医学界新聞

連載

2008.01.14



名郷直樹の研修センター長日記

48R

脈絡のない話の脈絡

名郷直樹  地域医療振興協会 地域医療研修センター長
東京北社会保険病院 臨床研修センター長


前回2760号

■月×日

 今日もまた2年目の研修医と外来だった。研修医とやる外来は相変わらず楽しい。人の不幸に向き合って楽しいとは,なんと不謹慎な。まあそう硬いことは言わずに。医師の仕事は基本的に不謹慎なものなのだ。人の不幸で稼いでいる,その不謹慎さを自覚することがせめて重要だ。不謹慎さをなくすことなどできないのだから。研修医は特にそうだ。今日は気胸の患者が来て,胸腔ドレーンを経験できたなんて,多くの研修医がうれしそうに語るのだ。それは確かに不謹慎だが,そこでうれしがるなといっても無理である。重要なのは,うれしがらないようにすることではなくて,人の不幸をうれしがるような中で研修していることをしっかり自覚すること,そっちのほうだ。

 気がつくと当初書こうとしたこととまったく別のことになっている。すぐ脱線する。戻れないようなところへ行く前に,今日の外来の話に戻ろう。しかし戻るのが本当にいいことなのかどうか。またすぐに脱線する。医師の仕事の不謹慎さ,予期せず出てきた話題のほうが,実は重要だったりする。へき地医療だってそうだ。横道にそれたはずが,そこが王道だった。わが師匠から学んだ,人生最大の教訓。まさに「副腎に求めよ」である。脱線が止まらない。

 

 しかし脱線はリアルなのだ。アクチュアルといったほうがいいか。どこかの本で,その二つの区別について読んだことがある。でもそれが何の本だったのか思い出せない。何だっけ? そこは脱線できない,行き止まりだ。そこでまた別の方向へ脱線する。リアルというかアクチュアルというか,「今」というともう少し一般的か。しかし一般的,と書くと,それで脱線は一応収束し,リアルでも,アクチュアルでもない,一般的な,今という言葉で,「今」が遠ざかる。でも「今」を書こうとしたら,こうなるほかはない。「今を生きる」,なんてよくありがちな言い回しだが,それは生半可なものじゃない。「今」とは,脱線に次ぐ脱線だからだ。一般的な何かに決して収束しないもの。過去や未来と容易につながりがわからないような,混沌としたもの。

 もし脱線ということがあるとしたら,本線があるはずだ。例えば今日,日記を書き始めたときに,これを書こうというようなもの。そこに乗っかって書き始めたところが本線である。本線は基本的に過去から始まる。そもそもそこに線路が引いてあるわけだから。しかし,その過去に引かれた線路に乗ったところ,引かれた線路通りには進まないのが普通というものだ。とにかく走り始めたとたんに,脱線し始める。線路は過去で,今は,あくまで「今」だからだ。つながっているようで切れている。でも,切れているようで,実際はつながっているのではないか。

 「今を書く」,それが日記を書くひとつの理由だ。もうひとつは,自分の中ですでに形になったものを書く。それは,「今を書く」に対して,「過去を書く」,ということになるのだろうか。今日はそれが入り乱れてわけのわからないことになっている。

 研修医の話で始まるかのように装い,医師の不謹慎さのことになり,さらには話の脱線の話になり,「今」についての話になる。何の脈絡もない。確かにそうだ。しかし本当は脈絡がある。あるからこそ,こうして次々話がつながってでてくるのだ。

 そんなところから,突然今日の外来につながる。最初書こうと思っていた患者さんとは,まったく別の患者さんのことが浮かんでくる。

 

「訴えが多い患者さんで,何が何だかわからないんですけど……」
「いいよ,わけがわからないままにプレゼンしてみて」
「55歳の女性の方ですが,最初は頭痛の話だったんですけど,話しているうちに,おなかの話になって,健診でコレステロールが高いといわれた話になって,そんな感じなんですけど」
「一番心配なことは,なんて聞いてみた?」
「そうしたら,また別の新しい話になってしまって,小さい頃のからだが弱かった話になって」
「そんなときは一度話を止めて,自分が患者さんから聞いた話を要約して,患者さんに戻してみるといい。それはやってみた?」
「それもこの前言われたのでやってみたのですが……」
「それは大変だ。とりあえずどうした?」
「前回の健診から1年近くが経っているので,胸部レントゲン,心電図,採血のオーダーを出して,検査中です」
「とりあえず急ぐ問題はないようだから,結果がでたあとは,患者さんからの情報の引き出しをやめて,検査の結果のみ説明して,次回の予約を取っておいたらどうだろう」
「わかりました。そうします」

 

 なぜこの患者さんを思い出したか。今日の自分の日記と似ているからだ。脈絡がない中でこそ,1人の患者さんが思い出された。自分の話をまとめたり,要約したりしないからこそ,そこにたどり着けた。患者さんの話も脱線に次ぐ脱線で,よくわけがわからなくなる。そんなとき患者さんの話を要約してみて,なんていうのだが,そんなことが本当に意味のあることがどうか。めぐりめぐってしかたどり着けないところがある。要約をしないで,ひたすら患者さんの脱線に向き合うことでしか,決してたどり着けないところがある。今日だって,研修医には本当はこういうべきだったかもしれない。

 

「要約なんてせずに,検査なんかオーダーせずに,時間の許す限り,わけのわからない話にとことん付き合ってみてはどうだろうか。患者さん自身が解決の糸口を見出すかもしれない」

次回につづく


本連載はフィクションであり,実在する人物,団体,施設とは関係がありません。

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