医学界新聞

逆輸出された漢字医学用語

連載 福武敏夫

2023.12.18 週刊医学界新聞(通常号):第3546号より

 「遺伝(遺傳)」を『大漢和辞典』(大修館書店)で調べると,①として「のこしつたえる」の説明があり,司馬遷により紀元前に書かれた『史記』の一文が例示されている。②として,「祖先の体質・性格が子孫に伝はること」とある。①が原義であり,②は現代のheredityに相当する。

 ②の意味で本邦において最初に用いられたのは,司馬凌海(1839~1879)の『七新藥』(1862)の中である〔『日本国語大辞典』(小学館)〕。司馬凌海は江戸で松本良甫と松本良順にオランダ語と医学を学び,その後に長崎で海軍伝習所のオランダ軍医ポンペに師事した。『七新藥』はポンペから教わった新薬を解説したもので,ヨード,硝酸銀,酒石酸塩,キニーネ,サントニン,モルヒネ,肝油の7種が載っていた。「遺伝」は肝油の項の「銭癬【タムシ】を患ふる者甚だ多し,其因由を熟察するに,半ば遺伝に係り,半ば風土に由る」という一文に登場する。1862年頃にはくしくもメンデルがエンドウ豆での遺伝実験を行っていた。

 「遺伝」という用語には触れられていないが,肝油のことは村田忠一の「幕末福岡藩における薬用魚肝油の製造とその利用」(科学史研究,2000;39:37-40)に詳しい。同様に「遺伝」については出てこないが,名大名誉教授の高橋昭先生が「『七新薬』と司馬凌海」(神経治療,1998;15:225-30)という総説を著しており,西欧式薬物治療が日本に導入された事始めが詳しく書かれている。司馬凌海がその後に愛知県公立病院・公立医学講習所に着任していることで関心を深くされたものと思う。②の意味での「遺伝」が中国に逆輸出されたのは日本で最初に登場したとされる1862年から後れること19年の1881年という(『新華外来詞詞典』)。

 なお,『日本国語大辞典』によると,本邦での②の医学外の用例は,夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905~06)における「先天的形体の遺伝は無論の事,許さねばなりません」が最初で,①のほうは『輿地誌略』(1826)における「翁加里亜【ハンガリー】の一王国を建(て),其名を今に遺伝するなり」が最初という。