医学界新聞

インタビュー

2009.01.26

interview
医療現場に臨む哲学者の立場から,生と死をつなぐ道筋を見つめて

清水哲郎氏(東京大学大学院人文社会系研究科上廣死生学講座特任教授)に聞く


医療現場で哲学する意味

清水 1975年,私の妻に甲状腺がんが見つかり,その後10年以上にわたり何度も手術を受けました。初めは東京にいましたが,やがて,私が北海道大学に勤めるようになり,86年に妻も札幌に合流することになりました。

 その際に「ホスピスみたいなことをやっている病院だけれど」と紹介されたのがホスピスケアの草分けである東札幌病院でした。主に術後のQOL保持のための全身フォローアップで院長の石谷邦彦先生や,看護部長の石垣靖子先生(肩書きは当時)などに,お世話になりました。ちょうど終末期医療やQOLという概念が日本にも取り入れられ始めた時期でしたね。

 当時,すでに生命倫理学という分野が日本にあり,実際に医療現場に関係する問題が論じられることがありましたが,哲学・倫理学出身の研究者が,現場に眼を向けずに,机上でパズルを解くような感覚で議論していることに違和感がありました。

 そのような時期に,東札幌病院で開かれている職員対象の倫理セミナーで「哲学の立場から話してみませんか」と誘われ,初めて講師を務めたのが20年前の88年11月29日でした。

 実際に医療現場で現実の問題に向き合っている医療者との対話を通して,現場の具体的な問題を肌で感じることができました。きわめて実際的な臨床倫理の場に,哲学的分析をする立場で参加して,共同で考えることが,職種や職場の異なる医療者の共通言語形成を促し,医療の質を高めることに何らかつながるのではないかとの思いから,「医療現場に臨む哲学」を始め,さまざまな問題について医療現場の方々と話すようになりました。そして今もそこに深くかかわり続けています。

ケアリングの考え方を意思決定のプロセスに活かす

清水 これまで,医療者と患者および家族が,コミュニケーションのプロセスを通じて,親密な人間の間に成り立つ信頼関係を形成しつつ,合意に基づくケアを進める重要性を主張してきました。

 私が医療現場にかかわり始めて間もない90年には,日本医師会の第II次生命倫理懇談会が「説明と同意」についての報告を発表し,インフォームド・コンセントが“医師主導の説明と同意”という考え方で広まりつつありました。つまり当時は「調整」するのではなく,お互いの領域を線引きして「ここまでは医師の裁量権の範囲,ここからは患者の自己決定権の範囲」とする「調停」的な姿勢が背景にあったのです。私は即座に反発し,医師の裁量権と患者の自己決定権を線引きするような理論を“決定の分担論”と位置づけ,それに対して自説を“共同決定論”と位置づけ,自分の立場を明確にしたのです。

 そもそも医学は男性的な発想で理論構築されていますが,看護には全人的なケアリングという女性的な発想があって,それは大切にするべきです。振り返ってみると,私が「説明と同意」に反発して共同決定論を主張したことは,女性的な論理を導入することでもあったと今では思っています。男性的発想には,互いの利害がぶつかることもある,異なる立場の人間同士がどう折り合って,平和的に共存していこうか,という志向が強くあります。そういう場面では「権利だから」「義務だから」といった理由がよく使われます。そういう感覚が「説明と同意」には表れていたと思います。

 今,「男性的」「女性的」という区別の仕方をしましたが,これは男性中心的な社会のなかでなされてきた教育の結果としてあるものであって,内容からいえば,「他人同士が平和に暮らすための倫理」と「親しい人々が助け合って生きる倫理」との区別に当たるわけで,男女を問わず,双方を兼ね備えるべきものでしょう。で,後者の中心にあるのが,ケアというあり方なんですね。この二つを兼ね備えることが,臨床倫理にはことに必要で,医療者と患者・家族が一緒に考え,共同で意思決定をする,また,そうできるように患者・家族を支えていくという考え方です。

――看護の視点を活かしたshared decision makingの必要性を20年前から一貫して述べられてきたということですよね。

清水 患者さんの益を最大限に考慮した臨床倫理のプロセスにおいて,ナースが果たす役割は大きいと思います。かなり以前からナースたちは「できるから治療を行う」という医師の判断と,果たして本当に患者さんの益になるのかという看護的な評価のはざまでジレンマを感じていたと思います。2007年5月に発表された終末期医療の決定プロセスに関するガイドラインは,チームで臨床判断を行うという基本線を打ち出していますから,それなりのインパクトがあったと思いますが,いまだにナースは患者さんと医師との話し合いから切り離されている場合が少なくないことも事実です。医療の質向上のために,意思決定や問題解決のシステムを構築し,さらなる協働体制を整備する必要があると考えています。専門性の高い看護師が増えることなどによって,看護師を頼りにすることは医療の質向上につながるということが今以上に浸透するとよいと思います。

 一方,チームで判断するという場面において,医師と看護師の共同の場ができ,共通言語が形成される必要があります。ですから,看護側も自分たちの発想・思いを的確な言葉にして,相手にわかってもらうように提示していかないとならないでしょう。

