医学界新聞

対談・座談会 石上 雄一郎,奥田 知志

2025.02.11 医学界新聞:第3570号より

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 身寄りがなかったり家族と疎遠だったりする患者は,医療的なケアだけで人生が幸せになるでしょうか。2024年に孤独・孤立対策推進法が施行され,誰ひとり取り残さず,人と人が相互に支え合いつながる社会へと進み始めています。ホームレス支援をはじめとした「ひとりにしない支援」を30年以上行ってきた奥田氏と,社会福祉士の資格を取得し医療と福祉をつなぐことの重要性を訴える石上氏が,高齢化が進みますます孤独・孤立状態の患者が増える未来を見据えて,医療者に求められるマインドと患者へのかかわり方を話し合いました。

石上 患者と接する中で「これ以上,家族に迷惑をかけたくない」といった言葉を多く聞きます。こうした発言の背景には家族が遠方に住んでいたり,独居患者が増えていたりすることがあると想像しています。また,「他人に迷惑を掛けたくない。子供がなんとかするから大丈夫」と公的な社会福祉サービスを利用することもなく,自分で問題を抱え込まれる方も多いです。

奥田 家族の負担を気遣うことはある意味この国の文化ですので悪くはないと思いますが,自己責任論が強くなりすぎて「助けて」と言えない社会になってきていることは私も危惧しています。葬儀一つをとっても,家族に金銭的迷惑をかけないように終身保険などをかける人が増えてきました。看取りや弔いは家族や周りの役目だったのですが,それさえ自分で責任を取らなければと思う現状があるように思います。私は牧師でもあるので,死は次の命に引き継がれていくもので,そこまで気にしすぎる必要はないと考えています。

 当然,人はひとりでは生きていけません。しかし,自己責任論の高まりの中で社会的孤立の問題が深刻化しています。

石上 奥田さんが理事長を務めるNPO法人抱樸が30年以上続けてこられた経済的に困窮する方への炊き出し活動,居住支援,就労支援のほか,失われつつある家族機能を社会的な仕組みに変えるべく「希望のまち(MEMO)」として大きな家族のようなまちをつくる活動をみて,これぞソーシャルワークだと思っていました。奥田さんの考える家族機能とはどういったものなのでしょうか。

奥田 家族機能は「気づきとつなぎ」だと考えています。医学においても早期発見・治療は大事ですよね。日常的に一緒にいるからこそ変化に気づき医療につなげられるのです。そういった変化に気づきつないでくれる。そんな家族機能を持ったまちとして「希望のまち」プロジェクトに着手しました。「希望のまち」では他にも,まち全体で子どもを育てることと,「助けて」と言えるまちをめざしています。

石上 「助けて」と言えなかった方とも諦めずに対話を重ね,信頼関係を築き自立へとつなげていると聞きました。どのようなかかわり方をしているのかお聞きしたかったです。

奥田 意識しているのは「問題解決型支援」でなく,「伴走型支援」であることです。解決できる問題は解決するけれども,ひとりにせず「つながること」に目的を置くのが伴走型です。それは従来の制度活用の支援に加え,人と人が向かい合う支援の形です。希死念慮の強い方に「死んだら駄目」「命は大事」と訴えるよりも,「私はあなたに生きてほしい」と「私」を主語に話かけます。そういう人の存在が大事であって,たとえ問題を解決できなくても,何度も訪ねて「あなたのことを気にかけていますよ」というメッセージを送り続けています。

石上 医師は基本的には,病気という問題を治す,問題解決思考です。しかし,問題が解決しない場合も数多くあります。そうした時に問題が解決しなくても,諦めず「つながる」ことを目的に置く伴走型支援の考え方には気づかされることが多いです。

奥田 今まで3800人ぐらいの路上生活者の自立を支援してきました。重要なのは「自立したい」という気になるかどうかです。解決策を提示しても,「その気」になっていないと意味がない。ただ,時に人は「生きよう」という「内発的な動機」が失せる日を迎えます。自分のことを諦める日がある。そんな時「自分のことを諦めないでいてくれる人がいるかどうか」が勝負になります。社会的に孤立が進む中そうした「外発的な動機」が脆弱化しています。無理に解決してやろうとせず「付き合う」というスタンスで向かい合う。解決を焦るとお互いしんどくなってしまいます。

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図 「希望のまち」完成イメージ(提供:手塚建築研究所)
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石上 おっしゃる通りです。治す・助けるという,支援者の上から目線があると支援を受けたくないという方もいます。私は治療や支援がうまくいかないときにはマインドセットを切り替えることが大事だと考えています。伴走型支援の考え方を患者とのかかわりで応用するためのヒントがあれば教えてください。

