医学界新聞

連載

2009.05.25

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第53回〉
事始(ことはじ)め

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 「先生,どうされていますか」とある会合で声をかけられた。どうしているかと問うたのは他大学の学長であり,どうするかという対象は卒業式,入学式の式辞のことであった。臨床家から大学人となった当初は,自分が「先生」と呼ばれることにいちいち“反応”してなじめなかったが,6年もたつと無反応になってしまい,先生という呼びかけに振り向く自分がいる。

 私は3月に入ると,式辞の構成を考え始める。頭の中で文章を組み立てたり分解したりして入学式の前日か当日の朝,式辞の原稿は完成する。構成は毎年ほぼ一定である。まず,関係者への感謝を述べる。そして,大学の歴史と使命を確認し,学生への期待を述べる。学生への期待をどのように表現するかがその年の世相を反映する。

学びの開かれた地で

 昨今,大学の教育理念や「運営の精神」を学生に伝え,学習に反映することが重要であり,自校教育は教養教育であるという指摘がある。今年の入学式(学部)は,本学の歴史的環境から入ることにした。

 聖路加看護大学は,商業地域が並ぶ銀座やお台場などの湾岸エリアのどちらにもほど近い,隅田川畔の東京都心に位置しています。ここはまた霞ヶ関や永田町にも近く,政策決定の中枢に容易にアクセスすることができます。

 かつて,ここには,赤穂藩主・浅野内匠頭長矩の本邸や,大正の文豪・芥川龍之介の生家がありました。キャンパスのすぐ向かいは,豊前国中津藩の藩医・前野良沢,杉田玄白らが『解体新書』を完成させた下屋敷や,福沢諭吉が後に「慶應義塾」となる蘭学塾を始めた場所でもあります。彼らが今から200年近くも前に,この地で暮らしここで息をしていたことを想像するのは愉快なことです。

 杉田玄白が『蘭学事始』を著したのは,文化12年(1815年),数え83歳であり,彼の死の2年前であったということです。この書はその年より40年前,仲間たちと『解体新書』の翻訳を敢行した当時のことを,遠く懐かしく回想した文章であり,学を開いてゆく者の不安とスリルと喜びを伝え,人々を学問の面白さへといざなう見事な書であると評価されています。書き出しはこのように始まります。「ちかごろ世間では蘭学というものが大流行である。志のある人たちは熱心に勉強し,無知な人は無知な人でむやみにえらいものだと感心している」。

刺激的で奥深い看護学探求の旅へ

 そして,本学の歴史を概説したあと,学則第一条に記されているミッションを述べる。

 学則第一条に本学の使命が記されています。「本学は基督教精神を基盤として,看護保健の職域に従事する看護専門指導者の育成を目的とする。即ち,治療予防保健指導の各面に必要な看護に関する科学的知識を養い,技能の熟達を図り,人格の涵養に努め,指導者としての能力を高め,学術を中心とした看護の実践と応用によって,看護および看護教育の進歩発展に寄与し,もって国民の福祉に貢献することを使命とする」。

 わが国は,医師不足,中でも勤務医の不足が社会的なテーマとなっています。しかしその背景には看護師の問題があり,近い将来,医師以上に大きな社会問題に発展する可能性は大きいと指摘されています。

 看護は「人間による治療」であると言い換えることができましょう。その意味で,知識・技能の学習とともに,人間を磨き鍛えることが大切となります。「専門ある教養人」として,ぶ厚い専門書から『源氏物語』まで,幅広いジャンルの本を読むことを勧めます。

 本学で,看護学事始(ことはじ)めとなる皆さんとともに,刺激的で奥の深い看護学探求の旅を続けていきたいと思います。

 こうして,式辞を述べることによって,私は純粋に大学のミッションを確認し,自分自身の原点に立ち返るといった作業を行うとともに,看護学事始めとなる新入生に敬意を表すのである。

つづく

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