――清水先生は「臨床の倫理原則」と「臨床倫理検討シート」を提案されています。

清水 医療倫理と言えば,いわゆる「4原則」(自律,与益,無加害,正義)が当然の前提として考えられていますが,私はこのなかで“respect for autonomy”(相手の自律を尊重する)という言葉で,相手を尊重することを括ってしまうのはまずいと思っています。ケアにおいて,患者さん自身が道を切り開いていければよいのですが,なかにはいろいろな事情でそうできない方もいるわけですから。サラ・フライ(Sara T. Fry)も4原則は看護のケアリングというあり方,精神は表していないとして,否定的ですよね。私が提案している「臨床の倫理原則」(表)や,「臨床倫理検討シート」()にはケアリングの精神を組み込んでいます。臨床倫理検討シートは医療方針の決定や医療・看護を進める中で起こった問題に関するプロスペクティブな検討にも活用できますし,すでに起こったことへの評価としても使用できます。これを用いることで,倫理原則に則って患者さんの益を考えながら事例の検討を行うことができます。ぜひナースに活用していただきたいツールです。

臨床死生学の試み

――現在,東京大学大学院グローバルCOE「死生学の展開と組織化」研究(拠点リーダー=島薗進氏)に,死生学講座の教授として参加され,臨床死生学を展開されています。

清水 本グローバルCOEは,(1)死生の文化の比較研究,(2)死生の倫理や実践に関わる理論的哲学的考察,(3)人文学の現代的実践現場への関与――を課題に,さまざまな人文社会系領域で行われている死と生に関する研究を,ひとつの“死生学”(Death and Life Studies)という領域に結集して,学際的な新たな地平を拓こうとしています。医学の高度化や多死時代の到来を間近に控えて,本COEで行われている研究と現代社会の要求との接点は多く,研究成果と実践的な臨床現場を上手につなげることが本COEにおける私の役割と自覚し,臨床死生学にかかわる活動を展開しています。

 そこで本グローバルCOEの生涯教育活動として,医療・介護従事者を対象とした短期セミナーを定期的に開催しています。終末期,周産期などいろいろなテーマを取り上げていまして,1月末には難病・高齢者ケアをテーマに実施します。毎回,多数の応募をいただき,ニーズの高さを感じています。

 セミナーでは,臨床死生学演習として医療・介護従事者同士によるグループワークで事例検討を行うなど臨床現場に直結する話と,死生に関する教養を深めることができるような人文科学・社会科学的な講義を組み合わせています。例えばある文学作品において死生についてどのような考えが表現されてきたか,その時代背景となる社会や世相とはどのようなものだったのかなど,日常業務では触れることのない視点からも死生に関する知見について教養を深めていただきながら,もう少し広い視野で日ごろ提供している医療・介護を見直す機会にしていただいたり,参加者自身の死生に関する考え方を深めていただけるような部分もありながら,このセミナーを企画しています。

 今後も,各領域における今日的な臨床死生学および臨床倫理問題についてより深く議論していただき,取りまとめるなど,さらに発展させていきたいと思っています。

――医療者が死生観を持つ重要性がしばしば指摘されますが,簡単なことではありません。

清水 死に直面した患者さんは,自分の来し方行く末というものを当然考えるわけです。臨床倫理のプロセス,意思決定のプロセスを立てるときに,患者さんや家族が今持っている,あるいはむしろ形成しつつある死生をめぐる価値観や人生観を大切にする必要があります。臨床死生学では,死生学一般を背景にしつつ,「医療者自身が死生について理解し,どういう価値観を持つのか」ということ,「患者さんの人生観や価値観,そして死生観を理解する」ことの両面から,生死に直面する人をケアする臨床場面で活きて働くような実践知をめざしています。そういう意味で,死生学セミナーは病院の中では知り合うことのない多領域の医療者との対話や,死生学一般に関する学際的な学びを得ることを通じて,一人ひとりの医療者が死生に対する視野を広げる機会になると思います。

:「臨床倫理検討シート」の最新バージョンは清水哲郎氏のウェブサイト「哲学する諸現場」からダウンロードできる。
  URL=http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~shimizu/index-j.html


清水哲郎氏
1969年東大理学部天文学科卒。卒後哲学を志し,77年東京都立大博士課程単位修得退学。北大,東北大を経て,2007年度より現職。専門分野は中世哲学,キリスト教思想史に加えて,88年頃より,医療の専門家と対話しつつ進める医療現場の哲学を試みる。現在,意思決定の進め方(臨床倫理学)や,死生をめぐる価値の問題(臨床死生学)が研究テーマ。日本医学哲学・倫理学会会長をはじめ日本哲学会,日本生命倫理学会,日本倫理学会,日本緩和医療学会(緩和医療ガイドライン作成委員)などの役員を歴任。著書に『医療現場に臨む哲学』『医療現場に臨む哲学II ことばに与る私たち』(以上,勁草書房),『高齢社会を生きる――老いる人/看取るシステム』(東信堂)など。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook