臨床実践における理論を巡るモンダイ
連載
2007.08.27
研究以前のモンダイ
〔その(5)〕臨床実践における理論を巡るモンダイ
西條剛央(日本学術振興会研究員)
本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。 |
(前回よりつづく)
今回は,前回提示した「理論とは現象を理解するために人間がコトバによってこしらえた道具である」というテーゼをより深く理解することを通して,「理論とは何か」というような抽象的なモンダイが,いかに臨床実践のあり方を規定しているのかを考えてみたいと思います。
ある悲劇
柳田邦男氏は『犠牲 わが息子・脳死の11日』(文藝春秋,1999)のなかで,次のような医師と息子さんとのやり取りを書いています。息子さんは,友達が投げたチョークが目にあたり眼房内出血になり,入院します。治癒後,眼の検査時に「右眼の視野の中央付近に,黒い点があって邪魔になる」と訴えたところ,医師は「眼球にはもう傷はないんだから黒い点なんかみえるはずがない」といい切ります。息子さんは「でも黒いのがみえるんです」と繰り返しますが,「ないものはないんだ。気のせいだよ。そんなこと気にしちゃ駄目だ」と叱られてしまう。帰り途に,息子さんは「あんな奴,医者じゃない」と怒りをぶちまけますが,不幸なことに,そのことが精神的な病につながる契機となり,ついには自殺に至ります。
医療に従事する皆さんは,これとよく似た苦い体験を見聞きされているのではないでしょうか。
理論のみを絶対視しない
さて,このような悲劇に陥らないためには,どうすればよいのでしょうか?もちろん,いろいろな見方が可能ですが,ここでは「理論」という切り口から掘り下げてみましょう。それは,一言でいうなら「特定の理論のみを絶対視してはならない」ということです。
「そんなことは分かっている」と思われるかもしれませんし,このエピソードに出てくる医師もそう言いそうな気がします。しかし,この医師は,ある理屈(理論)を絶対的に正しいモノとして前提にしています。それは「(眼球に)傷があるから黒い点がみえる(傷がなければ黒い点はみえない)」というものです。これは「モノがあるから,モノが見える」という図式からきているのは明らかです。あるいは,「物質的な原因が事象を引き起こす」という理論を,この医師は盲目的に信じていたといえるでしょう。彼にとっては,これは絶対的に正しい前提(理論)だったに違いありません。だからこそ,「ないものはないんだ」と叱ったのでしょう。
もちろん,「物質的な原因が事象を引き起こす」という理論でうまく説明できる現象はたくさんあります。でも,そうじゃない場合があるということが重要です。理論とは,われわれに立ち現れているすべての経験である「現象」(全体)の一部を理解するためにコトバによりつくられた「構造」(部分)にすぎないのです。全体(現象)を部分(理論)ですべて理解できるはずはありません。
重力もコトバなのか?
といわれても,今イチ腑に落ちず,次のように思う人もいるかもしれません。理論はコトバでできているっていうけど,重力は人間がつくったものじゃないよな。ペンを放せば必ず下に落ちる。何度やっても例外はない。重力っていうのは理論というよりも,実在しているものであって,万有引力の法則は疑い得ない真理なのではないか。
こういわれれば,「確かにそうだな」と思う人は多いでしょう。経験的にそう思うことは自然なことであり,そうした確信を否定するつもりはありません。
しかし,「理論」の捉え方という点でいえば,やはりこれだと「重力があるから,モノが落ちる」という図式になってしまい,これは「モノがあるから,モノがみえる」という先の医師が前提としていた図式と同じになってしまいます。「理論を絶対視しない」ためには,敢えてこの図式すら括弧に入れる(対象化する)考え方を,ひとつの「特殊な思考法」として身につけておく必要があるのです。
この「理論(コトバ)は人間がつくったものだから常に疑いうる」ということと,「疑いようもなく“最初から重力が実在している”と多くの人が感じている」ということは矛盾するように見えますが,これについてはどのように考えたらよいのでしょうか? この「謎」を解消するためには,話を逆に考える必要があります。
つまり,一度“重力”というコトバ(理論)を知ってしまうと,それがあまりに現象をうまくいい当てているために,それが疑いようもなく実在しているように感じてしまう,ということなのです。少なくともわれわれは,「重力」というコトバなしに,その実在を確信することはできない,ということははっきりしています。われわれは理論(コトバ)を知った後,事後的にその理論の実在を確信するのです。
もう1つ例を出しましょう。フロイトは「無意識」という概念を中心とする精神分析という理論を提唱しましたが,それが普及する以前には,例えば催眠という現象は「魔術的なもの」として捉えられていました。科学的な説明を可能とする概念がなかったからです。今日,われわれが「無意識」を実感するのは,つまるところ,無意識という概念が夢,トラウマ,催眠といった事象をとてもうまく説明してく...
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研究以前のモンダイ(終了)
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