医療者が認識すべき格差の影響(橘木俊詔,近藤克則)
経済格差が引き起こす健康格差
対談・座談会
2007.02.05
【対談】医療者が認識すべき格差の影響経済格差が引き起こす健康格差 | |
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日本は「先進国の中でアメリカに次いで2番目に低所得層が多い」と,OECD(経済協力開発機構)から警告を発せられた。100万世帯・147万人を超える生活保護世帯の受給開始理由のトップは傷病であるなど,貧困や格差問題は医療従事者にとっても関係の深い問題である。今回,『日本の経済格差』『格差社会』(ともに岩波新書)などで格差議論を巻き起こした橘木俊詔氏と,健康格差研究に取り組んでいる近藤克則氏に,格差社会と健康との関連,医師偏在問題,そして医師・医学生に求められることは何かなどを議論していただいた。
■さまざまな要因が健康の格差を引き起こす
貧富の格差と健康格差
橘木 健康格差の問題については,ハーバード大学のイチロー・カワチ先生などの本を読みました。貧富の格差が大きいアメリカやイギリスでは,お金持ちの死亡率は低く,貧乏人の死亡率は高いという事実があります。日本においても貧富の格差が広がって貧困者の数が増えてくると,今後同じように「健康格差」が起きてくるのでしょうか。近藤 すでに日本も「健康格差社会」になっています。AGES(Aichi Gerontological Evaluation Study,愛知老年学的評価研究)プロジェクトの一環として,高齢者約3.3万人を対象にした大規模調査を行いました。図1は,そのデータの一部です。所得とうつ状態(GDS[高齢者うつ尺度]で10点以上)の割合の関係を調べると,所得が下がるにつれてうつ状態の人が増える。最高所得層に比べ最低所得層では,約5倍も多いのです。他にも,お金持ちや高学歴の人たちは,残っている自分の歯が多い,歩行時間が多い,転びにくい,閉じこもりが少ない,社会的サポートが豊か,就労している,などという関係まで見られました。これらの結果を『検証「健康格差社会」-介護予防に向けた社会疫学的大規模調査(仮題)』にまとめて,医学書院から出版します。(編集室注:今春発刊予定)
橘木 ここ数年で医療費の自己負担額が増えたりして,低所得者が医療にかかりにくくなっているせいですか。
近藤 それもあると思います。治療費未払い問題が話題になりましたが,その背景にはお金がないからと受診を我慢している人たちもいます。内閣府が出したレポート1)でも,退職直後で年金受給前にあたる60歳代前半の相対的低所得層で,受診抑制が見られることが報告されています。ただし,それだけではありません。病気になってからだけでなく,その前の健診を低所得者ほど受診していないので発見が遅れますし,さらに病気にもなりやすい。最近,介護予防事業の対象者が,厚労省の見込んだ高齢者人口の5%に対して,わずか0.2%しか把握できないというので,厚労省も対応を変えることが報じられています。その背景にも,健康格差の問題があると私は考えています。要介護リスクは低所得者や教育年数が短い人に多い。しかし,そういう人たちほど健診を受診しない。逆に健診を受診しているのは健康な人です。だから健診の場で,要介護リスクのある人をスクリーニングしても,見込んだほど把握できないわけです。
社会階層と職業性ストレス
橘木 高齢者以外にも,健康格差はあるのでしょうか。近藤 働き盛りにもあります。20-40歳代の女性や公務員の世界ですら,やはり社会階層が低い層で健康状態は悪いのです。
橘木 なぜですか。
近藤 1つは職業性ストレスの影響です。例えば,今話題のメタボリックシンドロームは,食生活が悪い,歩かないのが悪いなどと,本人の努力・自己責任の問題とみなされがちです。しかし,生活習慣の違いを考慮して分析しても,職業性ストレスが多い人に,メタボリックシンドロームは2倍も多いと報告されています2)。生活習慣に気をつけていても,職業性ストレスが多ければ,メタボリックシンドロームが多いのです。
