医学界新聞

連載

2015.10.19



The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,“ジェネシャリスト”という新概念を提唱する。

【第28回】
なぜ日本の内科教科書は“ダメ”なのか

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


前回からつづく

 学生時代から内科の教科書は「ハリソン」を用いている。他の教科書もいろいろ試してみたが,やはり「ハリソン」が一番だとぼくは思う。なので,20年以上経った今も「ハリソン」の愛読者で,現在は紙バージョンとKindleバーションを併用している。KindleバージョンはMacbook Airに入れていて,必要に応じて開く。紙の本のほうが読みやすいのだが,あれは持ち運びには適さないから……。

 疾患の臨床像や病態生理をまとめて勉強するのに,教科書はとても便利だ。最新の論文は疾患の断片的な情報を得るには優れているが,全体像が見えてこない。含蓄のある表現は何年経っても生き延びる。生き延びた言葉こそが,使える言葉である。もちろん,だからといって古い版のハリソンではさすがに古すぎる。教科書は最新版が出たらそちらを買うべきだ。このくらいの出費は,学ぶことで得られるリターンを考えれば大した出費ではない。学生もぜひ最新のハリソンを買って手元に置いておくべきだ。

 一方で日本の内科の教科書は,ハリソンに比べると,正直,質がぐっと落ちる。その根拠は数年前にブログでも述べたから,ここでは詳しく書かない1)。端的に言うと,日本の内科学の教科書は「量的な表記」が足りないのだ。もっというならば,「臨床的な眼差しが足りない」のだ。

 「量的な表記」のなさ。これは「なんとか病ではなんとか所見が見られる」のように程度を述べずに言い切ってしまうような表現をいう。例えば,「髄膜炎では項部硬直が見られる」のように。しかし,実際に髄膜炎で項部硬直が見られるとは限らない。「絶対に」なのか,「しばしば」なのか,「ときには」なのか,「まれに」なのかは記すべきだ。そうしなければ「項部硬直がない。だから髄膜炎は否定的」という誤診のもとになる。事実,このような理路で誤診を重ねる事例は珍しくない。

 ぼくが初期研修医だったころ,指導医からは「『なんとか病除外』と書くな」といさめられたものだ。「除外」には量的価値が付与されていないからだ。ただ可能性を述べ,それを記述しているだけだからだ。どのくらいその病気の可能性があるのかを書かなければ,アセスメントとは言わないのである。

 だいたい,「可能性があるか」の問いに対する答えは,ほとんど「イエス」だ。「可能性は否定できない」が100%正しい,オールマイティーな言葉であるが故,そういうことは言ってはならないのである。むしろ言うべきは「このくらい可能性がある」である。“あるなし問題”から,“程度問題”に深化するのだ。

 治療についても同様だ。「なんとか病はかんとかマイシンで治療する」では不十分である。それでどのくらいの治療効果があるかを明記すべきなのだ。ほぼ全例治癒するものなのか,半数近く治癒するのか,治癒の可能性は限りなく低いけれど,他に手がないのでダメもとでやっているのか。こうした臨床的な眼差しのない記載が日本の内科教科書には多い。

 例えば,周囲に使用者が多い朝倉書店の『内科学(第10版)』(以下,朝倉)の「細菌性髄膜炎」の項を見てみる。「臨床症状」には以下のように記載されている。

1)自覚症状:急性発症で,発熱と髄膜刺激症状(頭痛,悪心,嘔吐)を認める.
2)他覚症状:神経学的に髄膜刺激徴候(項部硬直,Kernig徴候,Brudzinski徴候,neck flexion testおよびjolt accentuationの陽性)を認める.
 急速に意識障害を呈し,髄膜脳炎の病型に進展する場合もある.一方,乳幼児や老齢者では典型的な症状・症候を認めず,易刺激性や譫妄(せんもう)などで発症する場合もある.

矢﨑義雄総編集.内科学(第10版).朝倉書店;2013.

 一方,ハリソン(第19版)の同疾患の「clinical manifestation」では以下のような記載である。

数時間で進行する急性劇症型の疾患で髄膜炎がプレゼンすることもある。数日かかって,増悪する亜急性の形をとることもある。髄膜炎の古典的な臨床三徴は発熱,頭痛,項部硬直であるが,この古典的な三徴は診られないこともある。75%以上の患者で意識レベルの低下が起きる。無気力から昏睡状態まで程度はさまざまだ。細菌性髄膜炎患者では発熱に加え,頭痛か項部硬直,あるいは意識変容がほぼ全例に認められる。悪心嘔吐,光過敏性もよくある訴えだ。細菌性髄膜炎の初期症状として,あるいは経過の途中で,20-30%の患者でけいれんが起きる(筆者註:拙訳。以下,記載は続くが略)。

D.L.Kasper, et al. Harrison’s Principles of Internal Medicine(19th). MCGRAW-HILL COMPANIES;2015.

 両者を比較すると,“程度”の問題の記載の有無が明白である。朝倉を読めば「物知り」にはなれるが,臨床的には使えない。記載を信じ込むと見逃しの原因になりかねない。一方,ハリソンには「程度」の記載に,臨床的な眼差しがある。簡潔な記載で患者像を容易にイメージできる。これを読めば診療に使える。

 検査,診断,治療,予後説明などにおいても,朝倉とハリソンを比較すると,この“程度”問題と臨床的な眼差しの違いは明らかだ。時間があれば図書館などで両者を比較してみるとよい。その「眼差し」の違いの大きさに容易に気付くはずだ。

 もちろん,朝倉もハリソンも,多数の著者による「共著」なので,著者による個別な違いはあるだろう。網羅的に調べてみたわけではないので,必ずしもハリソンが常にベターかどうかは断言できない(いつかは系統的に調べてみたいが)。

 しかし,これまで何年も学生の指導をしていて,朝倉,その他の日本で出版された内科教科書を引用したレポートや発表は,たいてい臨床的な眼差しが欠如し,量的な記載を欠き,よってよいレポートや発表になっていない……ということがほとんどだった。このことは拙著『神戸大学感染症内科版TBL――問題解決型ライブ講義 集中! 5日間』(金原出版)でも取り扱った。「○○病はMRIで診断します」「△△病は□□で治療します」という言い切り型の表現は,学生にミスリーディングなのである。

 ただ,ハリソンにも弱点はある。なんといっても日本の疫学に弱い。当然ながら,日本脳炎などは日本の教科書のほうがベターであろう。だからこそ,日本発の内科学の教科書も,もっと臨床的な眼差しを持ち,読者が診療現場で使えるような教科書に進化すべきだとぼくは思っている。

つづく

参考文献・URL
1)岩田健太郎.日本の内科の教科書は大丈夫か?BLOG楽園はこちら側;2013年5月17日

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