医学界新聞

医学界新聞プラス

『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』より

連載 尾藤誠司

2023.09.22

臨床上の意思決定ジレンマに専門家として関与する仕事が持つ魅力について,体系化してまとめたい――。

書籍『患者の意思決定にどう関わるか?――ロジックの統合と実践のための技法』の「はじめに」でこう想いを記した著者の尾藤氏は,臨床倫理,EBM,プロフェッショナリズム,SDM,ナラティブなど,これまでさまざまな切り口で語られてきた意思決定の理論をもとに,「患者にとって最善の意思決定に医療者としてどう関わるか」をまとめた。「医学界新聞プラス」では本書の中から4つの項目をピックアップして,そのエッセンスを紹介していきたい。


前編へ戻る)

共有されるべきことと,共有されるべきでないこと

状況に対する理解,認識,価値

SDMにおける「シェア」という言葉は,日本語ではよく「共有」と言い換えられるのですが,実は共有されるべきことと共有されるべきではないことがあると私は考えます。ここでは「ある物事に対して異なる者が同じとらえ方をする」という意味で,「共有」と使っています。その意味では,共有を目指しすぎることが必ずしもよい結果をもたらさないこともあるのです。

まず共有されるべきことは「理解」の部分です。専門家が持っている患者の医学的な状況や今後の健康に関する見通し,取りうる選択肢,その選択肢がもたらす患者への医学的な影響などに関しては,可能なかぎり患者と専門家の間で理解が共有されることは望ましいでしょう。それによって,言葉のやり取りや意思決定に向かうためのコミュニケーションも円滑に行われます。

一方,「認識」のレベルでは,どうしても共有できない部分が存在します。同じ人間であっても,環境や法律的な規範が異なれば認識は大きく変わります。例えば,ドイツでは虹は5色と認識されていますが,日本では7色です。ドイツの虹も日本の虹も「虹」という実態は同じなのですが,日本では7色と認識する枠組みの中で虹を見ています。同じようにドイツは5色というとらえ方で認識しているので,ドイツの人に「虹は7色なんだよ」と説得したり矯正しようとしたりしてもうまくいきません。ですから,ある事実を自分の世界観やとらえ方の枠組みの中で認識することと,他者が認識することとは,多少なりともずれが生じていることを前提に,シェアされる必要があります。そして,患者と医療者はまさに,そこが大きく違うのです。

特に患者は自分の病状に対して,非常に広い範囲で認識しています。患者にとっては,まさに自らが営む生活の物語の一環に「病気」という災厄が「やってくる」のです。自分や,自分とともに暮らす家族や友人たちとの関係の中で,入院や治療を位置づけるのと同時に,実際に入院や治療が行われたときに自分の生活がどう変わるのか,近い将来から遠い将来に向けた状況の変化について,生活全般への影響を幅広く認識することが,患者自身の一般的なとらえ方です。

一方,専門家にとって,患者の状況をそこまで広くとらえるのは困難です。例えば,会社を1週間休まなければいけなくなることについて,それがどのくらい患者や患者を取り巻く環境にとって大きなインパクトなのかを想像することは甚だ難しいでしょう。専門家にとっては,患者が自分の病状や治療法の詳細などを十分に理解している状態であれば,すなわち専門家と患者との「認識」も一致していると考えがちです。そして,患者とのやり取りの中で,患者との「認識」に大きなずれがあることを医療者が発見したとき,医療者は患者の理解が足りない,あるいは誤解をしていると考えてしまいがちです。しかしながら,主観的体験とともに現状を認識している患者と,「診断・治療・ケア」という文脈の中で状況を認識している専門家では,その認識が大きく異なることは正当である,ということが守られるべきです。

共有することが最も困難であり,医療者に共有を迫られることが好ましくないと考えられるのは,「価値」に関するとらえ方です。例えば,お金を稼ぐことを至上の価値と考える人もいれば,尊敬されることが重要だと考える人もいるし,人に縛られずに自由に生きることを何よりも大切に考える人もいます。ですから,ある事象を目の前にしたときには,価値観とともにその事象をとらえることがとても重要になります。

一方,医療職は,社会契約に基づいて,専門家としてどのような価値を付けるかということまで含めて専門家たり得ています。それは専門家の要件でもあるので,医療者の病気や健康問題に関する価値観は一様であるべきと考えがちです。わかりやすくいうなら,寿命は短いより長いほうがいい,寝たきりよりも自分の足で自由に動き回れるほうがいい,痛みは少ないほうがいいなどが,医療者が前提として持つ共通価値です。

