医学界新聞

連載

2009.03.09

連載
臨床医学航海術

第38回

  医学生へのアドバイス(22)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 前回「視覚認識力-みる」に関連して,「現象学」の方法がイギリス経験論の帰納法に由来する自然科学的方法であることについて述べた。今回は「視覚認識力-みる」に関連して,「現象」を「整理する」ことについて述べる。

人間としての基礎的技能
(1)読解力――読む
(2)記述力――書く
(3)視覚認識力――みる
(4)聴覚理解力――聞く
(5)言語発表力――話す,プレゼンテーション力
(6)論理的思考能力――考える
(7)英語力
(8)体力
(9)芸術的感性――感じる
(10)コンピュータ力
(11)生活力
(12)心

視覚認識力-みる(5)

データ整理
 自然科学の正統的な方法は,まず最初に「現象」を忠実に記述することから始めることを確認した。ここで,「現象」を正確に記載するだけでは,そのまま「仮説」には行きつかない。その前に,記述した「現象」を整理しなければならないのである。

 このデータを収集してそれからデータを整理するという方法は,自然科学だけでなく,すべての科学の方法である。この科学一般の中でも,特にこの方法が確立されているのは文化人類学である。文化人類学ではいかにして効率的にデータを収集しかつそのデータを整理するかの方法論が議論されてきた。

 その文化人類学のデータ分析法として有名な方法に,「KJ法」というものがある。「KJ法」とは,文化人類学者の川喜田二郎(かわきたじろう)博士が考案したデータの収集・処理方法で,KJはこの方法を考案した川喜田博士の頭文字である。この方法はもともと文化人類学の研究の方法であるが,現在ではさまざまな領域の研究に応用されている。新医師臨床研修の指導医講習会に出席された方は,その講習会で実際に体験したかもしれない。

 この「KJ」法とは,データを収集し,それを似たもの同士分類し,次に,それらの似たもののグループ同士の関係を図にまとめ上げることによって,何らかの「仮説」を作り上げたり,全体像を理解しようというものである。聞いての通り,「KJ法」とは「現象」から「仮説」を導き出すボトム・アップの「帰納法」である。

 新医師臨床研修の指導医講習会では,この「KJ」法は新医師臨床研修のさまざまな問題点を相互理解するために用いられている。実際には参加者はいくつかの少人数の班に分かれて,「文殊カード」という特殊なカードに新医師臨床研修のさまざまな問題点を書き出し,その1つひとつの問題点を共通するグループにまとめ上げて,それぞれのグループに名前を付ける。そして,名前を付けたそれぞれのグループの相互関係を考え,最後に「文殊カード」を模造紙に糊で貼り付け,グループをマジックで囲い込み,グループ間の相互関係をマジックで図示し,それぞれの班が捉えた新医師臨床研修の問題点の全体像を,参加者全員の前で発表するのである。実際その発表を聞くと,新医師臨床研修の問題点というデータつまり「現象」自体はほとんど変わりないのに,発表されたものはこれが同じようなデータからできたものなのかと疑うほど多彩な製作物となるのである。同じ素材を使っても異なる料理ができるように,同じデータでもそれをどう処理するかによってできあがる製作物が異なってくるのである。

 診断過程も実は同様の過程である。患者の情報を収集し,それを似たものに分類して,それらの似たものの相互関係を考えながら,何の疾患が考えられるのか推測する。同じ問診と身体診察のデータでもそのデータをどう解釈するかで診断が変わってくる。

 プレゼンテーションのとき,自分が収集した問診と身体診察のデータをろくに整理もせずに,羅列してプレゼンテーションする人がいる。これは最低のプレゼンテーションで,単にデータを収集しただけである。よいプレゼンテーションというのは,単に収集したデータを羅列するのではなく,自分の考えている診断がわかるように,データを分類・整理・取捨選択してわかりやすく再構成してプレゼンテーションしたものである。しかし,優れたプレゼンテーションというのはこれだけではない。ほんとうに優れたプレゼンテーションとは,自分の診断過程に間違いがないかあるいは決め付け診断に陥っていないか,自分を客観的に評価しながら診断を行っているのがわかるプレゼンテーションなのである。

 こう考えると,第32回で紹介した「下腹部痛で,多分便秘だと思うんですけど,おなかも柔らかかったです……」という研修医のプレゼンテーションは,情報収集もろくにせずに勝手に診断を決めつけてそれに合った所見だけとるという患者を色眼鏡でみる診療の現れである。情報をろくに整理もせずに羅列してプレゼンテーションするのは,最低のプレゼンテーションと述べた。しかし,実はこの決め付けプレゼンテーションはもっと最低なプレゼンテーションである。なぜならば,この決め付けプレゼンテーションでは情報収集さえできていないからである!

 研修医と患者についてディスカッションするというのは,この情報収集を大前提として,その情報をどう分類・整理して,どのような鑑別診断を考えて,そのあとにどのような検査を考えるのか,そして,もしも診断が明らかならばどのような治療をし,どのようにフォロー・アップするのかを議論することである。ところが,またしてもここで大前提がひっくり返された!情報収集さえできていないのであるから,情報を分類・整理しようがないのである。

 こういう決め付けプレゼンテーションを聞くと,

 

 「小学校で何してきたんだー!朝顔やカブトムシの観察をほんとうにしたのかー!『ファーブル昆虫記』は読んだのかー?」

とムンクの叫びのように叫びたくなってしまう。

つづく

参考文献
川喜田二郎:発想法(中公新書,1967)

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