医学界新聞

連載

2007.06.25

 

研究以前モンダイ

〔その(3)〕
研究法を修正して使う方法

西條剛央(日本学術振興会研究員)

本連載をまとめ,大幅に追加編集を加えた書籍『研究以前のモンダイ 看護研究で迷わないための超入門講座』が,2009年10月,弊社より刊行されています。ぜひご覧ください。


前回よりつづく

 前回は「方法とは何か」について説明しました。今回はこの応用として「既存の研究法を上手に修正して活用する方法」について考えてみましょう。え,なんでそんなマニアックな話をするのかですって? これは一見,些細なモンダイのようですが,看護研究においては案外,本質的なモンダイだと考えているからです。

既存の研究法から外れるモンダイ

 こんな経験をしたことはありませんか? ある研究法(仮にA法としておきます)を学びそれを使って研究を進めていました。すると,どうしてもその手順に沿って進められないところがあったのですが,本質的な問題はないように思ったため,そのまま研究を進めることにしました。結果,それなりの意味ある知見を得ることができ,研究発表にまでこぎ着けました。

 しかし,いざ発表してみると「A法に忠実でない」という批判を受ける。「確かにそのとおりですが,状況的にA法に忠実に行うことは難しかった」と説明しますが相手は納得しない。結局,質疑応答は「A法にしては症例数が足りない」「○○の手続きを経ていないからA法を使ったとはいえない」などといった批判への対応に終止し,肝心の発表内容に議論が及ばない……。

 なぜ,このような残念な事態になってしまったのでしょう? 看護研究を行う現場では,現実的,倫理的な制約などによって,既存の研究法をスタンダードなスタイルのまま用いるのが難しいことが多いのです。そこで,自分の研究課題にあった形に研究法をアレンジして使うと,上記のような批判を浴びてしまう。

 後述するように,研究法を自分でアレンジすることは決して間違いではありません。むしろ,既存の研究法に固執するあまり,研究法を遵守することが自己目的化するよりは,はるかによいことと言えるでしょう。しかし一方で,自分流のアレンジでは,「間違った研究法によって得られた結果は間違っている」という批判を浴びてしまう。こうしたモンダイを考えてみると,看護研究において「既存の研究法を上手に修正して使うための方法」を学ぶことは,盲点となっていますが,非常に大事な視点だということがご理解いただけると思います。

“修正してもよい?”

 「既存の方法を自分なんかが勝手に変えちゃっていいのかな?」という疑問があるかもしれませんね。しかし,実は研究法をつくった方の中には,この点について非常に柔軟な考えをお持ちの方がたくさんおられるのです。例えば,修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(以下,M-GTA)を提唱した社会学者の木下康仁氏は,著書『分野別実践編グラウンデッド・セオリー・アプローチ』(弘文堂)の中で,「基本的な考え方,エッセンスの部分の理解が重要なのであって,具体的な形には研究者自身の判断によってある程度ヴァリエーションがあってもかまわないのである。むしろ,すべての手順を厳密に踏襲するよりも,どこかに自分で修正をして自分版の方法としていくことが期待されている」(同書p.21)と明言しています。

 しかし,そうした提唱者の意図にもかかわらず,実際にアレンジすると,研究発表の場で「M-GTAに沿っていない」という批判を発表者が受けるケースは少なくありません。それほど,個々の研究者の中に育つ「自分が習い覚えてきた研究法こそ正しい研究法だという信念」(第2回参照)は強力なのです。

 では,どのようにアレンジしたらいいのでしょうか? 前述の木下氏も「デタラメに変えてよい」とは言っていませんし,どのような修正ならばOKだという規準や方法を示しているわけでもありません。実際問題,デタラメな修正や用い方では批判を避けることはできませんし,修正してよいと言われても,雲をつかむような話に感じるかもしれません。

研究法を修正するコツ

 研究法を修正したい時には,どこを,なぜ修正したのかを明示することが必要となりますが,モンダイは「それをどのような観点から示せばよいのか?」ということです。ここでも,前回お話しした「方法とは,目的を達成するための手段である」という出発点に立ち戻ることが求められています。

 もう一歩踏み込んで言えば,「特定の状況で,○○するための方法」以外の方法など存在しません。したがって,妥当な修正である根拠を示すためには(1)研究を実施する上での状況的制約と(2)研究者の関心や研究目的を踏まえて,修正箇所とその理由を明示するのがコツとなります。

妥当な修正であることを示す方法

 構造構成主義はそのための理論的ツールとして活用することができるのです。授業の一環として行った某大学院の学生たちとの共同研究をご紹介しましょう。

 その研究は,少数事例に基づくM-GTAを用いた探索型の仮説生成研究でした。M-GTAでは「ミニ理論」をつくることを推奨していますが,なぜか単一(少数)事例に基づく研究は想定されていないようです。たとえば『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践』(弘文堂)には「ヴァリエーションがあまり出てこなければその概念は見込みがないと判断し,他の概念に包含させるよう調整するか概念化を断念する」(同書p.198)と書いてあります。

 こうしたギャップから研究発表の際に「M-GTAを用いて,1名のみから得られた具体例から概念をつくるのは不適切ではないか」といった指摘(批判)を受けました。皆さんは,これにどうお答えになるでしょうか? 僕は,以下のように答えました。

(1)講義の中で行った研究ということもあり,少数例しか扱えなかったという現実的な制約があった。

(2)M-GTAでは「具体例(ヴァリエーション)が少ない概念は採用しない」とされているが,本研究がメタ理論として採用した構造構成主義においては,具体例や事例の数がどれだけ必要かは,研究目的と相関的に判断される。

 したがって,もし本研究が,より多くの人に共通するモデルをつくることを目的としているならば,1名から得られた概念を採用するのは不適切と言えるだろう。しかし,本研究の目的は,これまで看過されてきた内省レポートをめぐる体験の否定的な側面も含む,できるだけ多様な側面を捉え,モデル化することにある。その目的に照らすなら,1名から生成した概念にも有効性があると考える。むしろそれを捨象することはこの目的を達成するためには不適切と言える。

 ここでは特に(2)に注目してください。

 構造構成主義では「関心相関性」という概念を基軸とするため,事例や具体例の数がどれだけ必要かは,研究者の関心(研究目的)に応じて(相関的に)判断されると考えます。そのため,目的によってはM-GTAを単一事例に適用することも原理上可能となるわけです。

 逆に言えば,そもそもM-GTAには「より多くの人に共通するモデルをつくる」といった暗黙の前提があったとも言えるかもしれません。この場合,M-GTAが持つそうした側面を修正しつつ「構造構成的M-GTA」とでもいうべき,よりしなやかな研究スタイルを新たに生成した,ということもできるでしょう()。

 このように,メタ理論である構造構成主義を用いることによって,それぞれの研究法の特徴を活かしつつ,関心相関的に修正を加えることが可能となります。なお,ここでは質的研究法の修正を行いましたが,量的研究法でも,基本的には同じことが言えます。簡単な例で言えば,統計を使う場合でも「これまで見落とされてきた影響要因を探索することを目的としたため」といったように目的をはっきり示すことによって,有意水準を変化させることが可能です。

 2回にわたって,方法に関するモンダイを考えてみました。次回は「理論とは何か」について考えてみましょう。

つづく

註)
この詳細は2007年9月公刊予定の拙著『質的研究法とは何か-初学者のための超入門講義(仮)』(新曜社)に,講義(対話)形式でわかりやすく書かれていますので,関心のある方はご一読いただければと思います。

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