♪In My Resident Life♪(藤田芳郎,金城紀与史,葛西龍樹,遠藤和郎,岩田健太郎,岡田正人,宮地良樹,早野恵子,仲田和正)
七転び八起き,そのうち未来は見えてくる
寄稿
2008.01.14
【新春企画】♪In My Resident Life♪七転び八起き,そのうち未来は見えてくる |
研修医のみなさん,あけましておめでとうございます。レジデント・ライフはいかがでしょうか? 病院選びに失敗して後悔,手技が下手で怒られてばかり,コミュニケーションがうまくとれない……。でも大丈夫。研修医時代の失敗は誰もがたどる道。倒れるごとに起き上がれば,そのうち未来は見えてきます。
新春企画として贈る今回は,昨年に引き続き,人気指導医の先生方に,研修医時代の失敗談や面白エピソードなど“アンチ武勇伝”を紹介してもらいます。
こんなことを聞いてみました。
(1)研修医時代の“アンチ武勇伝” (2)研修医時代の忘れえぬ出会い (3)あの頃を思い出す曲 (4)研修医・医学生へのメッセージ |
藤田芳郎 遠藤和郎 宮地良樹 | 金城紀与史 岩田健太郎 早野恵子 | 葛西龍樹 岡田正人 仲田和正 |
「未熟」だった。だから「懸命」だった。
藤田 芳郎(トヨタ記念病院 腎・膠原病内科部長)
(1)「何よ,あなた,失礼な!」と,当番の3人の研修医が立って採血している,あふれんばかりのひといきれの検査室のなかで,中年女性の怒鳴り声が,私の医師としてのはじまりであった。生身の人間の体に針をさすということが怖くて,やや脂肪が厚い皮膚の中の青い血管をめざして,おそるおそる震える手で針を入れていったのだった。その時から1か月,私の頭の中は針刺しのことでいっぱいであった。両親の血管で練習させてもらったり,駆血帯で練習したりの毎日。あまりにも必死な自分にたいそう同情してくれた看護師さんが練習台になってくださったこともあった。国家試験のための医学知識は空っぽになってしまった。
その後,拡張型心筋症「末期」のTさんという患者さんを受け持った。当時の自分は,人間は死すべき存在とは決して思っていなかった。むろん試験にでればそう答えたであろうが,少なくとも無意識には若い自分は身近な死に触れたこともなく,人間は絶対死なない,いや死ぬべきでない存在と思っていた。したがって「末期」などという言葉は存在しなかった。Tさんは,全身倦怠感を強く訴えていた。また尿量も少なかった。毎日体重を測定し1kg上昇すればフロセミドを増量するなど体重と尿量との必死の格闘の日々であった。フロセミドの投与の仕方をいろいろ変え,1-2時間ごとに尿量を見に行く。そしてドーパミンには少量で利尿作用があり,フロセミドと併用したら驚くほど効果が出,あわてて輸液をしなければならなかったことなど,さまざまな経験をさせていただいた。全身倦怠感のほうは利尿剤がきいてもあまりよくならない。特に足がだるい。未熟な研修医にできることは,足を毎日10分間ほど揉むことぐらいであった。それをTさんの毎日の楽しみとしていただいたことは,未熟な研修医にとって存在感を感じることができる貴重な瞬間であった。
当時,あまりにも「未熟」な医師であることの自覚から未熟な自分の存在意義は何かと考え,とりあえず患者さんのところに頻回に行くことしかないと思い,最低朝夕2回,受け持ち患者のところに行った。今,「未熟な」新人たちの一生懸命な姿をみると,「未熟」ということは決してマイナスだけではない,大きなプラス面があることを強く感じる。当時の自分以上の「熱い思い」の人たちを,周囲の「未熟な」医療者に見る。残念ながら,「未熟」の喪失と同時にその大きなプラス面が失われていく。自分が末期のときそばに医療者がいる状況なら,「未熟で懸命な」医療者がそばにいてほしい。
(2)最初にローテートした循環器は厳しかった。夜中に何度も起こされるばかりか,モニターをCCUで24時間監視なんていうこともあった。当時は楽しいなんて感じたことはなかったが,一人ではなかった。戦友たちが周りにいたし,戦争のように自分のいのちをとられるなんていうことはない。今から思うと楽しい思い出である。
心臓の診察はどうやってやったらいいのであろう。そこに中村芳郎先生がいた。自分の名前が同じ「芳郎」なので,はじめに2年目の先生から「おまえの名前は芳郎か」などとため息をつかれた。その意味はすぐにわかった。ある時,心房中隔欠損の患者さんの検討会があった。身体所見とレントゲン所見のみで,その患者さんのシャント率を言い当てた。他の先生もびっくり。自分はポカーンとなった。回診における心房細動の患者の症例提示で,「IV音が聞こえます」,といって赤恥をかいた自分を,学生の講義に,私の患者とともに連れていき,血圧の感じ方,心尖部の触れ方,聴診の仕方などていねいに教えてくださったことは心深く残るありがたい思い出である。先生の『心臓病の診断』(中外医学社)は今も私の座右の医学書のひとつである。
(4)私の座右の銘である恩師の言葉,「人間のなかににせ者はいない」「過つも人,許すも人」「各人の不徳の相互の許し。そういうのが楽園の門である」。一生懸命やった後の失敗なら,反省すべきことは反省し,あまり自分を責めすぎないことが大切ではないか。必ず同じ傷を背負った人が,地球のどこかで懸命に生きている。「人間のなかににせ者はいない」し,患者さんにもにせ者はいない。失敗した自分もまぎれもない人間の中の一人である。そして,臨床は,競争ではなく,相互の協力である。
隣の家の芝生
金城 紀与史(手稲渓仁会病院 総合内科主任医長)
(1)大学外で研修するのが稀であった十数年前,なぜ亀田総合病院に行ったか? 今では超人気の亀田であるが,当時の倍率は1-2倍だった。学生時代,実習先の関連病院の指導医から「市中病院でないとありふれた病気を当たり前に診る医者にならないぞ」と脅された。そうかと思うと大学から出るのは自殺行為だと心配してくれる先輩もいた。沖縄県立中部病院のような厳しい研修についていける自信もなく,アメリカ人指導医Dr Steinが亀田病院に着任したことや,東京出身の私にとって房総半島は程よい遠さであることなどで受験した。
研修が始まって半年たった頃,大学に残って研修中の同級生から自分は採血や点滴ルートの手技で立ち遅れていることがわかり,あせりを感じた。Dr Steinとの回診ではワシントン・マニュアルを調べて診療内容を徹底的に検証するスタイルであり,「このままでは点滴もとれない頭でっかちの医者になってしまう」と心配になった。研修病院を中途変更しようかと東京の病院に見学に行ったほどだった。
(2)迷いつつも残留できたのは同僚のおかげだった。自主的に抄読会を開くなどして,ともに研修している感触が得られたのは大きかった。指導医から教わるよりも自分らで調べたほうが頭に残りやすく,この時の知識は今でも大切にしている。加えてこの頃,亀田病院に赴任した一般内科指導医らは教育熱心であった。強烈な性格でたびたび研修医は怒られたが,「患者のために根拠に基づいた最善の医療をめざす」という指導姿勢で,輸液や栄養から電解質の補正・抗菌薬の選択まで事細かに厳格だった。この頃の自分はガイドラインに基づかない医療は犯罪だと思いこむEBM狂信者だったかもしれない。卒後3年目まで亀田病院でお世話になったが,学問的医学は面白いと感じつつも,医師として一生仕事を続ける自信はなかった。
合衆国にその後渡ったが,根拠に基づいた医療を展開しない指導医はレジデントの間でひそかに悪口をたたかれた。「権威ある学会のガイドライン」が天下玉条のようになり,ガイドラインを覚えることに躍起だった。ところが,自分で原著論文にあたって徹底的に調べるようになると,いかに「エビデンス」がこの世に乏しいかをようやく悟った。ガイドライン信奉から改宗し,社会・経済・倫理問題が医療の現場に持ち込まれる「グレーゾーン医療」に惹かれるようになった。また,継続的に患者さんをフォローしていく喜びを味わったのも渡米してからで,医業を続けていく自信ができたのは卒後5年目くらいになってからだった。
指導医の立場になったものの,原則を強調しながらグレーゾーンも教えるべきかどうか,悩ましい毎日である。
(4)将来のことで悩んだり決められない時は,とことん迷うのもよし,決めないのもよし。
No Quick Learner
葛西 龍樹(福島県立医科大学教授 家庭医療学)
(1)研修医時代から私はquick learnerではなかった。当時私の周りにもいかにもスマートで,溢れる知識で自分をアピールする人は結構いた。感心する一方で,自分とは縁のない世界と一歩退いていた。昔から試験勉強も嫌いだった。ただ記憶することや知識を競うことには食指が動かなかった。
手技についても苦戦した。カナダへ留学する前は小児科の研修をしていたが,血管確保がうまくなかった。看護主任さんが私の先輩医師に「葛西先生に点滴させないでください。子供たちがかわいそうです」と上申するほどだった。幸い点滴の名人と言われていたその先輩が「自分も昔は下手だった。葛西が2回失敗したら自分が代わるから,やらせてあげてほしい」と言ってくれたおかげで私も経験を積むことができ,やがてうまくなった。
ものを書くのも時間がかかった。退院時要約などは催促されっぱなしだった。同期の医師たちが症例報告などを何編も投稿しているのを横目に,症例に恵まれていたにもかかわらずなかなかものにせず,最初の論文が出版されたのは卒後7年目だった。書くことは嫌いではない。ただ,ゆっくり考えて書くのを楽しむタイプである。だから,メールにすぐに返信したりメーリングリストで慌ただしくディスカッションすることは不得意である。
(2)医師としての人生で忘れえぬ出会いは数多いが,最も影響したのはIan McWhinney先生との出会いである。私の著書『家庭医療――家庭医をめざす人・家庭医と働く人のために』(ライフメディコム)でもこれに一章を割いている。カナダの家庭医たちから「誰も経験したことがない」と羨ましがられた4週間の個人教授は,今にして思えば,1968年カナダの大学に初めて家庭医療の部門を設立して世界で最も卓越したバックボーンを創りあげた彼が,将来日本で家庭医療が発展することを期待して私に託した贈り物なのである。
この時も,けっしてquick learnerではない私は,時間をかけて彼の著書を読み,(単純な英文法から哲学的な問題まで)何でも彼に質問し,彼も時間をかけてていねいに答えてくれた。時々「自分の考えはGreco-Roman式だ。リュウキ,Indo-China式に考えるとどうなるか教えてほしい」と逆に聞かれた。「禅が何かを言うことはできないけれど,私のこころには確かに禅が存在していると思います」とか「英語の“care”は日本語の“手当て”に相当しますが,“手当て”は文字通り苦しいところに手を当てて癒すことを意味します」などという私の答えを聞いた時のいかにも嬉しそうなIanの顔を今でも覚えている。
(3)カナダで研修していた頃の思い出の曲は,Richard Marxの“Right Here Waiting”である。夜中に往診に呼ばれてバンクーバーの美しい夜景を見ながら運転している時に,なぜかいつもこの曲がカーラジオから流れていた。
(4)古風だと言われるかもしれないが,若い人には志を持ってほしい。志が自分を育てる。競争ではない。「心のなかですばらしい考えを育てるのだ。なぜなら,自分が考えている以上にすばらしい人間にはなれないのだから」というBenjamin Disraeliの言葉が好きである。
感染症だけはローテーションすまい!→No Stain, No Life
遠藤 和郎(沖縄県立中部病院 内科部長・感染症グループ)
(1)沖縄県立中部病院での研修を決めた理由はいい加減なものだった。米国文化(主にファッション)と海が好きだった私は,米国に留学できる研修病院がある。しかも“太陽サンサンの沖縄!”という安易な動機から採用試験に臨んだ。結果は当然不合格。ところが奇跡的に補欠採用に滑り込んだ。採用の電話連絡を受けたのは,父の葬儀の最中だった。これは父が沖縄での研修を許してくれた証拠と勝手に解釈し,沖縄行きを決心した。長男の暴挙を許してくれた母の寛容さに心から感謝している。
感染症グループの指導医は,日本の臨床感染症の元祖である喜舎場朝和先生だった。喜舎場先生は手抜きや不注意によるミスを一切許さない厳しい指導方針を持たれていた。一年次研修医の時,かなり優秀な二年次研修医が,白衣が汗でへばり付くほど緊張しながらプレゼンしている姿を見て,感染症だけはローテーションすまいと決心した。当時,初期研修修了後は大学の精神科に入局を予定していた。精神科には感染症は必要ないと理屈をこね,感染症の研修を外してほしいと上級研修医に懇願した。しかし必死の願いは聞き入れられず,精神科でも発熱患者は診るとのもっともな助言により,運命の感染症グループ研修が始まった。
(2)小心な私は日々緊張の連続だった。そんな中,大酒家の肺炎患者が入院した。発熱と咳は数日前からだったが,数週間で体重が5キロ減っていた。痰からは典型的なグラム陰性双球菌が検鏡され,モラクセラ肺炎として治療を始めた。喜舎場先生にプレゼンすると,「それでは理屈に合わん! 抗酸菌染色(AFB)は?」と聞かれ,おずおずと「抗酸菌は見えませんでした」と答えた。すると「今日は個室に収容。明日も必ずAFBを染めるように!」と厳命をいただいた。翌日しぶしぶAFBをすると,いきなり抗酸菌が視野に現れた! これには驚かされた。喜舎場先生に急いで報告したところ,「よく見つけた。個室に入れておいて良かった。AFBで結核を見つ...
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