC)も,国際がん研究機関(IARC)も,ほぼこの4点を挙げて対策を進めてきた。

 わが国の立場も基本的には同様である。ただ,個人が心がけるべきことと,国あるいは行政が展開すべきことを両面から進めていることが目に付く。2006年6月,がん対策基本法が成立し,わが国のがん対策が法律に根差して展開されることとなった。この法律において,喫煙などのがん予防,がん検診の重要性,がん診療の均てん化と人材育成,地域がん診療連携拠点病院の整備,治療の初期からの緩和医療の提供,がん登録の推進,相談支援・情報提供,そしてがん基礎研究の重要性など,がん対策上重要な文言がすべて盛り込まれた意義は大きい。

 この法律の大きな特徴は,その第4章に「がん対策推進協議会」のことが書き込まれたことである。委員は20名以内で,メンバーはがん診療の専門家や有識者だけでなく,がん患者・家族・遺族の代表を含めて厚生労働大臣が指名する,という点で画期的である。つまり,本法成立の背景に,わが国のがん医療の地域間格差,医療機関格差,そしてがん情報格差の解消を求めるがん患者・家族など,広く国民の声があったことの反映である。

 がん対策基本法は2007年4月から施行され,直ちに「がん対策推進協議会」が立ち上げられた。2か月間の集中討議の結果,「がん対策推進基本計画」がまとめられ,これが閣議決定された。今後10年以内にがんの年齢調整死亡率を20%削減すること,そしてがん患者・家族のQOLを向上させること,を二大目標として掲げている。今後はその実現に向けて,特段のがん予算と人材の投入が強く求められている。


医療と希望

玄田 有史(東京大学社会科学研究所教授 希望学プロジェクト)


 希望学という研究を,2005年から何人かの仲間と続けている。仲間は,政治学,法律学,経済学,社会学,さらには哲学,人類学と多岐にわたる。希望学を始めたのは,2000年代に入ってから「希望がない」という言葉を,頻繁に耳にするようになったからである。

 そもそも希望って何なの? 希望の持てる人とそうでない人に分断されてしまう社会って何なの? 希望と社会の関係を研究した成果として,われわれは『希望学』(全4巻,2009年,東京大学出版会)を刊行した。

 希望の話を,ある医学関係の方々のシンポジウムで話したことがあった。「これからの社会,本当に大変だと思う。でも大事なことは,いろいろあるけれど,大丈夫だよ,と若い世代に伝えていくことなんじゃないか」。

 そう言ったら,あるお医者さんから叱られた。「患者に安易に大丈夫だなんて言ってはいけない」。ショックだった。

 何の努力も葛藤もなくて,大丈夫だなどと安易に吹聴するのは,無責任に決まっている。そんなことはしてはいけない。でも,「コレコレこういうことをちゃんとしておけば,なんとかなるよ,大丈夫だよ」,そんな経験を踏まえた言葉が,人に希望を与える。生きる希望を与える。

 希望は挫折や苦難を乗り越えた先,いや,乗り越えられなくても,何とかくぐりぬけた先に,出合うものだ。そんなことを教えてくれる大人に希望学は出合ってきた。

 「希望がない」とは,時として,未来に対するイマジネーション,もしくはファンタジー,さらにはフィクションの欠如を意味する。それらを空想だなどと,バカにしてはいけない。明日は良い一日になるかもしれないという想像力は,生きる源(=希望)であることを,希望学は発見した。それはきっと,医療の世界に携わるみなさんがご存じのことだろう。

 ある老人から聞いた言葉。「人生には無駄なことってないんだよ。まんざらじゃないんだ」。「まんざらではない」。その意味を今,かみしめている。


南アフリカワールドカップ
世界最高の舞台へ

清水 邦明(サッカー日本代表チームドクター)


 今年2010年は4年に一度のサッカーワールドカップ開催年です。アジア予選を突破した日本代表チームも4大会連続で本大会に駒を進め,6月に南アフリカに乗り込みます。ワールドカップはオリンピックをも凌ぐ世界最大のスポーツイベントであり,期間中現地はもとより,世界中が熱狂の渦に巻き込まれます。

 筆者は,今年この南アフリカに日本代表チームのドクターとして帯同し,チームと戦いをともにさせていただく予定です。昨年から徐々に,現地大使館のドクターとコンタクトを取るなどしながら大会への準備を進めています。大会は開幕前の合宿期間を合わせれば1か月以上の長丁場であり,期間中にある程度の体調不良者(疾病)や負傷者が出てしまうことは避けられません。そのような状況下では,われわれメデイカルスタッフが的確な診断や対処を行えるか否かが,チームの勝敗に影響を与える可能性も否定できません。本大会はわれわれメディカルスタッフにとっても知識・経験・決断力・人間性・チームワークなどすべての資質を問われる場だと思います。

