医学界新聞


宮本眞巳氏に聞く

インタビュー

2008.11.17

interview
宮本眞巳氏(東京医科歯科大学大学院教授・保健衛生学研究科)に聞く

患者との行き詰まった関係を切り拓くアプローチ
――アディクション看護


 依存症,生活習慣病……あらゆる診療科に現れる意思と行動の障害に苦しむ人々。「わかっちゃいるけど,やめられない」という患者たちを,医療者はどう支援し,ともに回復過程を歩んでいけばよいのだろうか。患者への理解と愛情だけでは多くの看護職が行き詰まってしまう時代を迎えている。

 この硬直化した患者-看護者の関係に,ひとつの解決策を提示するのが依存症者への看護アプローチ。この考え方を解き明かす新刊『アディクション看護』がこのほど発刊された。この機に,本書の編著者で,長くアルコール依存症者などへの援助を続ける宮本眞巳氏に詳しくお話を伺った。


――はじめに「アディクション」の定義を簡単にご説明ください。

宮本 アディクションは日本語では嗜癖といい,ごく短く言い換えると,「悪しき習慣」ですね。さらに言うと,アディクションに苦しむ方のパーソナリティは,「悪しき性癖」へと変容していることになるでしょう。

 生きていくうえで「こうすることが望ましい」「こうするとうまくことが回る」と信じていたら裏目に出て,むしろ生きづらくさせるような行動が嗜癖行動,そういう行動にとらわれた状態が嗜癖すなわちアディクションです。メリットがあるはずの行動がデメリットそのものに転化して,ひどい場合には生活が破綻します。破綻まで行かなくても生きていくうえでの低空飛行を強いられている――そういう状態を意味します。

わかっちゃいるけど,やめられない

――具体例をご紹介いただけますか。

宮本 アディクションの代表格はアルコール依存症ですが,お酒は百薬の長というぐらいですから上手に飲めばメリットがあります。ところが,ある限界を超えて飲酒行動に走ると,社会的な生活レベルがしだいに低下し,周囲に迷惑をかけ,生命にもかかわる。このように,飲酒行動は非常にパラドックスに富んだ行動であると言えます。アディクションとはこのように,自己矛盾をはらむ行動のマイナス面が,生活を覆いつくしてしまった状態と言えるでしょう。

 アディクションや依存症という言葉が生まれる以前から,人間の欲求がむき出しになった行動を端的に表す「飲む・打つ・買う」という言葉がありました。これはアルコール依存,ギャンブル依存,そして恋愛または性行為への依存にぴったり当てはまるんですね。

 新刊の中で,アディクションの本質に非常に近い言葉として,「わかっちゃいるけど,やめられない」というスーダラ節の一節を取り上げたわけですけど,改めてスーダラ節の歌詞(青島幸男作詞)を調べてみたら,一番から三番までが見事に「飲む・打つ・買う」に対応するんです(笑)。

――そうなんですか……(笑)。

宮本 「わかっちゃいるけど,やめられない」という状態ではまだ生活の破綻には至っていません。ただし,看護の視点から言うと,ADLは辛うじて保たれているけれどもQOLはかなり低下している。スーダラ節の伝えるメッセージは,人間の弱さを知ったうえで,お互いに認め合おうといったところだと思いますが,早々と命を落とす人もいますし,少なくとも周囲の迷惑は大変なものです。本人は自業自得かもしれないですが,アルコール依存症をはじめとするアディクション全般がDVや児童虐待の温床になります。そういう状況が予見できてしまえば,医療者として看過するわけにはいかないですよね。

――アディクション看護では,患者本人の「好きにさせてくれ」という自己決定の要求に対し,その論理の外から医療者が介入するわけですよね。そのあたりに現代性を感じます。

宮本 医療者は,患者の自己決定に沿った自立支援と,患者の自己決定や意思表示がなくても安全を確保するための危機介入の間で,ジレンマに立たされることが多いはずです。ところが,そのような認識は必ずしも医療界に浸透していないように思われます。その自覚さえあれば,自立支援も危機介入も大事だけれども,今はどちらに重点を置き,何を優先し,どのような手段を用いるのが適切かと考えればよいわけで,バランスのとれた解決は可能です。

 しかし,そのような問題意識が希薄だと,患者の意思決定と,医療上の危機管理のどちらかに偏ってしまうことになりかねません。

 看護者の場合について言えば「安全・安楽」の重視か,「自立・成長支援」の重視か,という二者択一に走りやすいのではないでしょうか。ご本人を放っておけない急性期は安全・安楽を重視した保護的なかかわりが必要で,危険な行動に「待った」をかける危機介入や,危険を未然に防ぐための行動制限も保護の一種といえます。でも,患者さんに自分の安全を守る力が戻ってくれば,保護の必要が薄れるので,自己決定の尊重へとバランスを切り替える必要が出てきます。

 そうは言っても,いきなりすべてを本人任せにするべきではありません。医療的な援助が不要となって,旅立とうとする患者さんの背中をそっと押す瞬間まで,回復と自立の段階に応じて,共に行動し,助言し,相談にのり,励ますなど,さまざまな自立支援があると思います。

 このような段階論に基づいたアプローチを,アディクション看護にかかわった人たちは早い時期から,経験を通じて学んできているように思います。

“異和感”は,患者に伝えていい

――危機介入,自立支援のバランスを考えたうえでの介入のタイミングや方法について,ツボや勘所はありますか。

宮本 私の使っているキーワードで言うと“異和感”を覚えたときがツボだと思います。

 患者さんと話していて「なんかしっくり来ない」という軽い不快感を味わった瞬間に,それを言葉にして伝える――これまで日本では,看護者も心理職も「傾聴,共感,受容」を重視するあまり,患者さんへの不快感を見て見ぬふりをしてきたのではないでしょうか。でも,ただ聞き入ってしまうと,患者さんは「何でも受け入れてもらえる」と援助者に過剰な期待を抱いたり,勝手な理屈や要求に走ったりしがちです。なかには,援助者がうなずくばかりで手ごたえが感じられないため,過激なことを言って援助者がどのように反応するか試す患者さんもいます。援助者としてはどちらに転んでもイライラしますが,そうなってしまった時点で患者さんに不快感をぶつけてしまうとバトルになります(笑)。ですから異和感を覚えたら,怒りに発展しないうちに,早め早めに伝えるのがコツなのです。

 カウンセリングの創始者,カール・ロジャーズ(1902-1987)は当初,「共感」と「受容」の重要性を強調しました。しかし,臨床経験を積み重ねるなかで,共感や受容が困難なクライアントと向かい合っているときには,自分の感情を不快感も含めてリアルタイムで自覚し,それを正直に伝えることが重要であることに気づき,これをCongruence(自己一致)の原則と名付けました。援助関係を壊さない範囲であれば,不快感を伝えても構わないということです。

 出会った瞬間から治療・ケアは始まっていると考えるべきなので,当初はある程度の慎重さを求められますが,慎重になりすぎると自己一致がおろそかになります。不快感を投げ返しつつ,それを適切な治療やケアにつないでいくための手順や方法論を集中的に学んでおけば,看護者はかなりの力を発揮できます。...

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