医学界新聞

連載

2013.07.15

The Genecialist Manifesto
ジェネシャリスト宣言

「ジェネラリストか,スペシャリストか」。二元論を乗り越え,"ジェネシャリスト"という新概念を提唱する。

【第1回】
医療において,全ての二元論は克服されねばならない

岩田 健太郎(神戸大学大学院教授・感染症治療学/神戸大学医学部附属病院感染症内科)


 二元論という用語がある。英語ではdualismというが,「2つに分けられた状態」をそう呼ぶそうで,「2つに分けること」はdichotomyというそうだ1)。ただ,dualismには哲学,神学,化学,音楽などさまざまな領域における固有な意味があるようで,例えば哲学用語におけるdualismには「物と精神を宇宙の根本原理とする見解」という意味もある2)。ぼく的には,どちらかというとdichotomyのほうがここで言うところの二元論の訳にはふさわしいように思う。

 われわれは物事をなんでも2つに分けたがる。「世の中には2種類の人間がいる。物事をなんでも2種類に分けたがる人間と,そうでない人間だ」なんてジョークがあるくらいだ。医療の世界においても,二元論は普遍的だ。男性医師と女性医師,若手とベテラン,内科系と外科系,メジャーとマイナー,大学病院と市中病院,勤務医と開業医,診療と研究,基礎医学と臨床医学,都市と地域,米国(あるいは欧米)と日本,ワークとライフ,EBMとNBM,そしてジェネラリストとスペシャリスト。

 ところで,これら全ての二元論は「恣意的な」二元論である。われわれは分類が厳然たる事実から成っているかのような錯覚に陥っているがそうではない。われわれの恣意だけが分類を可能にするのである。

 哲学者のミシェル・フーコーは古代中国の百科事典を紹介している3)。そこでは動物は下のように分類されている。

a) 皇帝に属するもの
b) 香の匂いを放つもの
c) 飼いならされたもの
d) 乳呑み豚
e) 人魚
f) お話に出てくるもの
g) 放し飼いの犬
h) この分類自体に含まれているもの
i) 気違いのように騒ぐもの
j) 算えきれぬもの
k) 駱駝の毛のごく細の毛筆で描かれたもの
l) その他
m) いましがた壺をこわしたもの
n) とおくから蝿のように見えるもの

 これなんかかなり笑えるのだが,人の分類がいかに恣意的に作られているのか,よくわかる。それにしても,いかにしてこのような分類が成立したのか,想像するのは楽しいですね。

 以前,ある耳鼻科の先生と「メジャーとマイナー」の話をしていて気がついたのだが,あの「メジャー」とか「マイナー」というのも特に確たる論理的な基準があって分類されているわけではない。「なんとなく」成立した分類である。例えば,整形外科。ある医学生へのアンケートでは,整形外科をメジャーとみなす者と,マイナーとみなす者は,ほぼ半々であったという4)。この「みなす」という言葉が示唆的である。通常,判断というものは事実があって,事実解釈⇒判断という順番で進むと考えがちであるが,そうではなくて,多くの場合,判断(みなし)が先行して,そこに事実や根拠を後付けしているのである。医学専門領域にメジャーとかマイナーという厳然たる「事実」があるわけではない。そこにあるのは主観的な解釈だけである。われわれは主観的に整形外科をメジャーだとか,マイナーだとか直観し,その後で根拠を後付けするのである。

 いやいや,厚生労働省の医師臨床研修制度必修科目に整形外科は入っていないから5),という反論も間違いである。あれもまさに判断が先行しており,それを形式化しただけなのだから。形式が根拠に転ずる事例は特に日本でとても多いですね,それにしても。

 脳科学の実験でもこの「後付け」(postdiction)を示唆するものがあるそうだが6),脳科学や心理学の実験の過度な一般化は,マウスの実験の臨床応用みたいにやや危険だと思うのでここでは深入りしない(脳科学や心理学の基礎実験を過度にストレッチした「人生やビジネスがうまくいく的ハウツウ本」って本当に多いですよね)。

 そのことが,良いとか悪いとかを申し上げているのではない。「そういうものだ」ということを申し上げているのである。

 このように,二元論は全て恣意性だけをもって根拠付けられる分類である。いやいや,男と女は違うでしょ,という意見もあるかもしれないが,「男性医師」と「女性医師」を別物と分類する根拠は恣意性にしかない(そもそも,男と女の区別自体,かなり恣意的に行われているけど,その話はまた別の所で)。

 ある対象をネーミングし,恣意によってそれが分類されていることを看破したのが構造主義であった。言語学者のフェルディナン・ド・ソシュールとか,人類学者のクロード・レヴィ=ストロースたちが始めた考え方である。日本では1980年代のニューアカに象徴されるように,「今流行っていること」に飛びつき,それ以前の概念を「もう古いよ」と捨ててしまう悪いクセがある。構造主義もポスト構造主義の出現とともに,「あんなの古いよ」と古着を捨てるようにポイッとあしらわれてしまったのだけれど,近年になってそのような思想の流行最先端追っかけみたいな軽薄な態度は(バブル崩壊とシンクロして)だんだんなくなってきました。もっとも,流行りの先端を追っかけないと気が済まないというのは日本のアカデミズムでは今でも普遍的で,多くの人は本稿執筆時点でiPSとか震災対策とかに飛びつ……うわっ,なにをする,やめrくぁwせdrftgyふじこlp

 で,最近では池田清彦,西條剛央,内田樹,名郷直樹(敬称略)といった各界の論客が出てきて,思想の流行りに飛びついては捨てるという軽薄な態度から,日本における地に足の着いた構造主義の再評価が起きている,と思う。

 さて,繰り返す。医療において二元論は普遍的であるが,それは全て恣意によって規定されている二元論である。そして,ぼくはこの二元論は全て克服されねばならないと考える。なぜ,そう考えるのか。どうやって,克服するのか。次号以降にその理路をお示しする。

つづく

参考文献
1)UsingEnglish.com
2)小西友七編.ランダムハウス英和大辞典.第2版.小学館;1993.
3)ミシェル・フーコー.言葉と物――人文科学の考古学.渡辺一民,佐々木明訳.新潮社;1974;p13.
4)山下敏彦.整形外科はマイナーか.臨整外.2003;38(9):1131-2.
5)厚労省.医師臨床研修制度の見直しについて.
6)Eagleman DM, et al. Motion integration and postdiction in visual awareness. Science. 2000 ; 287(5460) : 2036-8.


岩田健太郎
1997年島根医大卒。沖縄県立中部病院研修医,セントルークス・ルーズベルト病院内科研修医,ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェロー,北京インターナショナルSOSクリニック家庭医,亀田総合病院総合診療・感染症科部長などを経て2008年より現職。米国感染症専門医。ロンドン大熱帯医学衛生学校感染症修士。

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