延命治療の中止を巡って(12)
クルーザン家の悲劇(3)
連載
2007.03.19
〔連載〕続 アメリカ医療の光と影 第104回
延命治療の中止を巡って(12)
クルーザン家の悲劇(3)
李 啓充 医師/作家(在ボストン)〈これまでのあらすじ:1990年,米最高裁は,遷延性植物状態患者ナンシー・クルーザンの経管栄養中止を巡って争われた訴訟で,患者が治療を拒否する権利は憲法で保障された権利であることを認定した〉
経管栄養中止を求めた家族の申請を最高裁が退けたことで,3年続いた訴訟は,クルーザン家の敗訴で終結したかのように見えた。しかし,最高裁判決は,「ミズーリ州法の要件である『明瞭かつ確固たる証拠』の存在を示すことができれば,経管栄養中止は差し支えない」とし,法律上のテクニカルな障害をクリアしさえすれば家族が希望をかなえ得ることを示唆したのだった。
現れた3証人
最高裁判決の示唆に従う形で,家族は,州検認裁判所(遺言・資産・後見人等にかかわる検認・係争を処理する法廷)に「新証拠」を提出,経管栄養中止を認めるよう,改めて申請した。家族が提出した「新証拠」とは,ナンシーが元気だったときに「もし植物状態になったとしても,強制的に栄養を補給されることは絶対にイヤ」と語るのを聞いたという,新証人の出現だった。新証人は3人いたが,なぜ,彼らの存在が初期の段階で知られていなかったかというと,3人とも,ナンシーが結婚し,「クルーザン」ではない姓を名乗っていた頃の知り合いだったからだった。ナンシーの延命治療を巡る裁判の報道は上級審に進むほど大きくなったが,3人は,ニュースにナンシーの顔写真が頻繁に使われるようになって初めて,渦中の「ナンシー・クルーザン」が,自分たちが知っていた「ナンシー」と同一人物であることを認識したのだった。
最高裁の判決後「都合よく」現れた新証人の信憑性を疑う向きもあったが,3人とも,実は,最高裁の判決が出る前に,自発的に家族と接触していた。さらに,3人のうち2人は,ナンシーが障害児学級の教員補助員として数か月働いていた時の同僚だったが,2人とも,ナンシーが,受け持っていた障害児の食事の世話で疲労困憊した後,「もし自分が植物状態になったら,強制的に栄養されるのだけは絶対イヤ」ときっぱり語ったことを明瞭に記憶,その証言内容に食い違いもなかった。
さらに,家族も含めて誰も予期していなかったことだったが,一審の際には「医師として栄養チューブを抜くことはできない」と証言した主治医のジェームズ・デービスが,「一審のときは受け持って1年ほどたった時期だったが,その後3年間毎日患者を診てきて,回復の見込みがまったくないことを確信した。両親の希望をかなえるべきだ」と,主張を全面的に翻したのだった。
クルーザン一家の心をもっとも傷つけたのは……
最高裁判決から約半年後の90年12月14日,検認裁判所は「明瞭かつ確固たる証拠」の存在を認め,ナンシーの経管栄養を中止する命令を下した。ナンシーが入院するミズーリ州立リハビリテーション・センター(MRC)には,経管栄養の中止に反対する職員(特に看護師)が多く,「抜去の指示があっても断固拒否する」と息巻く者もいたが,主治医のデービスは,一審のときの証言とは裏腹に,胃瘻につなげられていたチューブを自らの手で抜去したのだった。抜去後,ナンシーは,家族と病院との事前の取り決めに従って,ホスピス棟に移された。栄養管抜去のニュースが報道された直後から,「ナンシーを救え」と,全米から「pro-life」(註1)の活動家がMRCに集結するようになった。抗議行動の前面に立ったのは,中絶反対の実力行動で知られる「Operation Rescue」であったが,ナンシーの経管栄養再開をめざして同グループが試みた病棟内突入は,待ちかまえた警官たちによってかろうじて阻止された。
実力行動の一方で,活動家たちは,政治家や法廷への働きかけを繰り返した。政治家として働きかけの最大標的となったのは,当時の州知事,ジョン・アシュクロフト(註2)であった。アシュクロフトは,自身もpro-lifeであっただけに介入したい気持ちはやまやまだったが,州として取り得る法的手段は存在しなかった。万策尽きたアシュクロフトは,MRC所長を介し,主治医のデービスに,個人的に経管栄養再開を「要請」したが,デービスは,「医学的理由がない」と,知事からの要請をきっぱりと拒絶したのだった。
おりしもクリスマス・シーズンとあって,「ナンシーを救え」という活動家たちの祈りのボルテージは高まった。「ナンシーを飢え死にさせるな」とか「人殺し」とか,家族とMRCを非難する内容のプラカードが多数掲げられる中で,クルーザン一家の心をいちばん傷つけたのは,以下のように大書されたプラカードだった。
「医者と両親からの,ナンシーへのクリスマス・プレゼント―――死!」
(この項つづく)
註1:中絶を容認するか否かは,いまだに米社会を二分する大問題であるが,宗教保守など中絶に反対する立場のグループが「pro-life」と総称されるのに対し,女性の選択権を尊重する中絶容認派は「pro-choice」と呼ばれる。一般に「pro-life」グループは,中絶だけでなく,延命治療の中止にも反対する傾向が強い。
註2:9/11同時多発テロ事件の際の司法長官。事件後,「テロ防止」を大義名分に,右よりの政策を多数推進した。
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