医学界新聞

逆輸出された漢字医学用語

連載 福武敏夫

2024.01.15 週刊医学界新聞(通常号):第3549号より

 筆者は医師になって40年余になるが,その初期に「神経梅毒」の各病型患者に遭遇した。例えば,ふらつきを主訴に受診した強面の50代男性には,運動失調やArgyll Robertson瞳孔などを始め異常所見がみられなかったものの,何か見逃したら大変だと思って2度目の診察でタンデム歩行をしてもらったらこれができず,「脊髄癆」と診断できて治療することができた。80代の農婦でみられた肘関節の無痛性破壊的異常は,両下肢を180度も拡げられる筋緊張低下から「Charcot関節(脊髄癆性関節変形)」と診断できた。大手印刷会社に勤める30代男性の妙な脳症が「進行麻痺」であった時には驚いたが,2回の治療でなんとか治せた。その後も時々遭遇することがあったものの,感染から長期を経て起きる「神経梅毒」は減少している。ところが,梅毒感染自体は本邦で2010年頃から激増しており,10~20年後がとても心配である。

 ところで,「梅毒」は1506年に中国に持ち込まれた。当初広東人により「廣瘡」,次いで「楊梅瘡」や「楊梅毒瘡」と呼ばれており,日本には1512年に感染者が出現している(京都の医師・竹田秀慶による『月海録』に「唐瘡(タウモ)」または「琉球瘡」とある)。15世紀末にコロンブスがアメリカ大陸もしくは近隣の島嶼からヨーロッパに持ち帰ったとされる(それ以前の1495年に大流行があったとされる異説あり)ものが,中国を経て,恐るべきスピードで地球を一周したのである。日本ではその後「黴毒」と呼ばれていたが,1724年の『黴瘡秘録』では「黴瘡」と「梅瘡」が用いられ,古賀によると1729年の『布斂己黴毒篇』(プレンキによる「花柳病論」が原本)に「梅毒」が用いられている(九州大学附属図書館研究開発室年報.2019;2018/2019:42-50)。「梅」は「梅毒」の皮疹が「楊梅(やまもも)」の果実に似ていた上に,「黴」の簡体字のさらに代用字が「梅」であったことで当てられたらしい。

 なお,現代中国でも「梅毒」が用いられており(『神经病学第7版』,2013;『哈里森(ハリソン)内科学第19版』,2015),時期は不明だが日本から逆輸入されたのは確実である。


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