医学界新聞

連載

2008.03.10



名郷直樹の研修センター長日記

50R

患者の絶望を叶える

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院 臨床研修センター長


前回2768号

 研修医と外来を始めてやがて1年。もうほとんど手放し運転。十分任せられる。研修医はどんどんできるようになる。私が知らないようなことも,最新の教科書を参照して,その場で調べたりしている。当初の目標は3つ。病歴と身体診察のみでできる限り診断を組み立てる。疑問が生じたらその場で1分でも調べる。できるだけたくさんの患者を診る。最初の2つはかなり達成された。あとは3つ目の患者を診る速度。あまりに多い日本の病院の外来をいかにこなすか。本当はこなさないほうがいい。時間をかけるのがいいに決まっているのだが,病歴と身体診察を重視する以上,どうしても時間がかかる。病歴と身体診察をおろそかにして,なんでも検査,そんなことだけはするな。そういいながら,数をこなせ。矛盾した目標である。こんな無理な目標を研修医に対して設定する。しかし,現実がのんびり病歴,診察をとることを許さない以上,この無理を承知でがんばるしかない。とはいえ,のんびり診ることを許さない現実とは何か。本当にそんな現実があるのか,一度吟味が必要だ。そう思っていたところへ来た,頭痛の患者さん。研修医からのコンサルテーションである。

「3日前からの頭痛を主訴に来院した40歳の女性です。突然発症でもなく,増悪傾向もなく,以前より同様な頭痛発作を反復しているため,くも膜下出血は否定的で,機能性の頭痛と思われるんですが,どうしてもCTの検査をしてほしいというので,患者の希望を考慮して頭部CTをオーダーしてしまいました」
「話をして,診察するだけじゃあ安心できないのかな」
「最初から検査希望という話から始まって,そんな感じです」
「CTができたら一緒に読もう」

 結局そうなるんだから,患者の希望をさっさと叶えて,CTを撮ってしまえばいいのだ。確かにそうだ。それも一理ある。で,実際そうなる。そのほうが数こなせるし,病院も収入になる。そこで別の研修医のまた別の患者。

「昨年の秋ごろからの繰り返す胸痛を主訴とする33歳の女性です。痛みは胸骨正中ですが,安静時に起こり,心臓がキュッと踊る感じの痛みということで,痛みの持続が数秒という単位です。冠動脈疾患の危険因子はなく,虚血性心疾患の可能性は否定的で,むしろ不整脈の症状と思いますが,昨日のテレビのニュースで見たということで,冠動脈CTを希望されています。被曝や造影剤の副作用などについても説明したんですが,検査をしてほしいという希望は変わりませんでした。冠動脈に病変がある確率はほとんどないと思うのですが,患者さんの希望に沿ってCTをオーダーしてもいいでしょうか?」

 なかなかよいプレゼンだ。しかし,プレゼンはよいのだが,またか,そういう感じである。そんな患者に,ただ心配ないといっても納得しない。医者より検査のほうが信頼できる。そういう信念がある。そのうえ,患者の不安がいちばんの問題なんだから,検査をして,不安をとってやることが重要だ。研修医はずいぶん立派だ。こうした患者にきちんと向き合っている。何だか研修医より,私自身がいらいらしてくる。田舎の診療所はよかったなあ。冠動脈CTどころか,普通のCTだってないんだから,こんなことで悩むこともない。

「患者の希望っていうけど,それはどんな希望なんだ? 検査漬けにしてほしいという希望なのか? 検査漬けを希望するって,それは希望と呼べるようなものなのだろうか? それは患者の絶望ということじゃないか。絶望的な希望だ。叶えられたところで,いったいどうだというのだ。医者は疲れ,患者はいったん満足するが,たぶんこれに味をしめて,また次から次へと検査を望む。保険を使うということは3割負担だ。それを多いと見る向きもあるが,これは普通の買い物からしたら恐ろしく安い。常に7割引で検査を買えるのだ。少しでも健康に不安があれば,次の検査を買いたくなるに決まっている。さらに悪いことには,こうした循環で,病院はますます儲かる。とんでもない循環が完成している。さっぱりわからないんだが。どうしたらいいんだろう」
「テレビの影響が大きいのだと思います」
「テレビは本当に最低だ。一度でいいから,こういう場合,検査はしなくて大丈夫だというのをやってくれないだろうか」
「CTができたらまた来ます」
「そうだ。それがいい」

 そんなばかなやり取りをするわけにもいかず,イライラをなんとかコントロールして,現実の研修医に向き合う。

「冠動脈CTは循環器を通さないとオーダーできないから,とりあえず循環器へ依頼を出して,そっちにお願いしよう」
「わかりました」

 今日も多くの患者の希望ならぬ,絶望を叶えた。話を聞く医者なんて,本当はいらないんじゃないだろうか。のんびり診ることを許さない現実,それは思いのほか強固なものだ。単に時間がないなんていう生易しいもんじゃないことだけは確かだ。

次回につづく


本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

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