 ワールドカップはまた,国民の大きな期待を背負った「国の威信を賭けた戦い」でもあります。参加国の中には(特に欧米の先進国など),医療面でも複数の医師や最先端の治療機器・検査機器を準備し,「海外遠征」とは思えないような(大きな病院が丸ごと移動してきたかのような)態勢で臨んでくる国も珍しくありません。またサッカー伝統国には長いプロリーグの歴史があり,サッカーの傷害に関して長年にわたる経験の蓄積があるのは確かです。しかしながら,日本サッカー界にもサッカードクターの先人たちが築き,紡いでこられた伝統があります。さらにJリーグの創設以降,現場での経験値の点でもプレーレベル同様に急速な進歩を遂げているのは確かだと思います。そのような意味でも,われわれも他国のメディカルスタッフに負けないよう,全力を尽くしてチームをサポートしなければいけないと思っています。

 筆者のように,子供のころから夢中でボールを追っかけていたサッカー小僧が,スタッフとはいえ世界最高の舞台に立ち会えるというのは本当に幸運なことだと感じています。医師(整形外科医)として,あるいはサッカードクターとしてこれまでご指導いただいた諸先輩に感謝の気持ちでいっぱいです。今後半年間万全の準備態勢を敷いて,今回の代表チームが「南アフリカでの戦いは素晴らしかった」と多くの人々に記憶されるような勝負ができるよう,力になりたいと考えています。


往診先のペットに学んだこと

中井 久夫(神戸大学名誉教授・精神神経科学)


 私は現役時代,志願者を募って往診をすることがあった。そのときにすぐに診療につなげなくても,いっときでも患者の心の窓を開け放つぐらいの意味はあるだろうと私は思っていた。

 往診先にはペットがいることがある。私も二回経験した。

 少し古びた一戸建て住宅である。私は少し奥まった玄関に上がって正座した。お母さんがお茶を出したが,本人は出てきそうもない。

 代わりに赤いリボンを頭につけた小犬が出てきて,私の左横にちょこんと座った。私は「きみも心配しているんだね」と心の中で言った。通じているかいないかは二の次で,こちらの思いを口にしたものである。

 私はたまたま小用に立った。すると犬も立つ。座ってみた。犬も座る。これを何度も繰り返した。私は驚いた。いっしょに来てくれた精神科医は思わず拍手したくなったそうである。私はそれだけで引き揚げたが,愛犬のテストに合格したためか,数日後,本人が私の外来にやってきた。歳月が流れて,本人は書家になり,今は個展の案内が来る。

 だが,そういう場合ばかりではない。患者の家から一本の電話が届いたが,声の主は混乱しているようで,状況が伝わってこない。事情がわからないので,とにかく行ってみることにした。広大な農地の果ての裕福な農家。電話の主はお母さんで,患者が横になっている。「治療しても無駄だ」という。私は診療に疲れて広い庭に下りた。そこの椅子に座ると,大きな犬がやってきて,私の両脚の間に体を入れ,私を後ろ盾にして,他の人々に向かい合った。時々,小声で吠えた。ペットは飼い主の家族のことをとても気にしているのだ。「きみは独りではらはらしていたんだね」と私は心の中で言った。患者は理系の大学院生だった。幻聴は高校生からで,だんだん耐える力が弱くなったという。入院治療中に犬が失踪。嫌な気がした。実際,犬の直感は正しかった。

 ペットはとても家族のことを気にかけているようだ。往診先のペットとの「対話」も大切であろう。少なくとも,医者の不安・安心の度合いを嗅ぎわけている気がする。不安の体臭なら私もわかるときがある。


真の長寿社会へ
矍鑠百寿者の多い沖縄より

鈴木 信(沖縄長寿科学研究センター センター長)


 黄色地の紅型の羽織の上に頸から胸を真っ赤な布でレイのように飾り,その下に派手な青い着物の衿がのぞいて見える。風車を右手に持って,神妙な顔をしたK.Oおばあがスクリーンいっぱいにお目見えした。彼女は92歳で骨折するまで新聞配達をしていた。

 沖縄では,カジマヤー(97歳)のお祝いは結婚式より盛大に行われる。幼児に戻ったシンボルとして風車を持ち,7つの辻と7つの橋を渡ってパレードを行う。それはあの世へのリハーサルでもあるが,人々はその人の体に触れたり,その人の杯を受けることによって長寿にあやかるのである。

 昨年3月,パリのボルト・ド・ベルサイユのエキスポ会場で開催された特別講演は,超満員の観衆で埋め尽くされていた。スローガンの「よりよく生きるため,沖縄!」が会場や入り口に掲げられていた。パリではどうやら沖縄という言葉は長寿を想起させるようで,沖縄という名のお店や会社があちらこちらに見られた。

 長寿は西欧ではLongevityといって量的な生命期間の長さを指しているのであるが,東洋的思想では,生命の質の高さを指している。したがって高いQOLを寿ぐのである。

 近代医学の発展によって,日本でも平均寿命が女性は86.05歳,男性79.29歳になり,未曾有の長寿社会を迎えた。その最たる指標が百歳人口である。日本では約30年前には600人台であったが,現在4万人強となった。しかし30年前はその80%が矍鑠百寿であったのに,今や80%が虚弱・要介護百歳なのである。そして,高齢者の介護が社会問題となり,国家の財政まで圧迫している。

 今や,後期高齢者は社会の邪魔者扱いされている感があるが,沖縄には矍鑠後期高齢者が数多くいる。今日若者は生きがいをなくし,勤労意欲はとみに低下している。若者は矍鑠高齢者を手本にしてほしいし,高齢者は若者をリードしていく誇りと役割を持つべきである。21世紀は輝かしい真の長寿社会をめざそうではないか。


細菌学の100年
コッホ没後100年に当たって

柴 忠義(北里研究所理事長/北里大学学長)


 昨年から続く新型インフルエンザウイルスの蔓延は,医療や学校など現場での混乱を招いている。高病原性鳥インフルエンザ対策の盲点を突かれた感がある。感染症の制御は諸々の問題点を内包している。

 さて,歴史をみるまでもなく人類と病気との闘いは絶えず繰り返され,人々は多大な犠牲を払ってきた。例えば14世紀にはペストが西欧で蔓延し,人口の3分の1を奪ったといわれている。その後も梅毒,発疹チフス,天然痘などが世界中に伝播し,人々を恐怖に陥れた。18世紀にはコレラ,結核なども全世界的規模で大流行した。しかし,これら疫病の正体は不明のままであった。

 ところが19世紀後半になり病原体の正体に関して,科学的にメスをいれ微生物学,病原細菌学などの基礎を確立した人物が登場する。それがパスツールでありコッホである。特にコッホの病原菌三原則ならびに炭疽菌・結核菌・コレラ菌の発見は,後に続く研究者たちのバイブルであり,細菌学の発展を強固なものにした。コッホの研究方針は「学問は高尚なる事を研究するのみにて,独り自らを楽しむは本意にあらず。これを実地に応用し人類に福祉を与えてこそ学者の本分を尽くすものにして,真にこれ学者の任務なり」という彼の言葉の中にある。1886年から1892年にかけてドイツに留学し,コッホに師事した北里柴三郎は,自分たちの業績は自己の名声を得るためのもではなく,伝染病の脅威から人々を守り,一人でも多くの患者を救うことにある,と解釈した。

 多数の病原菌が発見されるとともに血清療法や化学療法剤の開発が進み,抗菌薬の時代が到来するが,現在,薬剤耐性菌の出現や院内感染症という新たな問題に直面している。

 2010年はコッホ没後100年の節目に当たる。今年は先人たちの功績や志をあらためて見つめ直す絶好の機会ではないかと考えている。コッホの口癖は「ひとときも怠ることなかれ」である。なんと重く深い内容なのだろうか。コッホはわれわれに油断・慢心することなかれと警鐘を鳴らしているのである。強く心に刻みたい言葉であると思われる。


胃癌の撲滅と若手研究者の育成

上村 直実(国立国際医療センター内視鏡部長)


 私は1979年に広島大学を卒業し,米国へ留学した後,広島の呉共済病院で13年間勤務した。2001年に国立国際医療センターに赴任して8年が経過している。臨床現場において上部消化管の生理と病態の解明に努めてきたが,中でもHelicobacter pylori(H. pylori)との出会いは衝撃的であった。H. pyloriに関する検討を始めた1989年当時は想像もしなかったが,胃・十二指腸疾患の病態のうち不明であった多くの部分がH. pylori感染により説明できるようになり,わが国の国民病とされる胃癌の発症への深い関与も明らかとなり,今や,除菌による胃癌の予防が現実的となっている。

 しかし,H. pylori感染率の低下に伴って若年者における胃癌の死亡率は激減しているものの,高齢者を中心として毎年5万人もの人が胃癌で死亡しており,今後20年間は人口の高齢化に伴い胃癌がさらに増加していくことが考えられ,医療費の増大が危惧されている。昨年,日本ヘリコバクター学会はH. pylori感染が関連する疾患群を「H. pylori感染症」として除菌を推奨するガイドラインを発表した。今年は,学会と行政との協力のもとに胃癌の撲滅へ向けた新たな出発年になることを期待している。

