医学界新聞

連載

2007.08.06

 

【連載】

はじめての救急研修
One Minute Teaching!

箕輪 良行
桝井 良裕田中 拓
(聖マリアンナ医科大学・救急医学)

[ Case16 ]
排便異常の評価には詳細な病歴聴取を!


前回よりつづく

この連載は…救急ローテーション中の研修医・河田君(25歳)の質問に救急科指導医・栗井先生(35歳)が答える「One Minute Teaching」を通じて,救急外来,ERで重症疾患を見落とさないためのポイントを学びます。


Key word
腹痛,下痢,排便習慣の確認,過敏性腸症候群

Case
 台風も近づいているせいか,ERのドアが開くとなま暖かい空気がビューッと吹き込む。こんな日に受診する患者はホントの病気が多いと栗井先生が言っていたのを思い出しながら,河田君は次の受診票を手に取った。電子カルテになり,受付から古い紙カルテが一緒に回ってくることが減って,ほとんどが受付票のA4用紙1枚だ。カルテが軽いぶんだけ診る側の気分も楽になったらいいのにと一人ごちながら診察室に向かった。

 41歳男性,主訴は腹痛,下痢。以前から下痢になることが多いとのこと。帰宅途中,運転中の車で急に腹部不快感から痛みが増して便意をもよおしてきたため,駐車してトイレに行くと下痢だった。明日の勤務に差し障りがあると困ると思い,準夜の22時半に受診。腹痛は腹部正中で疝痛様,鼓腸もあったという。吐き気はあるが嘔吐なし。下痢は水様,少量で血便なし。食欲はあり発熱もない。

 意識清明。バイタルサインは血圧126/76mmHg,脈拍89回,体温36.7℃,SpO2 98%。167cm,58kgとやせ型だが,最近の体重減少はない。身体所見では眼瞼結膜貧血なし,眼球結膜黄疸なし。呼吸音:清,心音:不整あり,心雑音なし。腹部は平坦・軟だが腸雑音はやや亢進している。直腸診でも圧痛はなく腫瘤もふれない。潜血反応陰性。下肢に浮腫なし。

 河田君は,台風の日に来る患者は本物と言った栗井先生の顔を思い浮かべながら,犬走りにいる栗井先生に症例を提示しに行った。

■Guidance

河田 腹痛,下痢の患者さんです。水様ですが血便なし,腹痛は疝痛ですが,どちらかというとテネスムス(しぶり)に近いものかもしれません。特別な薬の内服もなく,既往歴や最近の外傷歴も特にありません。昼食に前日から冷蔵庫に入れてあった焼きそばを職場で食べたと話しています。

栗井 5月は麻疹騒動だったし,梅雨に入ってからはけっこう,ビブリオが来たよね。この患者さんはどう思う?

河田 感染性腸炎が鑑別のトップでいいと思います。見逃したら危険という意味では,膵炎,腸間膜血栓症もありますが,飲酒歴,心血管危険因子,不整脈などからは否定的です。そもそも重症感がない方ですから!

栗井 おっ,すごいね。君の口から「重症感」って言葉が出るなんて。まいったね。じゃバイタルはいいんだね。感染性という根拠は焼きそばということだけど,他には?

河田 下痢の回数は昼過ぎから今までに5回程度で,帰宅途中,運転中からひどくなったようです。ありふれた疾患というと,ウイルス性の急性胃腸炎,大腸憩室炎,炎症性腸疾患としてクローン病や潰瘍性大腸炎,過敏性腸症候群,全身性のものでは甲状腺機能亢進症もあります。常用薬剤はなく,抗菌薬も出ていませんから偽膜性腸炎などの薬剤性のものも否定できます。

栗井 下痢で受診した患者を診る場合,確認すべき項目がある(Check Point1)。下痢になることが多いとのことだけど,通常の排便が下痢気味というわけではないよね。何か職場のストレスや緊張,不安なんかがあるんじゃないかな。今まで下痢気味だけだったのに,下痢が痛みとともに来て,いつもと違うことが心配で受診したわけだよね。

