医学界新聞


クルーザン家の悲劇(2)

連載

2007.03.05

  〔連載〕続 アメリカ医療の光と影  第103回

延命治療の中止を巡って(11)
クルーザン家の悲劇(2)

李 啓充 医師/作家(在ボストン)


2720号よりつづく

〈これまでのあらすじ:1983年,ナンシー・クルーザン(当時25歳)は,交通事故の後遺症で遷延性植物状態となった〉

 ナンシーの父親ジョー・クルーザンが,「娘の経管栄養チューブを外してほしい」と,入院先の州立ミズーリ・リハビリテーション・センターに正式に申し入れたのは,87年5月,ナンシーが遷延性植物状態となってから4年4か月後のことだった。父親の要請に対し,病院側は,「呼吸器を外すという要請だったら受け入れることはできたろうが,経管栄養を中止して患者を『飢え死に』させることはできない」と,これを拒絶した。

特異なミズーリ州法

 ここで,病院側が父親の要請を拒絶した背景について少し解説を加えるが,そもそも,75年にカレン・クィンランの事例が裁判となったのは,医療側が「患者を殺すことはできない」と呼吸器を外すことを拒否したことが原因だった。クルーザン家が経管栄養チューブを外すよう要請した87年5月は,カレン・クィンラン事件の画期的判決から11年が経過した時点だったが,当時,米国では「呼吸器外し」はすでに「ルーティン」化していたからこそ,病院側も「呼吸器外しだったら要請を受け入れることができたのに」と答えたのだった。さらに,前回紹介したポール・ブロフィーの事例のように,「延命治療の一環」と,経管栄養が中止される事例も全米に広がりつつあったのである(註12)。

 そういった状況の中にあって,当時,ミズーリ州は,経管栄養を外すことは「違法」と州法で定めるなど,全米の中でもユニークな立場をとっていた。85年に制定した「生前遺言法」で,「経管栄養は医学的『治療』ではないので,これを患者は拒否できない」と定めていたのである(医学的「治療」であれば,患者の自己決定権の原則の下に,患者に「治療を拒否する権利」が生じ得るが,「栄養や水分を与えることは医学的『治療』ではないので,患者...

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