医療者はそのような一様な価値観を持ったうえで,千差万別の価値観を持つ患者1人ひとりと,その都度,対峙します。「価値観を共有する」という姿勢は,結果的に医療者側の価値観で患者側の価値観を染め上げようとする力学を起動させます。SDMの場において,患者と医療者で価値が共有される(と医療者が思い込む)ことは,患者の価値観や世界観を知らず知らずのうちに否定するような状況をつくっていく危険性をはらんでいるのです。

Dissensus

「価値に基づく診療(value-based practice:VBP)」について著したFulfordは,書籍の中で「コンセンサス(consensus)」という言葉に対して「ディスセンサス(dissensus)」という言葉をキーワードとして紹介しています1)。理解について互いに共有することは大事なのですが,共通の理解に基づく「認識」,そして「価値」については,それらを主観的体験として位置づける患者自身と,「診断・治療・ケア」という文脈の中でそれらを位置づける医療者とでは,むしろ「わかり合えていない」部分が多少なりとも存在しているほうが妥当なことであるといってよいでしょう。そのとき,互いがどうしてもわかり合えないことについて,「ここは互いに共有できない」ことをわかり合う意味で「dissensus」という言葉が用いられています。異なる価値を尊重することを意味する,大変美しい言葉です。

大事なことは,わかり合えない部分が存在することをわかり合ったうえで,患者が考える価値を最大限尊重しながら,専門家として大事にしている価値を患者に提示して,最良の落としどころを探す努力をするということです。わかり合えないことで対話をあきらめてしまったり,わかり合えないからどちらかの価値を優先させるという方法論になってしまったりすると,コミュニケーションが遮断されてニヒリズムに陥る可能性があります。大切なことは,互いのプロフェッショナリズムおよび人生観が尊重されながらも,目の前の事象にそれぞれが責任を持つ態度と,その責任の中で意思決定にともに向かう態度だと考えます。

責任の概念 責任者=債務者

今「責任」という言葉を使いましたが,この言葉は,「責任は誰にあるのか」とか「責任をとるべきだ」という意味での責任とは少し違います。一般的に責任とは,ある不利益事象が発生したときに,その不利益事象に対して債務を負う度合いのことをいいます。しかしSDMにおける「それぞれが責任を持つ」とは,英語のresponsibility(責任)という単語の所以により近いといえるでしょう。responsibilityとは「レスポンスをするアビリティ」のことです。すなわち,ある意思決定アジェンダに対して,そこに関わる当事者として積極的にレスポンスをしようというモチベーションをどれだけ持っているか,という意味で責任という言葉を使っています。

哲学者の國分功一郎氏と小児科医の熊谷晋一郎氏との対話である『<責任>の生成—中動態と当事者研究』には,そのことが詳しく書かれています2)。意思決定事象において,想定される結果の負債者として責任を考えるのではなく,むしろそれぞれの立場でそれぞれの価値観を背負いながら,どこまでしっかりとレスポンスをするモチベーションを持つかということ,これが責任という言葉が持つ中核的な概念なのです。

ナラティブ・アプローチ

人が問題ではなく,問題が問題である

SDMのモデルは,意思決定の根拠がシェアされることで最善のプロセスに向かうことができるという考え方ですが,本項で私が論じたいのは,さらにその向こうにある意思決定に関するやり取りの形です。それは,異なる価値観を持つ当事者や専門家が意思決定事象に邂逅したときに,それぞれが持つ責任も踏まえて意思決定に関与することが自然であり,あるべき姿であるという,ナラティブ・アプローチの考え方です。

ナラティブ・アプローチは,医療においてはよく「物語に基づく医療」と紹介されますが,この「物語に基づく医療」や「ナラティブ・ベースド・メディシン(narrative based medicine:NBM)」は,一般的には患者が心の中に内包しているつらさや主観的解釈について,専門家がしっかり理解しながらケアをしていくこと,というイメージでしょう。その解釈には基本的に賛成しますが,私は誰かから「ナラティブ・アプローチとは何か」と聞かれたときにはいつも,「人が問題ではなく,問題が問題であると考えること」と答えています。これは,ナラティブ・アプローチの研究をしている野口裕二氏の言葉から引用したものです3)が,ナラティブの本質を端的に言い表した素晴らしい説明です。私なりに説明を補足するならば,臨床において立ち現れた問題に対して,その問題を「患者そのもの」として取り扱うのではなく,患者を主人公としながら展開していく一連の主観的体験の記述としてとらえる,ということです。そのうえで重要なことは,患者が主体者として体験し,認識している一連の時間の流れを持った状況について,患者が「語り」として表象することです。

