医学界新聞

連載

2013.05.20

〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第245回

ヒト遺伝子特許論争(1)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


3025号よりつづく

 4月15日,米最高裁で,「ヒト遺伝子を特許の対象とすべきかどうか」についての審理が行われた。

 当地では,審理の過程で,クッキーや,野球のバットのたとえが持ち出されたことが話題となったが,最高裁の判事たちは法をめぐる知識・理論については権威であっても,科学,それもDNAや分子生物学の知識が豊かであるわけではない。問題の本質を少しでもよく理解しようと努める過程で,聞きようによっては「滑稽」とも響く,クッキーやバットのたとえが持ち出されることとなったのである。

遺伝子は特許の対象とすべきか

 そもそも,遺伝子を特許の対象とすべきかどうかがなぜ法的に問題になるのかというと,米国の特許法は「自然の産物(products of nature)あるいは自然の法則(laws of nature)そのものは特許の対象としない」と定めているからである(空気や太陽に独占的特許が与えられた場合,生きていくために,誰かに特許使用料を払わなければならなくなってしまう)。

 ヒト遺伝子についても,人体・細胞の一部であり「自然の産物」であるから特許の対象とすべきではないとする議論は以前からあったのであるが,米特許商標局は,1980年代以降,ヒト遺伝子を対象とした特許を認め続けてきた。その結果,これまで,2万以上といわれるヒト遺伝子のうち,約40%に特許が与えられてきた。15ヌクレオチドのみの短いDNAシークエンスに対する特許も含めると,遺伝子間のオーバーラップが存在するため,すべてのヒト遺伝子がすでに実質的に特許の対象となっているのである(註1)。

 今回最高裁で争われた訴訟は,乳癌・卵巣癌関連遺伝子BRCA1・BRCA2に対する特許をめぐるものであったが,被告となったのは,特許を持つユタ大学研究財団,バイオ企業「ミリアッド・ジェネティクス社」(以下,ミリアッド社),そして特許申請を認可した政府特許商標局だった。以前(第2976号)にも述べたように,米国の最高裁における審理は,原告・被告双方の弁護士が論争を戦わせると言うよりも,最高裁判事が,まるで教授が学生に対して口頭試問を行うかのように,弁護士相手に質問攻めにしたり論争を挑んだりするのが普通である。今回の審理においても,被告弁護士に対する判事たちの質問は「遺伝子は自然の産物であるのになぜ特許の対象となり得るのか」という点に集中した。

 例えば,クッキーのたとえを使って被告弁護士に論争を挑んだのはラテン系で初の最高裁判事となったソニア・ソトマヨールだった。彼女の質問は,大略,以下のようなものだった。「もし,私がクッキーの新しいレシピを作ったら,そのレシピは特許の対象になるでしょう。でも,仮に私がクッキーの成分を解析する新しい方法を開発してその成分を割り出すことに成功したとしても,小麦粉や卵や砂糖について特許を得ることはできません。なぜ,もともと体に存在する遺伝子を単離した場合,取り出された遺伝子を特許の対象としなければならないのですか?」

 これに対して,ミリアッド社の弁護士はバットのたとえを持ち出して,単離した遺伝子は特許の対象になると反論した。「バットは木でできています。木に対して特許を得ることはできませんが,もともと自然に存在する木からバットの形をした部分を取り出した場合,バットは特許の対象となります」

これに対して,すぐさま再反論したのは,最高裁長官のジョン・ロバーツだった。「バットを木から切り出すことと遺伝子の単離は違う。遺伝子の場合は,全体から一部を取り出すだけだが,『木の枝をあそことここで切って――』という操作を繰り返したとしても絶対にバットの形はできあがらない。遺伝子は取り出すだけであるのと違って,バットはその形を発明しなければならない」と手厳しい反撃を加えたのである。

DNA二重らせん発見者による意見書提出

 最高裁での審理は,一見被告側に不利な形勢で進行したのであるが,法廷に提出された科学者・医師団体等の意見書(註2)も,「遺伝子は特許の対象とすべきでない」とする主張が大勢を占めた。たとえば,DNA二重らせん構造の発見者ジェイムズ・ワトソンも,(1)遺伝子に含まれる情報はヒトがヒトたることの本質を規定するものであり,これは特許の対象とすべきでない,(2)「ヒューマン・ジェノム・プロジェクト」という大がかりな事業は,人類すべてを利するために始められたのであって,特定の企業を利するために始められたのではない。特定の遺伝子の特許を認めることは同事業の精神に反する,(3)遺伝子に対する特許は科学を進歩させるために必要ではない,とする意見書を提出した。

 さらに,特許商標局が被告となっているというのに,米国政府も,訟務長官および司法省名で「遺伝子を特許の対象とすべきではない」とする意見書を提出,政府内に「ねじれ」が存在することも明らかになったのだった。

 それにしても,特許はあまたの遺伝子に認められているというのに,なぜよりによってBRCA1/2が特許無効訴訟の対象とされたのだろうか? ミリアッド社が晴れて歴史的裁判の被告に選出された理由をご理解いただくために,次回は,原告の顔触れを紹介するとともに,彼らが特許無効を訴えるに至った背景を説明する。

この項続く


註1:Rosenfeld J, et al. Pervasive sequence patents cover the entire human genome. Genome Med. 2013;5(3):27. [Epub ahead of print]
註2:「Amicus curiae」(法廷の助言者)の意見書。米国では被告でも原告でもない第三者が法廷に対して意見書を提出する制度があり,今回の訴訟については,これまで約50の意見書が提出された。米医師会,AARP(会員数4000万人を誇る高齢者団体)等が,「遺伝子は特許の対象とすべきでない」とする意見書を提出する一方で,バイオテクノロジーの業界団体は「対象とすべし」とする意見書を提出している。

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook