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『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』より

連載 尾藤誠司

2023.10.06

臨床上の意思決定ジレンマに専門家として関与する仕事が持つ魅力について,体系化してまとめたい――。

書籍『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』の「はじめに」でこう想いを記した著者の尾藤氏は,臨床倫理,EBM,プロフェッショナリズム,SDM,ナラティブなど,これまでさまざまな切り口で語られてきた意思決定の理論をもとに,「患者にとって最善の意思決定に医療者としてどう関わるか」をまとめた。「医学界新聞プラス」では本書の中から4つの項目をピックアップして,そのエッセンスを紹介していきたい。


共同意思決定(SDM)の基本的な概念は,意思決定プロセスにおいて患者の認識・価値と医療者の認識・価値がシェアされながら進む,というモデルなのですが,実際に行うのは必ずしも簡単なことではありません。シェアにおいてまず大事なことは,相手が考えていることと自分が考えていること,相手が認識していることと自分が認識していることは異なっているのだ,という前提からスタートすることです。特に,ある事象に対する価値づけが両者で大きく異なる場合,両者の間には価値の対立が立ち現れます。

望ましい対立

一般的に意見や考え方が対立することは望ましくない状態としてとらえられがちですが,臨床上の意思決定においては,関与する人たちの中に対立が存在していると互いが認識できることはとても大切です。しかし,医療の現場では,しばしば対立が認識されないまま,あたかも合意が形成されたかのようにやり取りが進んでしまうことがあります。

日常的なやり取りを想定してみましょう。これは糖尿病の継続外来での患者(Nさん)と担当医(T医師)とのやり取りです。

T医師  Nさん,今回はHbA1cが7.2%ですね。前回よりだいぶよくなっていますよ。  
Nさん そうですか。ありがとうございます。嬉しいです
T医師 でも目標の6%台にはまだちょっとあるので,これからもさらに頑張りましょう。
Nさん ……そうですか。
T医師           まずは食事なのですが,夕ご飯のお米をさらに減らしてみてはどうですか。それから今までの運動に加えて,夜にもスクワットなどを取り入れてみるといいと思います。
Nさん ……そうですね。やってみます。

以上のやり取りにおいて,おそらくT医師はとてもスムーズに会話が進んでいると考えているかもしれません。「前回の外来で自分が行った生活上のアドバイスをNさんがしっかり守ってくれて結果が出ている。そこでさらによい結果をNさんと一緒に目指すという共通認識が存在していて,その確認を行っている。Nさんもそれに同意をしている」と考えているように見えます。一方で,Nさんは前回,T医師に「このままだと大変なことになるよ」と厳しいことを言われたのかもしれません。そこで「じゃあ次の外来まで」と目標を立てて,強い決意をもって生活習慣から運動習慣,食生活まで切り詰めて,精いっぱい頑張ってぎりぎりの状況で今回の外来に挑んだのかもしれません。その成果が出て,ポジティブなフィードバックをT医師から得られたのは嬉しいのですが,すぐに「さらに頑張りましょう」と言われたときのNさんの心中はどうなのか,想像してみましょう。ぎりぎりまで頑張って,でもまだ不十分だからさらに頑張るべきだと言われたとき,ひょっとしたら「こんなに頑張っているのに,そんなことできるわけない」と思うかもしれません。

もし,そこでNさんがT医師に「先生,私が今回どれくらい大変だったと思っているのですか。少しは私の気持ちも察してくださいよ」と訴えることができれば,そこで初めてT医師側に認識が可能な対立構造が立ち現れます。このNさんからの言葉を受けて「自分が考えていることと目の前の患者さんが考えていることはどうやら一致していなくて,二人三脚で進んでいる気になっていたのは間違っていたようだ」とT医師は気づくことができるかもしれません。ただ,NさんがT医師に対して自分の気持ちを言葉で伝えることは,実際には難しい現実があります。なぜなら,患者–医療者関係においては,医学的な情報に関する情報勾配があったり,医師という職業が一般的に権威勾配の関係性をつくりやすい職業であったり,さらには健康のメンテナンスを委託している人間に異議を申し立てることに,「ひょっとしたら文句を言っているととらえられてしまうのではないか? それによって,現在の関係性が悪化し,自分にとって不利益となるのではないか」という恐れがあったりします。このようなことから,意見の対立を露わにすることを控えてしまうことは十分にありえるでしょう。