 一方,わが国では臨床研究や治験の活性化がうたわれているが,臨床研究のアイデアを生み出し実践すべき勤務医の労働条件についてはマスコミで周知のごとく惨憺たるものである。さらに深刻なのは基礎系医学研究者の激減である。昼夜を分かたず診療に多忙を極める勤務医の疲弊を改善し,時間的なゆとりを持たせる方策なくして,担当したリウマチ患者の問題を解決しようとしてiPS細胞の発見に到達した山中伸弥博士のような研究マインドを有する若手医師を育成することは不可能であろう。わが国の臨床および基礎研究の発展には,臨床に携わる若手医師が診療現場における疑問を持ち,その疑問を解決するための時間的・精神的ゆとりを持てる体制を緊急に整備することが重要と思われる。


アルツハイマー病ワクチン開発
飛躍の一年へ

田平 武(順天堂大学大学院教授/認知症診断・予防・治療学)


 今年は医学部卒業40周年,満65歳の節目の年に当たる。認知症診断・予防・治療学講座という,世界的にもまれな名称の講座を担当することになり2年目の飛躍の年でもある。

 アルツハイマー病は脳のアミロイド沈着によって形成される老人斑を病理学的特徴とする。大部分の研究者はこの老人斑の形成を防止し,できた老人斑を除去すればアルツハイマー病が予防・治療できると考えていた。

 しかし,アルツハイマー病のモデルマウスではうまくいったが,ヒトではアミロイドワクチンにより老人斑が見事に消失しても病気は進行し続けた。ここではっきりわかったことは,老人斑は“シロ”だったということだ。また,できるだけ早期にワクチン接種するほうが良いとも考えられる。

 現在研究者が目星をつけている真犯人は,アミロイドベータ蛋白(Aβ)のオリゴマーあるいは細胞内Aβ蓄積によるミトコンドリアやエンドソームの細胞内小器官の障害である。オリゴマーは2マー,12マー,アミロスフェロイド,プロトフィブリル等々いろいろな分子種が候補に挙げられている。

 もう一つ重要なことは,AβはTヘルパー1(Th1)細胞(最近ではTh17細胞)を活性化し自己免疫性脳炎を起こすということだ。アミロイドワクチン接種患者では脳炎を起こさなくてもAβに反応するTh1細胞の持続的活性化が起こっており,その結果脳の炎症機序が持続していたと考えられる。

 したがって今後のワクチン開発は,まず安全である,オリゴマーや細胞内Aβの除去が可能である,予防接種が可能で発病後の接種では病気の進行を緩徐ないし停止させることができる,Th2反応優位である,免疫機能が低下している高齢者にも有効である,投与法が簡便で安価であることが条件となる。われわれが開発しているアデノ随伴ウイルスベクターにAβ遺伝子を組み換えた経口ワクチンはこれらの条件の多くをクリアしており,特許の問題が片付いた今年こそヒトでの治験に向け大きく前進させたい。


身近な死のありがたさを感じる町づくりを

惣万 佳代子(NPO法人 このゆびとーまれ 代表)


 1993年,富山市に赤ちゃんからお年寄りまで,障害があってもなくても利用できるデイサービスを開所させた。

 20年間,富山赤十字病院で看護師として勤務した。退院許可が出たお年寄りが,「なんで家に帰れんがけえ。畳の上で死にたいと言うとるがに」と嘆きながら老人病院に転院した。その言葉で,私は同僚の看護師2人(西村和美・梅原けいこ)と共に病院を辞めた。

 開所して17年目になる。看取りをしたのは8事例である。ほとんどのお年寄りは病院で死んでいった。戦後,家庭からなくなったものは,赤ちゃんが生まれることと,お年寄りが死ぬことである。死が遠くなり,生活の中からなくなってしまった。

 核家族が増え,お年寄りを介護する場面を見たことがない子どもたちが増えてきた。命に限界があることや,命の大切さは理屈で教えてもわからないだろう。死にゆくお年寄りと一緒に過ごすことにより,五感で体得していくことが大事である。お年寄りは子どもたちに癒され笑顔になる。ゆっくりと温かい空気に包まれ,ごはんが炊ける匂いやみそ汁の匂いを嗅ぎながら,生活の中で死んでいく。

 それに比べると,病院の死は闘いである。臨終の場面では,医師や看護師,家族までもが,心電図のモニターの波形を見つめている。波がまっすぐになったときが死。そんな死が嫌であった。「口から食べることができなくなったら死」。それを基本的な考え方にしなければ,近い将来,日本は破錠してしまうのであろう。

 また,胃瘻を造ることをお年よりは望んでいるであろうか。104歳のお年寄りに胃瘻を造った事例を聞いたとき,「どうして?」と思った。胃瘻が必ずしもお年寄りの幸せにつながるわけではないのだということを,急性期病院の医師は知るべきである。

 私は死にがいのある町づくりを進めたい。「富山で暮らしてよかった」「わしはこの富山で死ぬんじゃ」と腹を決めること。身近な死のありがたさを感じる町づくりを実践していきたい。

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