医学界新聞

医学界新聞プラス

『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』より

連載 尾藤誠司

2023.09.29

臨床上の意思決定ジレンマに専門家として関与する仕事が持つ魅力について,体系化してまとめたい――。

書籍『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』の「はじめに」でこう想いを記した著者の尾藤氏は,臨床倫理,EBM,プロフェッショナリズム,SDM,ナラティブなど,これまでさまざまな切り口で語られてきた意思決定の理論をもとに,「患者にとって最善の意思決定に医療者としてどう関わるか」をまとめた。「医学界新聞プラス」では本書の中から4つの項目をピックアップして,そのエッセンスを紹介していきたい。

臨床におけるナッジの問題

医療者が臨床意思決定に関与する行動経済学の知識を学習すること,特に患者の選択に影響するナッジについて学習することは有益です。意思決定コミュニケーションにおいて,自分が伝えた言葉を患者がどのように認識し,患者の意思決定プロセスにどう影響を与えるのかを自覚したうえでのコミュニケーションが肝要だからです。

一方で,医療者が知らず知らずのうちに,好ましくないナッジを患者に行ってしまう可能性もあります。それを自覚しないと,患者にとって最善の意思決定に好ましくない状況をつくってしまいます。

以下に,注意が必要なナッジの例を紹介します。

注意が必要なナッジの例① 損失回避を過度に誘導する説明

医療者が何らかの理由で,患者が外科手術を受けることや入院することを好ましい選択ではないと考えている場合,しばしば損失回避に誘導するような説明をすることは適切なナッジとはいえないでしょう。あらゆる医療介入は,患者に利益とともに害を与える可能性があります。そして,医療介入がもたらしうる利益と害の両方を患者は知る権利があり,医療者は伝える義務があります。その際,損失回避の特性から,医療によって得る健康利益よりも,医療を受けることで被る可能性のある害について患者は重くとらえる傾向があります。

その特性を加味したうえで,医療者は医療の選択肢について患者に伝えることが望ましいでしょう。ただ,その技術は容易に逆手に取られます。医療を受けることで被るリスクを患者が重く受け止めるような説明を医療者が行うことは難しいことではありません。例えば「合併症によって死ぬかもしれません」とか「入院をきっかけに体が弱って寝たきりになる可能性があります」というような「医療を受けることで被る可能性のある害」は,ほとんどの医療行為に当てはまります。医療者が患者に対して「介入は望ましくないだろう」と考えるとき,これらのリスクの可能性を伝家の宝刀のように取り出すことは適切な行いではありません。

特に,冒頭に述べた「何らかの理由」が,患者にとって医療を受ける害が利益を上回る可能性が高いときであればまだしも,例えば病床が満床に近づいているなど,患者の利益にならない理由に基づいたナッジは,不適切な操作とされます。

注意が必要なナッジの例② 生死というアウトカムに対するナロー・フレーミング

行動経済学では,「ナロー・フレーミング」という認知バイアスが知られています。ナロー・フレーミングは,ある選択において,情報提供者が全体的にいろいろ考慮すべきところを,個別のことに焦点を当てて説明することで生まれる効果です。

われわれ医療者は,専門家として生死というアウトカムを重視していて,なるべく死ぬことを回避したいという欲求があります。治療で死が回避されるのであれば,患者が治療を受け入れるように説明をデザインしますし,逆に治療による合併症で死がもたらされることは回避しようとします。「生死」というアジェンダにフレームを狭めすぎることによって,ほかの重要な患者アウトカム——例えば,痛みの緩和や生活機能の拡充など——が意思決定のゴールから外れてしまう可能性があることを医療者は自覚しておく必要があります。

注意が必要なナッジの例③ 治療選択において,介入案のみが提示される

選択肢をあえて狭めることで患者が選択しやすい環境をつくり出すことも,ナッジの有効な手法の1つです。例えば,細かな選択肢が4つあったとしても,まずは薬物治療か手術の二者択一という形に選択肢の幅を狭めることなどです。この手法自体は,患者が多くの選択肢に混乱しないようにする効果や,患者の大まかな選好を知る好ましい効果もあります。ところが,想定される選択肢が例えば「薬を飲む/飲まない」というシンプルなものであったとき,医療行為を受けないときの見通しに関する説明が省略されてしまうことがしばしばあります。特定の治療の選択肢がある場合でも,患者としては,今は治療を受けずに,ただ医師との診療契約を続けたいと希望することはあるはずです。特に慢性疾患のように決断に時間をかけられる病気では,今は薬を飲まないけれども,今後も担当医との関係を続けたいことはあるでしょう。そのときに,治療を受けない選択肢が省略されてしまうと,患者はそれを医療とのつながりが途切れてしまうと認識してしまうかもしれません。