ある意思決定事象に対して,患者と医療者では認識の仕方や意見が異なり,対立構造が生まれるのは自然なことだと互いに理解しておくこと。さらに,異なる理解,異なる認識,異なる価値をそれぞれが持つことに互いが気づくこと。これらがともに意思決定に向かううえで必要な手順であることを前提として,健全な対立を生み出すよう意識することが大切です。ただ,それを患者の義務とするのは難しいでしょう。医療者が患者に自分と異なる理解,自分と異なる価値を表明するための隙を見せることが,逆に医療者が専門家として身につけておくべきスキルだともいえます。

荒唐無稽の認識

ここからは,患者の理解や考え方と医療者の理解や考え方に対立が存在することを両者が気づいたときに,どのようなプロセスでこの対立を取り扱うのか考えてみましょう。

血圧や血糖値を下げる薬があるとします。この薬には延命効果や将来の大きな健康イベントを回避する効果の高いエビデンスがあります。その薬を患者が「飲みたくない」と言ったときに,医療者はその言葉をどう理解しているのでしょう。

このとき,医療者は「患者の理解が乏しい」と考えることが多いと思います。この薬の効果には高いエビデンスがあり,医療者にとっては特定のアウトカムに対して有益な効果を示すと理解できるのですが,このことを患者はよく理解できていないのではないかと考え,「患者の理解が悪い」といいます。そして,相反するものが出てきたとき,今度は「誤解」と考えます。「副作用があるかもしれない」と患者が不安を示したときには「患者に誤解がある」という言い方をします。

すなわち,単に理解が足りないのではなく間違った理解をしてしまって,その理解が正しい理解を邪魔していると考え,それを誤解というのです。そのため「薬を飲みたくない」とか「副作用が心配だ」と患者が表明したとき,「理解が足りないのでもっと説明しなければならない」と考えてしまうのです。すると,医療者としては患者を正しい理解に導くための説明をさらに繰り返していくことになります。例えば,「いかにこの薬に価値があるか」とか,「副作用に比べて利益がこれくらい高い」ということを患者に教育しようとするのですが,それは本当に患者の理解が足りないことによる対立なのか,医療者は考える必要があります。

繰り返しになりますが,思考には「理解」「認識」「価値」のレベルが存在します(▶書籍『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』p65)。例えば,薬の作用・副作用について患者は医療者が意図した理解をしているかもしれないけれども,「認識」のレベルにおいて,患者は薬を飲むことが自分の生活に与える影響などをいろいろな形で想起するわけです。例えばインスリンを開始するという選択肢について理解した後,患者はそれを自分の生活に結びつけ,自分のこととして認識します。自分と会社,環境,上司,友人や家族との生活に新たな生活様式が加わることについて「それはちょっと無理だな」と思うかもしれません。認識のレベルで患者がハードルを抱えているのに,一般的な薬の効果の有益性をいくら熱心に説いたとしても,患者にとって最善となる意思決定を生んでいくことは難しいかもしれません。

患者と医療者の考え方の違いは,「価値」のレベルにも存在します。例えば「長生きしたい」とか「脳梗塞になりたくない」という望みの方向性や大きさが,両者で共有されていないかもしれません。「すごく長生きしなくてもいいので,生活に支障が出るようなつらい症状や困り事を緩和してほしい」とか,「長生きできるのはいいけれど,いろいろな指図を受けずにとにかく自由に生きたい」とか,患者は生きるうえで基本となっている自らの価値に基づいて医療者の説明を理解・認識します。正当に理解と認識をしたうえで,価値に基づいて薬を飲み始めることを拒否するのは,正当な価値観の表明といえます。しかし,そこで患者が自分の推奨とは異なる考え方を表明したときに,医療者は「理解が不十分」だとか「誤解している」と考えるかもしれません。

 

さあ、意思決定のテーブルへ
「患者の意思決定」の理論と実践を1冊にまとめました

<内容紹介>意思決定の連続である医療職の仕事。臨床倫理、EBM、プロフェッショナリズム、SDM、ナラティブなど、これまで様々な切り口で示されてきた理論をもとに、「患者にとって最善の意思決定」に専門家としてどのように考え、関わっていくかをまとめた渾身の書。AIの発展、新型コロナの流行など、社会が変わっていくなかで、これからの患者-医療者関係の在り方を示す1冊。さあ、意思決定のテーブルへ。

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