例えば,ある部族の女性(図1)がいたとします。この女性は,集落の中で両親や部族長やたくさんの親戚に愛され,幸せに生まれ育ちました。一方で,現代のスマートフォンやSNSなどを使いながら世界の様々な情報にも触れてきました。そして20歳になり,親戚や部族の人が集まって盛大な誕生パーティーが行われるのですが,そこで彼女は勇気を出して次のように伝えます。「お父さん,お母さん,今まで大切に育ててくれて本当に感謝しています。でも20歳になったので,1つだけお願いがあります。毎年1つずつはめられているこの首輪ですが,あまり心地いいものではないし,世界にはいろいろなおしゃれがあるので,誕生日を機に外したいのです」。

図1.png
図1 ある部族の女性

ここで,彼女と両親の間に大きな価値観のギャップが立ち現れることになります。家族は,「娘が荒唐無稽なことを言い出した。そんなことをしたら大変なことになるぞ」と最初は当惑するかもしれません。お母さんは悲嘆で泣き出してしまうし,お父さんは娘の気がふれたのではないかと大騒ぎになります。一方,彼女は彼女で,自分なりの環世界の中でいろいろなことを経験し,勇気を出して自分の考えを表象したのに,親にまったく理解されず大きな対立が生まれてしまったという状況です。

ここで先ほどの「人が問題ではなく,問題が問題である」というナラティブ・アプローチの考え方に照らし合わせて状況を眺めてみます。以上のような彼女自身と彼女を取り巻く環境との間に大きな認識や価値の乖離が生じているとき,彼女の言うことが正しいのか,それとも両親や親戚一同が正しいのか,という問いがしばしば立ちがちです。ただ,このような問いのもとにそこにある問題に対処しようとすると,一般的には認識や価値のパワーバランスにおける正誤の綱引きになり,よりパワーを持っている人側の見解や意見が正しいとみなされることが大半です。この場合,彼女の認識や価値観は「間違ったもの」として否定され,彼女は泣き寝入りするか,あるいは「間違い」を認めない異端な者とみなされることが想像されます。このような結末は,おそらく彼女ばかりではなく,彼女の両親も不幸にしてしまうでしょう。

では,「人が問題ではなく,問題が問題である」と考えたとき,異なる見解を持つ者たちのやり取りはどう変わるでしょうか? ここでの問題は,「今この時点で彼女の首輪は外されるべきかどうか?」というアジェンダそのものを議論すべき問題ととらえてみる視点です。いったん,問題を人にではなく事象そのものに向けたとき,正誤ではなく最善の選択についてみんなで認識や価値観を持ち寄り,わかり合えないことが出てきたときには,わかり合えない他者はどうしてそのような認識をするのだろうかという対応をすることができます。さらに,それぞれが生きて来た人生や,どうしてそのような考え方に至ったのかといういきさつを含めたストーリーが問題そのものに邂逅し,責任とともに開示されるところから,意思決定に向けて対話が奏でられていくプロセスが生まれます。

その意味では,問題を人ではなく,問題そのものとしてとらえること,出来事として意見の乖離を見つめることによって,問題に関与する登場人物たちの「語り」が立ち現れ,尊重されること。これがナラティブ・アプローチが持つ力であり,対話を生み出す力になると私は理解しています。


 環世界:もともとは生物学上の概念で,すべての種の生物は,それぞれの見え方や聞こえ方,感じ方で周りの世界を近くに位置づけており,それは千差万別である,という考え方に基づいた「世界」のあり方を指している。近年では,人類学や社会学の領域において「種としての人の中でも,個人や特定の集団はそれぞれの環世界を生きている」という考え方に基づいて,この用語を応用的に用いている。

文献

1)Fulford KWM:Ten principles of values-based medicine (VBM). in Schramme T, et al(ed):Philosophy and psychiatry. pp50-80, De Gruyter, 2004.
2)國分功一郎,他:<責任>の生成—中動態と当事者研究.新曜社,2020.
3)野口裕二(編):ナラティヴ・アプローチ.勁草書房,2009.

 

さあ、意思決定のテーブルへ
「患者の意思決定」の理論と実践を1冊にまとめました

<内容紹介>意思決定の連続である医療職の仕事。臨床倫理、EBM、プロフェッショナリズム、SDM、ナラティブなど、これまで様々な切り口で示されてきた理論をもとに、「患者にとって最善の意思決定」に専門家としてどのように考え、関わっていくかをまとめた渾身の書。AIの発展、新型コロナの流行など、社会が変わっていくなかで、これからの患者-医療者関係の在り方を示す1冊。さあ、意思決定のテーブルへ。

目次はこちらから

開く

医学書院IDの登録設定により、
更新通知をメールで受け取れます。

医学界新聞公式SNS

  • Facebook