もしアメリカで病気になったら(1)
連載
2008.11.10
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第139回
もしアメリカで病気になったら(1)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)ケース・マネジャーの任務
以前に別の場所にも書いたが,2007年5月,私は,昔勤務先だったボストンの病院に緊急入院する体験をした。休日のERを受診,ただちに入院を指示されたのだが,病室への移送を待つ間に,当直のケース・マネジャーが現れた。急性期病院のケース・マネジャーがどのような職務を担当するかについては,拙著(註1)に詳述したが,その最大の任務は「退院の段取りを整える」ことにある(Case ManagerではなくDischarge Plannerと呼ぶ病院もあるほどだ)。
なぜ,入院が決まったとはいえ,まだ病室に移送されてもいない私のもとを「退院の段取りを整える」ことが仕事のケース・マネジャーが訪れたかというと,それは,アメリカの病院では,退院の段取りを整える仕事は,患者の入院が決まった瞬間から始まるからに他ならない。私のもとを訪れたケース・マネジャーは,保険の有無・種類,身寄りの存在,退院後の行き先などについて問いただしたが,必要な情報を得るやいなや「今日担当した中でお前がいちばん簡単な患者だ」と宣言,私のせいで時間を無駄にするのはもったいないといわんばかりに診察室を後にした。
支払いがしっかりした保険に加入している上,退院後の行き先も心配する必要がないのだから,彼女にとっては確かに「簡単な」患者だったのだろう。それが証拠に,8日間に及んだ入院中,二度と彼女と顔を合わせることはなかった。逆に,もし,私が無保険だったり,ホームレスだったり,退院後,次のレベルの医療施設や介護施設への転送が予想されたりした場合は,医療費の取りはぐれの心配や,退院先探しの手配をしなければならず,入院中,相談のために何度も病室を訪れていたに違いないのである。
低所得者を待つ過酷な運命
かくして,私の場合は,ケース・マネジャーの手を煩わせることなく,退院することができたのだが,アメリカで無保険・低保険の人が病気になった場合は,ケース・マネジャーの世話になるにしろならないにしろ,過酷な運命が待ち受けている。
ちょっと前までならば,「過酷な運命」の中身は,「医師・病院に対し多額の負債をかかえることになるので,病気が治ったとしても(あるいは,不幸にして病気が治らなかった場合も),退院後,借金の返済にあえがなければならない」というものだったが,最近は,下手をすると,「お前は保険に入っていない」,あるいは,「お前の保険は不十分だ」という理由で,治療を受けさせてもらえないのだから,事態は深刻である。
以下,最近,当地のメディア(註2)に報じられた実例を紹介しよう。
【症例:リサ・ケリー,52歳,女性】
ケリーが「疲れやすい」「あざができやすい」という理由で医師を受診したのは,2006年のことだった。急性白血病と診断された後,世界的にも有名ながん専門診療施設,M.D.アンダーソン癌センターを紹介されたが,「あなたが加入している保険は,うちの病院では保険として認めていない。前金4万5000ドルを用意しない限り初診の予約は受け付けられない」と言われたのだった。
M.D.アンダーソン癌センターがケリーの保険を「保険とは認めない」と断じた理由は,「約3万5000ドル」と保険給付に上限が設けられていたことにあった(註3)。2006年12月,ケリーは,金策の末,4万5000ドルの小切手を持参してM.D.アンダーソン癌センターを訪れた。末梢血・骨髄検査の後,医師は,即座に入院を指示したが,病院の事務部門は「いますぐ,さらに6万ドルを払わない限り,入院はさせられない」と,前金の追加を要求した。病院側は,「ここまでの4万5000ドルには,治療費のぶんは含まれていないから」と前金追加の理由を説明したが,合わせて10万ドル(1000万円)を超える前金を「今すぐ払え」といわれても,できるはずはなかった。
(この項つづく)
註1:『市場原理に揺れるアメリカの医療』,『アメリカ医療の光と影』(ともに医学書院)
註2:2008年4月28日付ウォール・ストリート・ジャーナル
註3:給付上限が設けられている民間医療保険は極めて多く,私が加入している保険にも「生涯100万ドル」という上限額が設けられている。私の入院時,この上限額が問題となることはなかったが,もし給付の積算額が100万ドルを超える事態になった場合,その途端に「無保険」の境遇に落ちることになるのである。スーパーマン役で有名な俳優クリストファー・リーブ(2004年没)は,1995年,落馬による頸椎骨折で四肢麻痺となったが,保険給付が上限額を超えた後,保険会社のテレビCMに出演することで給付を継続させたという。
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