医学界新聞

寄稿

2008.11.24

【寄稿】

医学教育による国際協力
〈後編〉ラオスでの取り組み

大西 弘高(東京大学医学教育国際協力研究センター講師)


前篇よりつづく

 「これが首都なの。すっごい田舎っぽいなぁ」。ラオスの首都,ビエンチャンでの感想は,皆たいていこうだ。私も最初は,本当にそう感じた。決して金持ちじゃない。でも,表情の輝いている人たちが多い。日本の古き良き時代を感じさせる魅力がある。

 人は恥ずかしがりで,はにかんでいて,やっぱり日本の田舎に思える。こちらが,少し照れながら挨拶すると,たいてい少し照れ笑いで会釈してくれる。ラオス人は空気が読める人たちなので,話し合いのとき「この間言っていた……」などと少し会話を振ると,「あー,あれは……」などと的確に答える。私は,そんなラオスにあっという間にハマっていった。

「医療」ではなく「医学教育」による国際協力

 今回のプロジェクトは,日本からの無償資金協力(特に所得水準の低い国々に,返済義務を課さずに資金供与する援助)でビエンチャン郊外に2000年に建てられたセタティラート病院の,臨床教育強化が目的である。2007年12月から3年間で,この病院を中心に臨床教育のモデルを作り,それをラオスの標準とすることが目標である。2004年に,それまでの市民病院からラオス国立大学医学部の大学病院に移管され,2007年には大学が保健科学大学と名前を変えて,教育省から保健省に移管された。このような急激な変遷を遂げた病院の臨床教育システムを作るのは,なかなか魅力的なプロジェクトに思えた。

 さて,ここで行われている医療は,日本の30―40年前を彷彿とさせる。私も幼い頃に親戚の病院で見た光景に似ている気がした。ただ,とにかくいろんな常識が通じないので,状況がわかるにつれて面食らうようになった。臨床検査は,基本的な生化学,末梢血,電解質ぐらい。単純X線やエコーは撮れても,CTは機械の部品が壊れていて最近撮れなくなった。あとは消化管内視鏡がある程度。では,病歴や診察の能力はというと,けっこうとぼけたことを言う人が多い。

 あるとき,私よりも経験のありそうな内科医に相談を受けた。「鼻出血と性器出血があって,血小板減少性紫斑病だと思うけど,ステロイドはプレドニゾロンかデカドロンかどちらがいい?」。そんなの,エビデンスがあるのかなと思いながら,とりあえずどうやって診断確定したのか興味が湧き,「ちなみに,血小板の数は?」と聞いてみると,「いや,それは30万ほどあるんだけど」という答え。「あれ,それじゃ正常じゃない? それなのに,なぜ血小板減少性……」などと問いかけると,最初はこちらの疑問の理由もわからない様子だったが,徐々に事態を飲み込み,恥ずかしそうに笑った。「照れ笑いはいいけど,ベッドが真っ赤なティッシュでいっぱいになっている,この10代後半の女性はどうすればいいの。でも,血小板の凝集性テストなんてできないだろうし,とりあえず骨髄穿刺でもしてみるかな」と提案したら,この病院は血液疾患で郡病院からの紹介患者を集めているにもかかわらず,骨髄穿刺はやったことがないとのこと。「じゃあ私が週明けにやるから,穿刺針の消毒しておいて」と伝えた。月曜に病棟に行くと,彼女はその前日に入院費が払えなくなり,デカドロンを持って帰ったもよう。この病院が抱えている問題の深さを徐々に理解していった。

 われわれは,ここで立ち止まって考えることになった。このプロジェクトは医療協力ではなく,医学教育協力なのだ。それでは問題を直視していない,と感じる人もいるかもしれない。しかし,卒後20年近く経った医師の底上げをするのは極めて大変だ。「患者に副作用が出そうな治療を選ぶときには,診断の正確性を上げるべき」という臨床決断の話題を持ちだそうにも,その診断の正確性を上げるための武器がないことも多い。治療を開始しても,その効果判定ができないうちに患者は費用がかさみ,退院していくので,医師は自分の行った治療の結果がわからない。そんな大学病院は,日本では想像もつかないが,ここは4年前までビエンチャン郊外の市民病院で,医師たちも現状維持に甘んじているに違いなかった。

若手を使って,さらに若い医師を育てる

 次に,現場で内科2年目研修医と話してみた。研修医といっても,内科専門医コースに入るには最低5年のキャリアが必要と言われ,若手のホープといった感じ。英語で議論が十分できるし,病歴や診察も極めて論理立っていた。こういう若手を使って,さらに若い医師をどんどん育てるシステムしかない,私はそう思うようになった。

 ある中年女性は,発熱,腎障害,関節痛,白血球減少があり,抗核抗体が陽性だった。抗DNA抗体も,ANCAも測れないが,いずれにしてもSLEとしてプレドニン50mgから始めて反応を見るしかないんじゃないか。そんな議論ができた。このような若くてできる医師は,いつもはとりあえず先輩医師に相談したり,時に少し無視したりしてやっているようであった。

根づき始めた大学病院での臨床教育

 大学病院の利点は,医学生が次々と実習に来ることだ。最終学年である6年生にもなれば,ひと通り診察し,カルテも書く形ができている。彼らに,外来も救急も任せ,どんどん患者を診させるようにしよう。実は,この考えは,以前からこの病院の臨床教育に協力してきていた米国NGOの指導医たちも,カルガリー大学の医学教育者たちも思いついていた。現場に変革を指導していたが,なかなか実施に至らずにいただけだった。われわれがすべきなのは,残りのちょっとしたスイッチを入れることだと気づいた。

 今年6月には,研修管理委員会を立ち上げ,ここに中堅で比較的やる気のある医師や政治力のありそうな医師を集めた。そして,米国やカナダから彼らが教わったというMedical Teaching Unitの考えを改めて議論した。簡単に言うと,卒前の診療参加型臨床実習と,卒後研修とを有機的に統合し,医学生3―4名,初期研修医1―2名,後期研修医2―3名のチームで,患者を10数名診療するとともに,後期研修医は指導に徹する形のチームづくりである。それよりも年配の医師は,管理責任を取るとともに,病院運営に注力すればよい。

 研修管理委員会のメンバーはとても熱心で,日本の大学病院が最も悩んできた臨床現場での教育がここでは実現しそうな勢いである。日本との最大の違いは,このセタティラート病院では,患者が医師を尊敬する風潮があり,医学生が患者を診ることに抵抗がほとんどないこと(いや,実際には抵抗があっても,それを言い出せない雰囲気があるだけだろうが)であろう。改めて,この病院の雰囲気に感謝しながら,このプロジェクトの進行を見守っているところである。


*当プロジェクトに見学や協力を希望の方は,大西弘高(onishi-hirotaka@umin.ac.jp)までご連絡ください。

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