奥田 伴走型支援では,解決策や答えは「互いの間」,つまり関係の中に生まれると考えます。支援の歴史をたどるとパターナリズム(父権主義)から始まり,その後当事者の主体に重点が置かれるようになります。本人同意やセカンドオピニオンが重視され,自己決定する。しかし実は,この自己決定にも課題はあります。そもそも専門的知識がないのに選択しなければならないのはしんどいと思うのです。

石上 その通りです。心肺蘇生,透析,人工呼吸器といった選択肢をレストランのメニューのように提示し,そのメリット・デメリットを詳しく説明します。しかし,ほとんどの人はその意味がわかりません。そして結局「何が一番良いのですか?」と医療者は尋ねられます。

奥田 特に孤立状態にある人は自己認識が難しい場合が多い。自分を知るには他者が必要です。必要とされているのは,一緒に悩んでくれる人の存在です。「相談」も大事ですが,時に「対話」が重要になる。「解決」だけでなく「つながり」を大切にしていれば,自然と良い医療につながるような気がします。

石上 おっしゃってくださったかかわり方は,緩和ケアと非常に親和性が高いように思いました。患者の人となりを知った上で,その人の価値観に合った治療方針を考えることが求められています。あらかじめ治療方針を決めておくスタイルには限界を感じています。

奥田 患者や家族の意向を中心として治療方針を立てることは当然大事だけれども,その意向は治療の進捗や医療者との関係性によって変わりゆくものです。支援する側にとって重要なのは,いかに柔軟であるか。さらに言うと「不可解性への耐性」,つまり「お互い本当の答えは解らない」ことを前提にできるかということだと思います。

石上 患者から問題解決を期待されているからこそ,「わからない」と言える医療者はなかなかいません。一方で,正直に「わからない」と言える医療者のほうが信頼できると思うのです。生き生きと仕事を続けていくためにも,不可解性への耐性を持ち,医療者自身が自分に優しくすることもマインドセットとして重要だと考えています。

奥田 自分のことを許せない人は,他人を許さない傾向が強いと思います。そういう人は縦の物差しでないと自分を測れず,今いる現実と理想とのギャップを責めてしまう。同様に他人を同じ物差しで測ってしまう。こうした他人への厳しさが,同僚の仕事や患者の生活習慣などに向いてしまっては大変ですよね。

石上 高齢患者が多くを占める現代の医療現場では,社会福祉サービスへの連携も求められています。病院としては退院がゴールかも知れませんが,患者にとって退院は生活のスタートです。とりわけ身寄りがない方は,奥田さんのように活動されている団体や社会福祉サービスにつなげていきたいと思っています。一方で,退院後の家族も含めた支援や,適切な社会福祉サービスにつなげることは医師の仕事ではないという考えがあることも理解しています。どのような仕組みがあれば支援の輪を広げられるでしょうか。

奥田 まずは医師個々人が,さまざまな社会資源と出合うことだと思います。例えば社会福祉サービスや地域のNPO団体とつながること。そして,目の前の患者さんの身体的症状だけでなく,生活環境も含めたその人の全てをみて社会的問題を持っているということに気づきつなごうとする意識を持ってもらえるとうれしいです。

石上 特に近年の救急医療では高齢患者が多く,「病気は軽症,ソーシャルは重症」な方が増えてきて,いわゆる「社会的入院」としっかり向き合わなければならないと感じています。

奥田 病気よりも社会的問題のほうが重症な患者が多いという視点は新しいです。石上先生は医学と社会福祉の両方を勉強されたからこそ,そういった問題意識を持つことができているのでしょう。

石上 断らない救急で働いていたため,いろいろな病院で断られる方を多く見てきたことが影響しているのかもしれません。身寄りがない患者や,福祉につながれていない方が来られた時に,われわれ医療者に奥田さんが期待することは何でしょうか。

奥田 プロフェッショナルとしての仕事です。どのような患者であっても治療できる範囲のことはやっていただきたい。「断らない」「ひとりにしない」ということです。そして医療者の存在は先にも話した,生きるための「内発的な動機」が失われている方にとって必要な「外発的な動機」の一つになると思います。「自分が生きていても誰も喜ばない」と思っている人が,運ばれた先の病院で出会った医療者に元気になった瞬間を喜んでもらえると,それが生きる意欲になっていくのです。治療や生活,社会復帰を果たすための前提として,ひとりじゃないんだと思ってもらえることは大事だと思います。

石上 まさにひとりにせずに伴走し続けるということですね。

奥田 もしかすると,これまで家族が担ってきた最後までひとりにせず,寄り添う機能が今後医療にも求められるようになるかもしれません。この問題については,死の場面に最もそばにいてほしい家族が立ち会えなかったコロナ禍で,未来を先取りして経験し考えさせられたのではないかと思います。

