医学界新聞

連載

2008.08.25

看護のアジェンダ
 看護・医療界の“いま”を見つめ直し,読み解き,
 未来に向けたアジェンダ(検討課題)を提示します。
〈第44回〉
再考『これからの看護』

井部俊子
聖路加看護大学学長


前回よりつづく

 色あせたうす緑色の表紙のすみずみがくたびれ古文書のようになっている本が今,私の机の上にある。これから紹介したいと思っている『これからの看護』(エスター・L・ブラウン著,小林富美栄訳,日本看護協会出版部,1966年)の初版本で定価は500円とある。原書は『Nursing For The Future, A Report Prepared For The National Nursing Counsil』であり,1948年にRusssell Sage Foundationから出版されている。

1948年に描き出された看護業務の未来像

 本書が日本に翻訳出版された1966年(昭和41年),私は看護大学の2年生であった。表紙をそっとめくると,小林富美栄先生が書かれた「訳者のことば」がある。私はこの「ことば」に久しぶりに触れてうきうきした気持ちになった。小林先生はこう書いている。

 「本書がアメリカではじめて出版された頃,日本では看護教育制度の改革が行われていた。新しい看護教育制度は戦前のそれに比べれば飛躍的な変化をしたもので,この改革に並んで病院の看護業務の組織化と改善がはじまり,私共は新しい体制に向かって勇躍していた」と,わが国の初期の看護改革時代を伝えている。さらに,「アメリカの看護界では,いわゆるBrown Reportとよばれている本書が,余りにも新らしいビジョンを示していることで,このような事が現実化するのは50年も先のことだろうという声が高かった」。

 ブラウンレポートは,NNC(全国看護委員会)が,「量的にも質的にも需要に応ずることのできない看護教育制度自体の中に,根本的のみならず,常態化しているような欠陥がひそんでいるに違いない」と考え,調査の主査として依頼したエスター・L・ブラウン博士によって作成されたものである。この調査の基本的方針として,(1)既得利権としての看護事業を考えるのではなく,社会全体にとって何が最善かという視点から,看護事業および看護教育をとりあげること,(2)主査は可能な限り広く国内を実態調査すべきであること,(3)20世紀後半における保健事業の発展にしたがって要求されるであろう看護業務の未来像についても,できる限り明確な姿を描き出した上で,看護師の養成にはどんな種類の訓練や,一般教養と専門教育が必要であるかに関して調査を行うこと――,が合意された。

 例えば,予防医学の教授の一人は,「医学教育と看護教育とは完全に対等の基礎の上に行われるべきだ」と主張し,精神病学部の学部長は「研究や著述の同僚」となれる看護師を求めていることが記述される。

60年遅れのブラウンレポート

 ブラウンレポートには2000人以上の人々が関与し,半年にわたる個人やグループとの話し合いから採択された意見や方法などが勧告として示される。そして,「米国では,専門教育に精進している人々は,専門職業看護婦の育成には高度の教育機関が必要であると考えており,この意見に異議を唱える人はほとんどいない。彼等はこの結論に強い確信を持ち議論の余地はないと考える」(140頁)に至ったのである。

 小林富美栄先生の「訳者のことば」の後段はこのように続く。「さて18年を経た今日(筆者註;1966年9月頃を指す),アメリカではもうこのビジョンが現実化されており,日本ではようやく,20年前の時点と近い状態に当面している〈後略〉」と。

 時は,2008年7月7日。厚生労働省「看護基礎教育のあり方に関する懇談会」(座長=田中滋・慶應大学大学院教授)は,有識者からのヒアリングなどをもとに,「看護基礎教育の充実の方向性」について「論点整理」(案)をまとめた。

 委員のひとりとして参加した私は,この「論点整理」が60年遅れのブラウンレポートとして効力を発揮することを心から願うものである。21世紀になっても依然として,看護基礎教育の大学化を議論しなければならない現実に無念さを覚えながら。

つづく

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