医学界新聞

2008.04.21



MEDICAL LIBRARY 書評・新刊案内


臨床で書く
精神科看護のエスノグラフィー

松澤 和正 著

《評 者》萱間 真美(聖路加看護大教授・精神看護学)

「自由」であるための自覚とこだわり

本書『臨床で書く』は360ページの大作であり,あたかも『ハリー・ポッター』とか『はてしない物語』のように重厚な装丁に仕上がり,見知らぬ世界を予感させる。読み始めても,中身は期待を裏切らない。精神科看護の経験がないひとにとって,繰り広げられる日々の真実はきっと「精神科看護は楽だ」というようなステレオタイプの見方をひっくり返すことだろう。

 また,巻末にある「精神科病棟の構造と機能」も,部屋の配置,人員配置,勤務体制,入院治療の流れ,看護の流れ,患者の日常生活など,精神科病棟のさまざまな要素が客観的に解説されており,精神科を知らない人への手引きとしても秀逸である。

臨床の「苦い思い」に向かい合う
 急性期の重篤な精神症状を持ち,自我の機能が極端に弱体化した状態の患者を受け入れ,手厚い治療と看護を提供する病院の看護師として,著者の松澤氏が遭遇した事例は多様で,リアルだ。

 入院を拒否しながらなぜ病棟に入って行くのか――

 看護師を求めてドアを激しく叩く患者を横目に,尊敬する温厚な看護師がなぜ平静でいるのか――

 なぜ行動制限が必要な患者を前に看護師は回避的な態度をとるのか――

 精神科の急性期病棟で働く看護師なら疑問をもたなかった者はいないと思われる出来事。しかし,向かい合うことなしに走り過ぎてしまっていながら,心のどこかにずっと残っている苦い思い。松澤氏はこれらに対して驚くほど自覚的であり,走り過ぎることなしに再構成し,そのときの看護師のあり方に,気持ちに,向かい合う。

「臨床をいかに記録し再現するか」という問い
 松澤氏は,SOAP形式で記録された看護記録の「S(患者の主観的データ)」と「O(看護師が観察したこと)」を中心に看護場面を記録から切り取り,そこで起こった看護師と患者の相互作用と,主に看護師側のこころのあり方に関して考察を加えている。看護師と患者に起こった「事実」に軸足をしっかりすえるこの姿勢は,情緒的な思い入れを排したうえで,精神科の臨床で起こっているさまざまな事件を,具体性を失わないレベルで,しかも動的に捉えており,中途半端に抽象的ではない。

 このような研究活動の目的を氏は,《意識的に看護そのものを対象化すること》であり,そのことによって《ようやく目の前にある問題や患者の現実がとらえられるようになった》と述べている。事件を経験している当事者の「意識・経験レベル」を捉えるために,「臨床現象をいかに記録し再現するか」という氏の問いは,現実と離れることをめざすのではなく,むしろそうすることによって初めて現実と向かい合えるのだという。

「文系×寄り道」vs.「理系×一直線」
 私たちの活動する精神科看護の領域には,「寄り道」をした経験のある人材がたくさんいる。松澤氏は「寄り道」と呼ぶのがはばかられるほど,文学における博士課程までの研究歴をもって精神科看護の現場に入った方である。

 私自身は,「文系」と「寄り道」の2つに対して,コンプレックスをもちながら精神科看護の領域で関わってきた。それは,自分自身が「理系」で「寄り道なし」にここにいるからである。前者の経歴や知識背景をもつ人たちは,いつもどこか臨床でのどろどろした体験から離れたところに自分をおき,その中の具体のテーマに日々あくせくしている臨床看護師たちを,哲学に視座をおきながら冷ややかに見つめているかのような,独特の距離を感じてきたためかもしれない。

 実際,360ページに及ぶ論考の末にすえられたテーマは,「農業としての看護へ」である。《土地を耕し,種をまき,水をやり,あとは自然の営みのなかで芽吹き成長するのを日々見守りながら待ち続ける,そのような遅々とした営み》が精神科看護だという。

 それだったら,内省しなくても臨床の看護師たちは最初から自分たちの活動にはそうした素朴さをもっているではないか。だからこそ精神科急性期病棟のようなところにずっと身をおいていられるのだ。「なんだかまどろっこしい」という人もいるであろう。寄り道をして看護にきた人たちに感じる距離感は,彼らのこのような現実への向かい合い方による部分があるかもしれない。内省しつくさなければ素朴な向かい合いすらできないなんて,しんどすぎる。窮屈すぎる。そんなことばかりしていたら身動きがとれなくなる。看護はもっと本能的な営みなのではないか。

 しかし,本当にそうなのだろうか。

素朴なだけでは自由になれない
 松澤氏は《看護師の感情もその表出のあり方も,その目的に適うケアの一部として絶えずその妥当性や無危害性が問われなければならない》という。無自覚に,ただ素朴なだけでは他者に精神科看護の活動は理解されないのだ。確かにそうかもしれない。

 「私は一生懸命やっているのだからわかるでしょう。わからないのはそっちが悪い」という論理を看護師にときどき見かけ,そして私は自分の活動に絶望しそうになるが,それでは議論もできない。他職種に向かって機能を主張することもできない。

 私は看護の「理系」の研究者として,精神科看護を誰からも見える「形」にして正当に評価したいと願って活動してきた。こてこての「文系」の研究である本...

この記事はログインすると全文を読むことができます。
医学書院IDをお持ちでない方は医学書院IDを取得(無料)ください。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook