医学界新聞

連載

2007.08.06

 

連載
臨床医学航海術

第19回   医学生へのアドバイス(3)

田中和豊(済生会福岡総合病院臨床教育部部長)


前回よりつづく

 臨床医学は大きな海に例えることができる。その海を航海することは至難の業である。吹きすさぶ嵐,荒れ狂う波,轟く雷……その航路は決して穏やかではない。そしてさらに現在この大海原には大きな変革が起こっている。この連載では,現在この大海原に起こっている変革を解説し,それに対して医学生や研修医はどのような準備をすれば,より安全に臨床医学の大海を航海できるのかを示したい。


 今回も前回に引き続き勉強方法について述べる。第2条「原則と禁忌を覚える」と第3条「次の一手を覚える」は実際の臨床医学の現場でのことであるので,ここでは割愛する。今回は第4条について述べることにする。

勉強方法10か条
第1条 勉強は自分でする。
第2条 原則と禁忌を覚える。
第3条 次の一手を覚える。
第4条 基本から応用に向けて勉強する。
第5条 common diseaseから奇病に向けて勉強する。
第6条 専門から専門外に向けて勉強する。
第7条 人から技術を盗む。
第8条 知識を知恵にする。
第9条 森を見て木も見る。
第10条 手段を目的化しない。

第4条 基本から応用に向けて勉強する

 これも当たり前といえば当たり前である。しかし,中には「応用ができれば基本はできる」,あるいは,「複雑なものができれば単純なものができる」と考えている人々がいるらしい。これを医療の世界でいうと,「難病・奇病や重症の患者を診ることができれば,common diseaseや軽症の患者を診ることができる」ということである。しかし,ほんとうにそうであろうか?

 筆者は,難病や奇病専門の医師や重症の患者ばかりを診る救急医が軽症の患者をまったく診ることができない場面に遭遇したことがある。また,そういう医師が軽症の患者を診療すると,初めからどうせ単なる軽症患者であると決めつけて対症療法だけで帰宅させていたりする。こういう医師たちには,軽症に見えるが後から重症になる疾患をピック・アップしようという感覚はないらしい。歩いて来るクモ膜下出血,急性胃腸炎に見える糖尿病性ケトアシドーシスなど。もちろん,逆に軽症しか診ない開業医などが重症患者や難病・奇病にまったくお手上げということもある。

 それではここで,これらの「難病・奇病・重症専門医」と「common disease・軽症専門医」の2つの両極端の医師をすべての傷病を診療できるように再教育しようとした場合,いったいどちらが成長の可能性が高いか考えてみよう。

 「難病・奇病・重症専門医」には,問診・診察などから再教育しなければならない。一方,「common disease・軽症専門医」には,蘇生法や挿管法などを再教育しなければならない。どちらも異なる領域で再教育が必要である。しかし,これら2種類の専門医の再教育には決定的な相違点がある。すなわち,蘇生法は2日程度のACLS(R)などのコース受講で学習可能で挿管法は麻酔科を数か月ローテートすれば修得可能であるが,問診・診察など基本的技能は外来や救急当直などの経験を数年積まなければ修得不可能という点である。

 このことを言い換えると,基本的な技能ほど修得するのに時間がかかるということである。これは何も臨床医学に限ったことではなく,すべての技能に共通して言えることである。スポーツにおける基礎体力,音楽における音階や楽典,絵画におけるデッサンなど,すべての基本技能は共通して修得するのが困難でかつ時間がかかるのである。ここで,もしも基本的な技能ほど修得が容易であったとしたら,応用から基本に向けて勉強して何ら問題はないであろう。ところが,困ったことに人間の技能は基本的なものほど修得が困難で時間がかかってしまうのである。逆に基本的技能が身についている人には,この基本的技能が長年の経験から体に染みついて血となり肉となっているのが感じられるものである。

 このような事情を考えると,勉強方法はやはり「基本から応用に向けて勉強する」べきである。このことは言われてみれば当たり前であるが,1637年のデカルトの『方法序説』に明確に「原理」として記載されている。デカルトはこの『方法序説』の中で人間が真理を探究する方法として,4つの規則を挙げ,総合の規則と呼ばれる第三の規則でこう述べている。

第三の規則(総合の規則)
第三は,わたしの思考を順序にしたがって導くこと。そこでは,もっとも単純でもっとも認識のしやすいものから始めて,少しずつ,階段を昇るようにして,もっとも複雑なものの認識にまで昇っていき,自然のままでは互いに前後の順序がつかないものの間にさえも順序を想定して進むこと。(参考文献3)より引用)

 この規則でデカルトは「単純なものから複雑なもの」という方向だけでなく,その進み方を「少しずつ,階段を昇るようにして」と指定している。このように進み方を特別に指定しているのは,高い壁を越えるのに何回もジャンプして越えようと失敗を繰り返すよりも,回り道でも一歩ずつ長い階段を昇っていけば,いずれは壁を乗り越えることができるからである。すなわち,いつ克服できるかわからない難病・奇病・重症の患者に無意味と思われる努力を繰り返すよりも,今確実に克服できるcommon disease・軽症を治療する努力を続けていけば,やがていつか現在克服できない難病・奇病・重症の患者も治療できるようになると言っているのである。もちろん,筆者は難病や奇病に対して研究するのがまったく無意味であるなどと言っているのではない。難病や奇病に対する研究も非常に重要であるが,少なくとも臨床に出たばかりの研修医が基本技能を疎かにしてまで没頭すべきことではないはずなのである。

次回につづく

参考文献
1)田中和豊:問題解決型救急初期診療(医学書院,2003)
2)田中和豊:臨床研修期間の目標を設定しよう-ERで効果的に学習する方法:基本的技能教育法と救急疾患攻略法,特集-ERでの研修医教育,ERマガジン5:362-366, 2005
3)デカルト,谷川多佳子訳:方法序説(岩波書店,p29, 1997)

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