医学界新聞

連載

2008.10.27

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第138回

Never Events 二つのリスト

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2801号よりつづく

Never Eventsの結果生じた医療費は支払わない

 2008年10月1日,米連邦政府が運営する高齢者医療保険メディケアが,「never events」(直訳すれば「決して起こってはならない事象」,本来は医療過誤の意)の結果必要となった医療行為に対しては診療報酬を支払わない,とする新ルールを発効させた。メディケアが定めたnever eventsのリストは表1に示したが,原型となったのは,医療の質向上を目的として1999年に設立されたNPO,National Quality Forum(NQF)が作成したリスト(表2)だった。

表1 Never Events:メディケアのリスト
・空気塞栓
・血液型不適合
・カテーテルに関連した尿路感染
・血糖値コントロールの不良に基づく病態の発現
・股/膝関節置換術後の深部静脈血栓あるいは空気塞栓
・転倒/外傷
・手術器具の体内取り残し
・褥創
・ある種の整形/肥満手術後の術創感染
・冠動脈バイパス手術後の術創感染
・血管カテーテルに関連した感染

表2  Never Events:NQFのリスト

外科
・部位取り違え手術
・患者取り違え手術
・手術術式の取り違え
・手術器具等の体内取り残し
・全身状態が良好だった患者の術中/術直後の死亡

医療機器
・汚染された薬剤/機器の使用による死亡あるいは重篤な傷害
・機器の誤作動による死亡あるいは重篤な傷害
・空気塞栓による死亡あるいは重篤な傷害

患者保護
・新生児の親/保護者以外への引き渡し
・許可なく医療施設を出た患者の死亡あるいは重篤な傷害
・患者の自殺あるいは自殺未遂により生じた重篤な障害

ケア・マネジメント
・薬剤関連の過誤による死亡あるいは重篤な傷害
・血液型不適合輸血などによる死亡あるいは重篤な傷害
・低リスク出産での母親の死亡あるいは重篤な傷害
・在院中の患者の低血糖による死亡あるいは重篤な傷害
・新生児黄疸の見逃しによる死亡あるいは重篤な傷害
・入院後に生じた3-4期褥創
・脊椎を操作する治療による死亡あるいは重篤な傷害
・精子/卵子を取り違えた人工授精

環境
・在院中の感電による死亡あるいは重篤な傷害
・酸素その他のガスの配管に関連した死亡あるいは重篤な傷害
・在院中の熱傷(火傷)による死亡あるいは重篤な傷害

 メディケアとNQF,never eventsの内容が大きく食い違う理由については後述するとして,現在,米国では,「医療過誤の結果として生じた医療費まで支払ういわれはない」という動きが急速に広がっている。「例えば,車を修理に出したときに工場側のミスのせいで必要になった修理の費用まで支払ういわれはない。医療も一緒だ」という,患者・支払側の主張はもっともであり,医療サービス供給側が反論することは難しい。2007年9月,ミネソタ州病院協会が「never eventsについて医療費を請求しない」と自発的に決めたのを皮切りに同様の動きが全米に波及,ニュースTV局MSNBCの調査によると,2008年8月段階でnever eventsに対する不請求を決定した州病院協会の数は23に達した。一方,メイン州は,2008年4月,医療施設が医療過誤によって生じた医療費を請求することを禁止する州法を可決,法律で有無をいわさず請求を禁止する州まで現れているのである。

変えられたNever Eventsの定義

 ここまで,州レベルでの不請求の動きに関しては,原則としてNQFのリストが採用されてきたが,メディケアが新たに作成したリストには,「院内感染」に関する項目が4項目含まれ,内容が大きく異なっている。もともとnever eventsの名には「決して起こってはならない(=always preventable)」という意が込められていたのだが,メディケアはnever eventsを「十分に予防しうる(=reasonably preventable)事象」と定義しなおすことで,院内感染に関連する項目を加えたのだった。

 では,なぜ,メディケアのnever eventsの項目に院内感染が加えられるようになったのかだが,その理由は議会からの圧力だった。2008年4月16日,下院監査・政府改革委員会が院内感染に関する公聴会を開催,「CDCが院内感染防止に関するガイドラインを10も作成して頑張っているというのに,保健省は,まったく努力が足りない」とつるし上げたのである。メディケアを管轄する保健省CMS()が「never eventsに対しては診療報酬を支払わない」とする方針を発表したのは公聴会開催の2日前だったが,「厳しく批判されることがあらかじめわかっていたので,never eventsに院内感染も含めることで,アリバイを用意した」とする解釈が成立するのである。

 かくして,メディケアとNQFとでまったく内容の違うnever eventsのリストができあがることになったのだが,官僚たちの「保身・アリバイ工作」で医療政策の中身が変質する現象は,洋の東西を問わないようである。

この項つづく

:Centers for Medicare and Medicaid Services

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