石上 ええ。家族同然まではいかなくても,患者が寂しくなく過ごせるようにするにはどうすればいいか,コロナ禍では病院や医療者が考えさせられました。ニュアンスが異なるかもしれませんが,ケアやキュアとは違いサーブ(奉仕)の概念に近いかもしれないですね。

奥田 そうかもしれないですね。私の親がコロナ禍に入院したのですが,お見舞いにも行けない状況で支えてくれたのは医療者の皆さんでした。医療現場で家族機能を持つことについては,すでに実践していただいていることも多いですので,そう難しく考える必要もないように思います。

石上 いま病院では急性期からいかに早く地域へ戻せるかが重視されています。ここまで話をしてきた,時間をかけ寄り添う伴走型の医療を提供したいと考えても,なかなか実践させることが難しいのが悩みの種です。

奥田 ソーシャルワークでも同様です。伴走型支援は終わりの時間を決めないことから,支援が長期にわたることもあります。社会福祉制度内で全てを完結させることに難しさを感じています。一度,医療でもソーシャルワークでも「いつまでに何とかする」という解決型の価値観を考え直してみるのも良いかもしれません。

石上 どういうことでしょうか。

奥田 新約聖書はギリシャ語で書かれていますが,ギリシャ語で時(とき)を表す言葉には「クロノス」と「カイロス」の2つがあります。何月何日,何時何分といったタイムポイントを示すものが前者で,人が生まれるとき,人が死ぬとき,花が咲くとき,といったその事柄が成立するときを指すのが後者です。カイロスで表現される「時」がいつかは誰もわかりません。人生はカイロスで始まり,カイロスで終わるのです。しかしながら支援者は,クロノスの時間でアセスメントをして,いつ介入し,いつ支援を終了するのかを最初からプランニングしていますよね。

石上 ええ。予定していた日までに退院ができないとケアの不足と考えられることが多いです。

奥田 そこなのです。現実には,余命半年と診断しても数年生きる方も存在するように,医学的見地から見たクロノスと,本人が神様から与えられたカイロスはずれるのです。このクロノスとカイロスにはずれがあるという前提を持って,カイロスが来るときまで支援し続けられれば伴走型支援と言えるのではないでしょうか。

(了)

NPO法人抱樸:1988年から福岡県北九州市を拠点に,主に生活困窮者への支援を行うNPO法人。「ひとりの路上死も出さない」「ひとりでも多く,一日でも早く,路上からの脱出を」「ホームレスを生まない社会を創造する」ことを使命(ミッション)に掲げ,炊き出しから政府への政策提言まで29の事業を行っている。

希望のまち:福岡県北九州市に日ごろから人々が集まり,一緒に笑い過ごせるまちのような施設を作るプロジェクト。「助けて」と言えるようにすること,家族機能を社会化すること,まち全体で子どもを育てることを主な目的としている。施設には行き場のない人のための救護施設,雇用を生むための家具リユースセンターのほか,地域の人たがあつまれるレストラン,オープンキッチン,コワーキングスペース,オーナー制のブックシェルフを集約予定。NPO法人抱樸は建築するためのクラウドファンディングを行い,5000人以上もの支援者からおよそ1.1億円を集めた。25年2月に着工し,26年3月の完成を予定している。引き続き現在も寄付による支援を募集している。

https://www.houboku.net/pj/kibou/

希望のまち予定地にて撮影
希望のまち予定地にて撮影


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飯塚病院連携医療・緩和ケア科

2012年滋賀医大を卒業後,杉田玄白記念公立小浜病院で初期研修。14年東京ベイ・浦安市川医療センター救急科後期研修プログラム,同院救急科を経て救急と緩和ケアの統合をめざし,19年より現職。日本救急医学会救急科専門医,日本老年医学会老年科専門医,社会福祉士,公認心理師。弊紙連載『めざせ「ソーシャルナース」! 社会的入院を看護する』(2023年5月~24年12月,全20回)を執筆した。

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NPO法人抱樸 理事長 / 牧師

大学生のときに釜ケ崎(大阪府西成区)で日雇い労働者支援活動に参加したのをきっかけにホームレス支援を始める。1990年より東八幡キリスト教会に牧師として赴任後もホームレス支援を続け,2000年にNPO法人北九州ホームレス支援機構(現・抱樸)を設立し理事長に就任する。これまでにおよそ3800人以上のホームレスの人々の自立を支援。健和会大手町病院の外部倫理委員も務める。2003年九大大学院国際比較文化研究所博士後期課程を単位取得退学。牧師。