注意が必要なナッジの例④ 推奨を出さないこと

例えば,医療の対象者が地域住民であるとき,保健所は住民1人ひとりと直接コミュニケーションをとることは困難なので,ナッジの手法が有効な可能性は高いでしょう。翻って,患者と医療者が特定の意思決定事象についてやり取りを行っており,ある特定の選択肢を医療者が最善だと考えているときには,ナッジの手法を用いる必要がある場面は少ないと私は考えています。すなわち,あえて婉曲的に患者を「情報アーキテクチャ」という手法を用いて操作することで自分の推奨選択肢に導くよりは「3つの選択肢がありますが,私は今のところ手術より薬で様子をみたほうがいいと思いますよ」と直接推奨すればよい場合が圧倒的に多いはずです。もちろん,医療者,特に医師が患者に対して「○○を推奨したい」と伝えるとき,その言葉には患者の自由意思を飲み込んでしまう強い力が働きかねないので,患者の自律性を損なわないように推奨する工夫は必要です。しかしながら,プロフェッショナルとして明示的な推奨を行うほうが,知らないうちに肘で突かれるよりもずっと,患者はその誘導を拒否する猶予が与えられます。

パターナリスティック・リバタリアン

臨床意思決定に向かう患者と医療者とのやり取りにおいて,説明的関係に基づくインフォームド・コンセントの手順は,医療者がなるべく意思決定に関与しない姿勢を生み出す構造を持っています。それによって,説明責任はあるけれども,意思決定への責任を医療者が回避したい欲求が顕在化し,患者は意思決定主体者としての権利は保護されるけれども,重要な決断において誰も助けてくれない置き去りの状況にされてしまうところが問題でした。個人と個人とのやり取りの中でナッジが過剰に推奨されることは,むしろパターナリズムが持つ難点を肯定したまま,インフォームド・コンセントの問題点を浮き彫りにしてしまう危険性があるでしょう1)

臨床における良好な共同意思決定(SDM)は,リバタリアン・パターナリズムを逆からアプローチしたものだと私は考えています。すなわち,パターナリズム——というよりはプロフェッショナリズム——を前面に出したスタイルをとりながら,基本的な姿勢としては,自分たちが持つ医学的な背景から築かれた認識や価値観よりも,患者の持つ意向や価値観をより尊重した中で,患者にとって最も望ましい方向性をともに見出していく,という向き合い方です。専門家の視点からみた「患者にとっての最善」と,それに基づいて推奨したい選択肢について明確に責任を持って患者に表明する一方で,その表明が患者の価値観を上書きしてしまうことがないか,あるいは,推奨はあくまでも専門家の価値観に基づいたものであり,それを参照してもらいながら本人の視座において自分にとっての最善にかなう方向性あるいは選択を尊重し,応援するような所作を私は大切にしたいです。その意味では,本書における共同意思決定モデルの立場は,リバタリアン・パターナリズムとは逆の「パターナリスティック・リバタリアン」だと考えています。

行動経済学と臨床意思決定はとても強く関連しますし,行動経済学をしっかり学び,認知心理学や行動科学の特性を活かして臨床意思決定に関与することは,医療者の技術として必須の時代になってきているのは間違いないでしょう。

文献

1)Lin Y, et al:Nudge:Concept, effectiveness, and ethics. Basic Appl Soc Psych 39(6):293-306, 2017.

 

さあ、意思決定のテーブルへ
「患者の意思決定」の理論と実践を1冊にまとめました

<内容紹介>意思決定の連続である医療職の仕事。臨床倫理、EBM、プロフェッショナリズム、SDM、ナラティブなど、これまで様々な切り口で示されてきた理論をもとに、「患者にとって最善の意思決定」に専門家としてどのように考え、関わっていくかをまとめた渾身の書。AIの発展、新型コロナの流行など、社会が変わっていくなかで、これからの患者-医療者関係の在り方を示す1冊。さあ、意思決定のテーブルへ。

目次はこちらから

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook