「医者」という立場
連載
2007.11.12
生身の患者と仮面の医療者 - 現代医療の統合不全症状について - [ 第8回 「医者」という立場 ]名越康文(精神科医) |
(前回よりつづく)
これまでもお話ししてきたように,僕は医者としてほんとに落ちこぼれだと思っていますが,それでも,「ああ,相手から見ると俺って医者なんやなあ」と思わされることは多いです。前回,医療から演劇性が失われたといったお話をしましたが,それでも医者が「医者」という存在である以上,そこには他の人間とは違うフィルターのようなものがある。そのフィルターを通してしか,相手の言葉は入ってこないし,こちらの言葉も届かない。フィルターなしのコミュニケーションなんてできないわけです。
そのことは,診察場面に限ったことではありません。「医者」になった皆さんに接する人は,多かれ少なかれ「お医者さんだから」「先生はお忙しいだろうから」という意識を持つようになる。極端にいえば,医者になった瞬間から「対等な立場で周囲の人間に口を聞いてもらえることは一生なくなる」ということですね。
このことは,たとえば人から傍若無人な扱いを受けることが減るという意味では,すごくありがたいことなわけですよね。でも,一方で,その人が本当に信じていること,伝えたいことをお聞きしたいというときには,なかなか大きな壁になるわけです。
無自覚がもたらすもの
ここで注意をしていただきたいのは,長いあいだ医者の世界で生きていると,医者というフィルターを通してしかコミュニケーションしていないという,そういうある種「当たり前のこと」がわからなくなる,不感症になってくるということです。学生の皆さん,研修医の皆さんには,ぜひ早いうちに,そういうことに気づいてほしい。
また,それを自覚するといっても,ただただ開き直ってしまっても仕方がないですよね。そういうフィルターはかかってるんだということを自覚したうえでどうするか,ということが問題なわけです。
たとえば「医者だからといって,遠慮しないで何でも言ってくださいね」と伝えたからといって,「それじゃ遠慮なく」と気安くなる患者さんなんていない。「何でも遠慮せずと伝えたんだから」とアグラをかいてしまったら,それはむしろ,ますます没コミュニケーションを招く振る舞いだといえるでしょう。
「何を今さら当たり前のことを」と感じる方も多いでしょう。しかし僕は,自分と同年代のお医者さんを見て,控え目にいっても80%以上の人はこういうことに無自覚だなあ,と感じるんですね。それが悪いと一概には言えませんが,少なくとも自分の立場を意識することっていうのは,臨床家としてやっていくうえで大切なことじゃないかと思っています。
医療をやっていくうえで,患者さんから直接得た生身の情報ってすごく大切です。自分が聴いている話にどの程度のフィルターがかかっているのかを意識して,どれだけそこから生の情報を引き出していけるかということは,精神科に限らず,すべての臨床医にとって生命線でしょう。
「患者の立場に立つ」の不可能性を越えて
患者の権利とか,患者の立場に立ちなさい,ということはよく言われるようになりましたね。しかし考えてみれば,「患者の立場に立つ」ことが大事,なんてことは散々言われ続けられてきたことで,別に,患者意識の高まりを受けて初めて登場した考え方じゃないんですよね。
ですから,むしろ「誰が考えても大切なことなのに,それでも乖離してきた」という事実を見つめ,自覚することのほうが大事だろうと僕は思っています。患者の立場に立とうとしているのに,乖離している。「なるほど,これほど伝わらないものなんだな」という実感が,日常臨床の中になければ,それはどこかに欺瞞があると思ったほうがいい。
別の言い方をすれば,医者をやっていれば1回1回,患者さんに対して,ビックリするなり,納得するなりという個別の体験があってもまったく不思議じゃないということですね。しかも,その1回の体験というのは,それまでの体験から培われてきたパラダイムを一気に突き崩してしまうことさえある。「エッ! そんな感じ方してたの? じゃあ,この患者さん以前の100人の患者さんに対して,僕はそんな思いをさせてきたの?」というようなことが,医者になれば必ず起こる。そこから目を背けないのでほしいと思います。
そういう体験を通じて「そうか!」という納得にいたる。そのときに一歩,人はバージョンアップするのです。でも,そのときの感覚に固執しているとその経験は必ず陳腐化します。どれほど衝撃的な体験でも,100日も経てば日常に退屈してきて,自分が100日前に気づいたことを「冷静になるとつまんないな」と思うようになる。そういう体験を常に更新し続けることが,臨床家ではないかと僕は考えています。
理屈からいっても,患者さんは日々変化しているし,医者も日々進化している。感度が上がれば上がるほど,「違うのが当たり前」なんです。そういう「違い」が,「医者」というフィルターによって隠蔽されているということに,あまりに無自覚であってはいけないんじゃないか。立場性を忘れ,フィルターの存在を忘れてしまうと,患者と医者の間には壁などないかのように思えてしまう。しかし,壁の存在を常に意識しつつ,その感覚を更新していくということこそが,臨床家が成長するプロセスなんですよ。
越えられないものを越えようとする
立場性は絶対に越えられない壁です。しかし,越えられないものを越えようと試みるという,矛盾した取り組みこそが臨床です。「絶対に越えられない」ということを頭で考えていても駄目で,越えようとしても越えられないという体験を繰り返さないと,実践家としてはやっていけません。越えようとしない人間に,「越えられないなあ」という実感は生じないし,「越えたい,コミュニケーションをとりたい」という強い欲求も生まれません。下手に「越えられないけど越えようとがんばるのがいいんだ」なんて考えても駄目ですね。このあたりは,言葉で書くと必ずといっていいほど誤解が広がる部分ではありますが,少なくとも頭で考えているだけでは,感性や意欲は徐々に失われていくでしょう。
絶対に越えられないからこそ,越えようとする。それによって初めて,越えられないということ,越えたいということ,両方の実感が生じる。矛盾していて,わかりにくいと思いますが,人が成熟するプロセスにおいて,こういう「越えられないものを越えようとすること」というのは絶対,欠かせないんです。
(次回へ続く)
この記事の連載
生身の患者と仮面の医療者(終了)
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