河田 よく聞くと1-2か月ほど前に新しい店に異動したばかりだそうです。今回も会議中から何となく緊張感があり,トイレに行きたい感じがあったと話しています。栗井先生が台風の日に来る患者は本物だと以前から言っているので,胃腸炎のようなよくあるものよりも少し難しそうな病気を疑うのがいいかなっと……。

栗井 先回りしたわけだな。でも最近下痢の頻度が増えていたり,今回のようなエピソードを繰り返しているとすると,過敏性腸症候群(Check Point2)のようなよく見られる疾患の事後確率を上位にもってくるほうがいいね。

河田 実は血算,腹部単純写真をとったんですが,白血球増加,貧血,異常腸間ガス所見もありませんでした。検尿も念のためやりましたが異常は認めませんでした。

栗井 過敏性腸症候群という診断は救急の時点ではできないけど,いくつかピットフォールとなる病歴がある。思い当たるかな?

河田 食事のことやうつ病合併の可能性ですか? ちょっと確認してきます。

河田 甘いものや脂っこいものが好きで,会社でもけっこう甘いコーヒーを飲むようです。無気力感や気分の落ち込み,睡眠障害といったうつ病を疑う所見はまったくないようでした。

栗井 いいね。寝ている間症状がないというのは意外と大事な病歴だな。

Disposition
 救急外来に受診した1回の診療では過敏性腸症候群は診断できない(Check Point3)ので,患者にその可能性も説明して,炎症性腸疾患や大腸憩室症,悪性腫瘍,といった鑑別が必要なことを示唆する。またこの時に,疼痛や下痢が強くない限り薬物投与は簡単に抗コリン剤に留めて,翌日以降に消化器専門医への再診を勧めるのがよい。

Check Point 1

下痢・便秘のチェックポイント
 外来を受診する患者の30%に何らかの便通異常が見られる。この場合確認しなくてはならない項目として,今までの排便習慣,便の性状と回数(頻度),血液の混在,随伴症状を確認する。本ケースのように下痢では脱水の有無,海外渡航歴,周囲の同一症状者の有無,体重減少,発熱などを確認しなくてはならない。また便水分量を評価して,ブリストル形状スケールで評価して水分75%を普通便として,それ以上を下痢とすることがある。

Check Point 2

過敏性腸症候群の診断基準
 過敏性腸症候群は解剖学的な異常が見つかっていない疾患で臨床的に診断される。45歳以下の女性に多く(男性の2-3倍),排便異常をきたす疾患の筆頭である。2006年に発表されたローマ?診断基準は,腹部不快感または腹痛が過去3か月間に月に3日以上みられ,(1)排便によって軽快する,(2)排便回数の変化を伴う,(3)便の性状の変化を伴う,のうち2つ以上があることとなっている。器質的疾患を除外することが前提だが,発症年齢が45歳以上の高齢でない場合に,排便習慣の変化を伴う反復性の下腹痛で,進行・悪化がなく,ストレスがあると症状が発現,発熱・体重減少の全身症状がない,血便がなく便量が減少するといった臨床経過は本症を示唆している。

Check Point 3

救急で遭遇した場合に注意すること
 過敏性腸症候群は軽症が70%,中等症25%,重症5%といわれ,救急外来で遭遇する可能性があるのは,病初期の軽症段階が多いと思われる。また病型としては便秘型と下痢型がそれぞれ25%以上であり,両者の混合型もみられる。本文で述べたような疾患の鑑別に注腸検査,内視鏡検査,上部消化管検査といった専門医による診療が必要である。逆流性食道炎や,パニック障害,うつ病,身体化障害といった精神疾患との合併も比較的多いので,留意しなくてはならない。

Attention!
●腹痛+排便習慣の変化をみたら,過敏性腸症候群を除外診断にあげる
●まずcritical diseaseの否定,次にcommonというステップを守ろう!
●排便異常は詳細な病歴聴取が必須!

次回につづく