医学生へのアドバイス(21)(田中和豊)
連載
2009.02.09
連載 臨床医学航海術 第37回 医学生へのアドバイス(21) 田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長) |
(前回よりつづく)
臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。
前回「視覚認識力-みる」に関連して,「現象」から出発する哲学「現象学」について述べた。今回もこの「現象学」について考える。
人間としての基礎的技能 | |
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視覚認識力-みる(4)
帰納法
フッサールにより20世紀初頭に提唱された「現象学」は「現象」から出発する哲学である。哲学上ではこの「現象学」は斬新な概念であったが,この「現象」から出発するというのはもともとは自然科学の方法である。
惑星の運動という「現象」を記録し,そのデータを整理して,分析することによって,ケプラーの法則は導かれた。ニュートンの万有引力の法則はりんごが地面に落下する「現象」を見て思いついたと言われている。このように自然科学自体は哲学が「現象学」に発展する前に,すでに「現象」から真理を探究していたのである。その意味で,「現象学」は哲学に自然科学的方法を取り入れたということができるのかもしれない。
ここで大切なのは,自然科学の方法は「現象→仮説」という方向に向かって思考過程が進むことである。自然科学者は「現象」を記録し,そのデータを整理して,次にそれを分析して,ある「仮説」を作り出すのである。その「仮説」はある程度予想された「仮説」であるかもしれないが,全く予想できなかった意外な「仮説」かもしれない。とにかく結論はどうなるかわからないが,自然科学者は主観や先入観を排除して,客観的に「現象」を記述し,そのデータを整理し分析し,そして,そこから「仮説」を導き出さなければならないのである。この思考過程の大元はイギリス経験論の「帰納法」である。
ここで注意しなければならないのは,自然科学の正統的な方法は,最初に「仮説」があってそれに合うような「現象」だけを収集するのではないということである。例えば,学会発表のときに,「学会までにこの結論を導き出せるようなデータを出せ!」と指示して研究を行う人がいる。このような研究は自然科学の方法とは全く逆で,「現象」を忠実に記載してそこから研究せずに,結論にあった都合のよいデータをでっちあげることを「捏造(ねつぞう)」という。この「捏造」という行為は科学の本質と逆行する行為であるので,自然科学者だけでなくすべての領域の科学者としてあるまじき行為とされている。また,データを完全に「捏造」しなくても,実際に収集したデータを自分の都合のよい結論に結びつけるために多少の修正を加えるということをする人もいる。これもまた一種の「捏造」である。
ここで,この「現象」の観察記録である収集されたデータが,本当に正確かつ客観的に行われたものかどうかというのは,その「現象」を観察した本人しか知りえないことである。したがって,ある研究のデータが信頼できるデータかどうかというのは,その研究を行った当の本人しか知りえないことなのである。だから,ある研究が信頼できるかどうかということは,根本的にその研究者の良心に委ねられているのである。多少の「捏造」をして結論を導いても誰にもわかりはしないであろう。もちろん,研究を発表する段階で選考があるであろうが,その選考がすべての「捏造」をふるい落としているとは考えにくい。
この「捏造」という行為はもちろん意識的に行われることもあれば,無意識に行われることもある。この無意識に行われる「捏造」が,以前に記載した先入観にとらわれて色眼鏡で物事を観察するということである。先入観にとらわれて物事を観察すると,知らないうちに収集されたデータは偏ったものとなりがちである。そして,先入観を排除してみることができなければ,そのデータは何回見返しても誤りのないデータとしてしか認識されなくなってしまう。つまり,データを無意識的に「捏造」してしまっているのである。一度ある人を憎くなると,その人の悪いところばかりが見えるようになるのもこの理由である。
そして,診療上の誤診というのも通常この「無意識的捏造」が原因である。それでは,いったい誤診をどうやって防げばよいのであろうか? それには,やはりまず先入観を排除して「現象」を観察することが第一歩なのである。これを「現象学」のフッサール流に表現すれば「現象学的還元」が必要であるということなのであろう。
このように純真な童心に返って物事を観察する態度を,かの有名なサー・アイザック・ニュートンは次のような言葉で表現している。
私が世界にどう映っているかは私にはわからない。
しかし,私自身には浜辺で遊んでいる普通の少年のように思える。
そして,その少年は普通より滑らかな石かきれいな貝殻を探すのに時折没頭している。
真理の大海が私の前にすべて未知のまま横たわっている間に。
(次回につづく)
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