医学界新聞

連載

2011.02.07

連載
臨床医学航海術

第61回

英語力-外国語力(1)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

臨床医学は疾風怒濤の海。この大海原を安全に航海するためには卓越した航海術が必要となる。本連載では,この臨床医学航海術の土台となる「人間としての基礎的技能」を示すことにする。もっとも,これらの技能は,臨床医学に限らず人生という大海原の航海術なのかもしれないが……。


 前回と前々回は,人間としての基礎的技能から外れて,言語能力と言語学について考えた。今回はまた人間としての基礎的技能に話題を戻す。当初の予定では,次は「論理的思考能力-考える」であったが,ここまで考えてきた「言語」に関連する技能として,「英語力-外国語力」を先に考えたい。外国語といっても世界には数多くの言語が存在するが,ここでは特に「国際語」と呼ばれる「英語」について考える。

 人間としての基礎的技能
(1)読解力-読む
(2)記述力-書く
(3)視覚認識力-みる
(4)聴覚理解力-きく
(5)言語発表力-話す,プレゼンテーション力
(6)英語力-外国語力
(7)論理的思考能力-考える
(8)芸術的感性-感じる
(9)気力と体力
(10)生活力
(11)IT力
(12)心
技能の順序と共に,筆者の現在の考えに沿って「コンピュータ力⇒IT力」「体力⇒気力と体力」へと変更した。

外国語習得の必要性

 現在,「英語」が「国際語」であることに異論を唱える人はいないであろう。しかし,「翻訳・通訳などにより世界規模での情報共有の基盤が整ってきた現代でも,日本人が外国語を学ぶ必要が果たしてあるのか?」と尋ねる人がいる。あるいは,「日本では日本語が公用語なので,日本に居住する外国人は日本語を話すべきだ。日本人も日本ではわざわざ外国人のために外国語を話す必要はないのではないか?」と言う人もいる。

 これらの意見には一理ある。確かに現代では,英語の書籍でもすぐに翻訳が出るし,テレビや映画では字幕がつく。したがって,日本語だけでもほとんど不自由しない。また,日本に来る外国人の中には日本語を流暢に話す人もいる。このような理由から,現在外国語を習得する必要がないと考える人がいることは理解できる。筆者は外国語を習得する意志がない,あるいは,必要性を感じない人に強制的に外国語を習得させる必要はないと考えている。なぜならば,外国語を学ぶことを拒否する権利もあると考えるからである。

 外国語を学ぶか学ばないか,それは突き詰めればその人の生き方の問題だと思う。外国語を苦労して学べば,その言語で表現された書物や映像を直接自分で吸収できる利点がある。その半面,その言語を習得するために多大な労力と出費が必要となる。一方,外国語を学ばなければ,外国語で表現された書物や映像などは自国語に翻訳されたものでなければ吸収できなくなってしまう。こうなると,自分が吸収できる外国の資料は自国語に翻訳されたものだけに限定されてしまうし,その資料の理解もあくまで自国語を通して行われるので制限されたものになる。しかし,外国語を学ばないと決断すれば,それを学ぶための多大な労力と出費が不要になるのである。

 このように外国語を習得することと習得しないことにはそれぞれ利点と欠点がある。しかし,それでも現実的に外国語を学ぶ人と学ばない人を分ける要因は,外国語を習得することに対する一種の「費用対効果」の問題であると筆者は考える。すなわち,多大な労力と出費をかけて外国語を学んで,それ以上の外国文化を吸収できることをメリットだと考える人は外国語を学ぶが,そう考えない人は学ばないのだろう。つまり,外国語習得の「費用対効果」の判断により,外国語を習得するか否かが決定されるのである。

英語習得のデメリット

 次に,筆者が感じている,外国語を習得することで生じるデメリットを紹介する。

 筆者は以前「国際病院」と名のつく病院に勤務していたことがあった。その病院では,名前が「国際病院 International Hospital」なのだから,当然外国人も数多く受診していた。彼らは,「国際語」である「英語」で受診できるだろうと期待しているのである。ところが,事務の方は少しは英語ができたが,外国人がちょっと早く話し出すとお手上げであった。マシンガンのように捲し立てられているようで,何を言っているのかチンプンカンプンなのである。もっともその外国人にとっては普通に話しているつもりなのであるが……。こんなときすぐさま呼び出されるのは,一応海外留学の経験がある筆者であった。

 外国人の患者が救急室を受診することもしばしばあった。患者が外国人であるということは,名前を見れば一目瞭然である。しかし,次の患者が外国人の場合,なぜかわからないが,その患者を誰も診ようとせずに,いつまでたってもその患者のカルテは放置されていた。そこには「外国人は誰か英語ができる人が診てくれないか……」という無言の意思が感じられた。それから,知らない病棟の医師から突然電話がかかってくることもあった。聞くと「英語形式の診断書の書き方を教えてください」とのことであった。

 また,救急室に外国人の電話相談が回されることもあった。救急室が最も多忙な準夜帯に突然ある看護師が怒った顔で筆者に受話器をつき出した。どうやら「いいから電話に出ろ!」ということらしい。仕方がないから電話に出ると,ある外国人が英語で質問してきた。「私は鹿児島に住むアメリカ人だが,このたび日本人の子どもを養子に受けようと思う。それで,その子どもには心室中隔欠損症という病気があるという。この場合,心室中隔の孔は,どれぐらいの確率で自然閉鎖するものなのか?」という質問であった。

 このような英語の電話相談を瞬時に聞いて理解して英語で返答するのは,普通に日本で生活してきた日本人にはほぼ不可能であろう。勝手に電話をしてきて英語で捲し立てるこうした相談には,必ず応対しなければならないという義務はもちろんない。丁重に応対してもそれはあくまでボランティアである。だから,自分が取った電話が外国人の電話相談だとわかるやいなや,「電話してくるな!」とばかりにブチッと一方的に受話器をたたきつけて電話を切っていた医師もいた。

 下手に少し英語ができると,外国人の対応で呼び出され,英語の診断書を頼まれ,外国人の診察をさせられ,おまけに,英語の電話相談にも応対させられるのである。つまり,余計な仕事が多くなるのである。いかに「国際病院」だからと言っても,このように他の人より余計にする仕事に対して「英語手当」などは一切ない。すべてがボランティアである。そうなると,学生時代から一生懸命英語を身に付けるために努力してお金と時間をかけてきても,その能力に対する評価がないと結局「損」になるのではないか? こんなに余計な仕事ばかり増えると,英語ができないために外国人から"Are you really a doctor?"と呆れられる厚顔無恥な医師のほうがよっぽど得ではないかと思えてしまう。

 このように英語を習得するときは,英語を話せることのデメリットの存在を肝に銘じたほうがよいだろう……。

つづく

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