医学界新聞

寄稿

2008.05.12



【寄稿】

米国メディカル・スクールの病理学教育
リアルからバーチャルへ!?

福嶋 敬宜(東京大学准教授(人体病理学・病理診断学)/同医学部附属病院病理部・副部長)


 医学部の病理学教育といえば,講義と並行して行われる顕微鏡実習が定番であったが,PC上で病理像を学ぶ新たな実習形態が生まれつつある。今回は,米国ジョンズ・ホプキンス大学(JHU)(ボルティモア)およびワシントン大学(UW)(シアトル)のメディカル・スクールを訪れ,近年発達してきたIT技術を活用して行われている病理学教育の様子を取材してきたので紹介する。

メディカル・スクールにおける病理学教育の概要

 両校とも,4年間のメディカル・スクールの第2学年に病理学を講義,小グループでの症例演習,顕微鏡実習などを通して学習する。この期間は,病理学と並行して,それぞれの分野に関連した病態生理・薬理学などのコースが組まれている。

 JHUでは現在,医学教育全体の改変が計画されている。2年後には,病理学という独立したコースではなく,基礎医学教科がすべてミックスされた“Gene to Society”という大きな枠組みのなかで,生体・疾患の基礎教育が行われるようになるとのことであった。

リアルからバーチャルへ

 従来,病理学実習室には標本セットが準備されており,学生は指定された標本を顕微鏡で観察し,主要な所見を色鉛筆でスケッチするというのが日本の大学で行われてきた一般的スタイルである。

 ところが,JHUの病理学実習室から顕微鏡は姿を消しており,その代わりにPCが並んでいた。そして,その前には熱心にディスプレイを見つめる学生たちの姿があった(写真1)。ディスプレイには,病理プレパラートが丸ごと映し出されており,学生たちは,その画像をドラッグしたり,拡大・縮小したり,隣の学生とディスカッションしながら思い思いに組織像を観察していた。

 これは,いわゆる“バーチャル・スライド(VS)/バーチャル・マイクロスコピー(VM)”を用いた実習風景である。“バーチャル”といっても,学習用に人工的に作った仮想の組織像という意味ではなく,実際のガラス・プレパラート上の病理組織標本全体を専用機器で高精細スキャンし,デジタル画像化したものである。専用ソフトを使えば,上記のようにディスプレイ上でその画像の移動,拡大・縮小が自在にでき,PCが“顕微鏡”と化すわけだ。画質は,通常の病理診断も可能なほどの精密さである。

 ちなみに,日本でも一部の大学が実習への導入を開始しており,また東京大学では昨年度からVMのweb上での利用(http://pathol.umin.ac.jp)を始めたところであるが,JHU,UWではそれぞれ3年前,2年前に顕微鏡実習からVMでの実習に完全移行されている。

バーチャル顕微鏡を用いた病理学実習の利点

 JHUを訪れた日は婦人科・生殖器病変がテーマで,直前に行われた病理学各論の講義に関連した症例が2時間の実習時間で8症例用意されていた。2名一組となった学生たちは,まず配布資料を読み症例の概要を把握し,その後,VMを用いて病変を観察していく。スケッチをする学生はいない。

 教員は,学生20名強の部屋にそれぞれ2名配置されており(全体が6室に分かれていた),学生らの質問に答えながら部屋を巡回していた。学生たちが症例検討を終えるころには,担当教員が,同じVMの画像を投影しながら病変の解説を行っていた。

 実習室にいた学生たちにVMを用いた病理学実習について聞いてみたところ,「全員が同じ標本で学べる」「見たいところをすぐ出せる」「画面上で問題の場所を指せるのでディスカッションが容易だ」,他には「目が疲れにくい」という意見もあった。また,病理学コース責任者のMcCarthy教授をはじめ,教員たちからも,「顕微鏡操作から教える必要がなく,指導しやすい」「貴重な症例や微小な標本でも1枚あればよく,標本の破損などに気を配る必要がない」などと,よい評価をする声が多かった。さらに,自宅からもVMにアクセスできるようになっており,自主学習にも便利である。

 VM実習についての否定的な意見は少なかったが,「顕微鏡で病変を観察するという機会をまったくなくしてもよいものか」という点については,日本でも米国でもまだ議論のあるところではある。ちなみに,病理学のクリニカル・クラークシップやレジデント教育は,もちろんリアルな顕微鏡を用いて行われている。

教員と学生を双方向につなぐ“ブラックボード”

 IT技術の活用として,もう一つ,“ブラックボード”を紹介する。これは講義に関する情報や配付資料のダウンロード,そして前述のVSの閲覧など,講義,実習を効率よく補完し,その効果を高めることを目的とした教育ポータルの機能を持つシステムである(http://www.blackboard.com/us/)。米国ではメディカル・スクールに限らず,すでに多くの大学が導入しており,告知,ディスカッション,講義の評価や試験の合否の通知などもそこを通して行われている。

 JHUのブラックボードで特に印象的だったのは,すべての講義ビデオも閲覧できることである(写真2)。これで,学生は自宅に居ながらにして,講義内容(ビデオ,パワーポイント),実習内容,配布資料を入手できることになる。

 過保護とさえ思える恵まれた学習環境のために,かえって講義に出席する学生が減るのではないか,などと余計な心配もしたくなるが,少なくとも,今回私が参加した講義や実習では,学生の出席率は非常に高かった。「講義に出ないと質問できないじゃない」と話してくれた学生がいたが,確かにJHUでもUWでも講義中には多くの質問が飛び交っていた。学生たちは,リアルとバーチャルをきちんと使い分けているようである。

病理学を楽しく学べる環境を

 何でもPCで行えばよいというものではないが,VMが病理学教育の強力な補助ツールであることは確かなようであり,今後日本でも急速に普及すると考えられる。

 以前にも本紙(2768号「病理に強い医師になる」)で述べたことがあるが,私の願いは,病理診断を理解し臨床にうまく活かせる臨床医が少しでも増えてくれることである。そのためには,医学生時代の病理学学習もその基礎としてもちろん重要であり,VMなども取り入れて少しでも楽しく学べる環境を構築できればよいと思う。

 今回は,米国メディカルスクールの学生たちの講義や実習に参加し,また視察をオーガナイズしてくれたHruban教授をはじめ両校合わせて10名あまりの教員たちとの会談などを通して,病理学教育の目標や実際の方法などについて考え直すよい機会になった。関係者各位には深くお礼を申し上げたい。


福嶋敬宜氏
1990年宮崎医大卒。関東逓信病院(臨床・病理),国立がんセンター(研究)のレジデント課程を修了。国立がんセンター中央病院医員,米国ジョンズ・ホプキンス大研究員,東医大講師などを経て,06年4月より現職。編著書に『診療・研究に活かす病理診断学――消化管・肝胆膵編』(医学書院)。

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