橘木 つまり,労働環境の影響を受けているということですね。医師の長時間労働も話題になっていますから,医師の職業性ストレスも高そうですね。
近藤 要求される負荷量(デマンド)が多いですからね。でも,それだけでは決まらないようです。イギリスの公務員を対象にした研究(Whitehall study)で,職業階層(幹部行政職・専門職・一般職など)の間で,冠動脈疾患による死亡率などに差があることがわかってきました3)。昔は,心筋梗塞といえば,緊張を強いられストレスの高い管理職に多い病気でしたが,今では逆転して,管理職ではない一般事務職やその他の部門で多いというのです。公務員ですから,物質的な欠乏状態とは考えにくい。その原因が,職業性ストレスではないかと研究されてきました。その結果,医師と同様に,求められる負荷の量は,確かに責任の重い上位層に多い傾向があるが,主観的なストレスはむしろ低位層で多い。なぜかと探ってみたら,管理職や研究者には,裁量権(コントロール)も大きい。どれくらいがんばるかを,自分でかなりコントロールできるからではないかと言うのです。そう思ってみると,裁量権の大きい病院長や大学教授が過労死したというのは聞いたことがないですよね(笑)。
橘木 大学教授の場合は,学生というクッションといいますか,学生と一緒に遊んだり話したりすることがストレス解消になっているのでしょうね。
近藤 それが,社会的サポートです。これもストレスを緩和するとわかっています。サポートは,困った時の手助けだけでなく,情緒面でのサポートも大きい。学生は教員に敬意を払ってくれます。単位欲しさからかもしれませんが(笑)。そんなことが,教員や医師の自己効力感を高めて,ストレスを緩和する大きな要因になっていると考えられます。職場の中で階層の高い人ほど,そういうサポートを受けやすく,ストレスを緩和できるというわけです。
逆にワーキングプア(働いているのに貧困な層)の人たちは,いかに悲惨な状況に置かれているか。正規雇用並みに高い負荷量,低い裁量権,少ないサポート,そして低い報酬。さらに契約期限が来ると「明日から来なくていいよ」と言われるかもしれない不安。「払っている努力とそれに対する見返り(非金銭的なものを含む報酬)のアンバランスが,ストレスを生み出す」という努力-報酬不均衡モデルを裏付ける実証研究も増えています。一般に思われている以上に職業性ストレスの影響は大きいのです。
日本のお金持ち=医師?
近藤 先生は『日本のお金持ち研究』(日本経済新聞社)の中で,調査の結果,日本のお金持ちの2つの代表は創業経営者と医師だと書かれていますね。橘木 そうです。ただし,医師とは開業医か病院長であって,勤務医ではありません。都市部よりも地方の医師に,お金持ちが多い。地方に行くとお金持ちは医師しかいないと言ってもいいかと思います。また,診療科目による差が顕著で5-6年前は眼科。今は美容形成外科,皮膚科あるいは整形外科が稼いでいます。昔は医学生の多くは内科,外科志望だったが,医師の卒後臨床研修が必修化されたあたりから,美容整形や皮膚科,眼科などへ進もうという学生が増えたと医学部の先生から聞きました。
近藤 診療科の間の格差だけでなく,都市と地方の間の格差拡大も指摘されています。臨床研修の必修化で「自分がいいと思う病院を選びなさい」ということになりました。競争原理の強化です。すると症例が少ないとか,指導体制が弱い,あるいは忙しいなど,研修・労働条件が悪い病院が選ばれなくなって当然です。その結果,都市部の条件のよい病院に研修医が集まり,地方では大学病院ですら研修医の確保に苦労しています。医局が強力な人事権を持っていた頃は,研修条件が悪い地方の病院に数年間行った医師は,次は研修条件のよいところに回したりしていました。長い目で見れば,ある程度の研修が保障されたシステムだったので,研修医たちは医局の人事方針に従い,地方の病院にも行っていました。だから今に比べると地方に医師配置ができていたわけです。
橘木 なるほど。よく耳に入る話に,小児科や産科の勤務医は,真夜中叩き起こされる。過酷な労働条件だけれども,所得は...
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