“超人”ナイチンゲールの超えっぷり
対談・座談会 栗原康,宮本眞巳
2023.12.11 週刊医学界新聞(看護号):第3545号より

ランプを片手に患者に慈愛のまなざしを向ける白衣の天使。あるいは冷徹な合理主義者――。一般的なナイチンゲール像はおおよそこのようなイメージだろう。
しかし,このたび上梓された『超人ナイチンゲール』(医学書院)は,そんな既存のナイチンゲール像をぶち壊す。本書では,史実を丁寧に押さえながらも「神秘主義者としてのナイチンゲール」という今までとは異なる切り口でナイチンゲールをパワフルに描き出している。この画期的なナイチンゲール伝を記した栗原康氏と,看護学生時代に「女性として,看護師として,人間としての自立」を軸にナイチンゲールの子ども向け伝記を執筆したことのある宮本眞巳氏が,ナイチンゲールの不思議に迫る。
栗原 宮本先生には,『超人ナイチンゲール』(医学書院)を執筆する前に,看護職の中でのナイチンゲールのとらえられ方や執筆に使う資料についてなど,さまざまなご教示をいただきました。その節は大変お世話になりました。
宮本 いえいえ。私も栗原さんの大杉栄や伊藤野枝の評伝を読ませていただき,これは興味深い伝記ができそうだと楽しくお話させてもらいました。『超人ナイチンゲール』,拝読しましたが非常に面白かったです。文体はかなり攻めており,一見すると突飛に感じられるところがあるかもしれませんが,よく読むと看護界のオーソドックスなナイチンゲール史にのっとっていますよね。
栗原 そう言っていただけてうれしいです。
女性の自立から見る,人間味あふれるナイチンゲール
栗原 私が初めて読んだナイチンゲールの伝記が,宮本先生のもの〔『ナイチンゲールの越境7――伝記』(日本看護協会出版会)所収〕でした。本書を書く前に,担当編集者から資料としていただいて。恥ずかしながら,それまでナイチンゲールの伝記は1冊も読んだことがなかったんです。私が小さい頃はまだ児童書は男子向け,女子向けに分かれており,ナイチンゲールは女子向けの伝記だったので。
宮本 私の子ども時代もそうでしたが,たまたま妹の本棚にあった伝記を好奇心に駆られて手に取り一気に読んでしまった記憶があります。
栗原 そうだったんですね(笑)。その点で言うと,ナイチンゲールの生きた時代は今よりもさらに家父長制が激しく,女は結婚し,男に尽くすのが当たり前という時代でした。そんな時代に結婚しないという選択をし,悪戦苦闘しながらも看護の道を切り開いていったナイチンゲールは当時の人から見るとかなりぶっ飛んだ,時代を先取りした自立している女性だったでしょうね。本書を書く前にナイチンゲールの自伝的小説『カサンドラ』を読みましたが,この小説には結婚制度や男社会への激しい怒りが示されていて,ナイチンゲールが看護の道を進む悪戦苦闘の中で感じたであろう恨みつらみが詰まっています。
宮本 『カサンドラ』の主人公は死の間際,「つぎのキリストは,おそらく女性だろう」とつぶやきます。次の世代の女性は男性に縛られて生きるのではなく,当たり前のように自分の手で自分の道を切り開く,さらにはこの世の発展を主導していく存在であると言いたかったのかもしれません。その先駆者たる者として自分をカサンドラと重ねていたのでしょう。
栗原 宮本先生の伝記はまさに「女性の自立」が軸になっていましたよね。出だしから,「良いお嫁さんになりたいという人はこの本を読まないほうがいいかもしれません」みたいなことが書かれていてびっくりしました。うおおー,いいじゃないかって。これなら自分もナイチンゲールを書いてみたいな,と。
宮本 なるほど,今でもインパクトはありましたか(笑)。
栗原 私の専門はアナキズム研究なのですが,女性解放とアナキズムは通ずるところがあると考えています。アナキズムは無政府主義と訳されますが,元は「支配がない」状態を指し,政府だけでなく,家庭内で男が女を支配するのをやめさせることでもあります。
私は大正時代のアナキストで婦人活動家でもある伊藤野枝の伝記を書いたことがありますが,「女は男の奴隷じゃないぞ」と言って男の奴隷にさせられていた女性が自分の生きる道を自分で手繰り寄せるその生き方が,ナイチンゲールと伊藤野枝では似通ったところがあると感じました。まあ伊藤野枝の場合は,結婚しないというよりも,結婚制度そのものを否定し,好きな人ができたら家庭なんて捨てて飛び出していくという人でしたが。
宮本 経歴を見るとナイチンゲールと伊藤野枝は正反対に見えますが,男性との関係は意外と共通点があるかもしれませんね。『超人ナイチンゲール』では“パリピ”と表現されていましたが,ナイチンゲールは社交界や舞踏会が大好きでしたし,男性たちからちやほやされるのも好きでした。神の声を聞いた後に社交界の楽しさにはまってしまい,葛藤したこともあります。思い合っていたミルンズからのプロポーズを看護の道に進むために泣く泣く断った後,未練たらたらで,ミルンズが結婚したことを風の便りに聞いた際にはがっかりしていたり。
栗原 ひどい目にもあっていますよ。一方的に好かれていただけのいとこのヘンリーの求婚を断ったら,大好きだったヘンリーの姉マリアンヌから「あばずれ」みたいに罵倒されたり。
宮本 家族,親族との関係のもつれも,ほとんど生まれてから亡くなる間際までずっと続いていた人ですね。
栗原 宮本さんとお会いした時に,「セシル・ウーダム=スミスの『フローレンス・ナイチンゲールの生涯』(現代社)を資料的に使うといいですよ」と教えていただきました。この本にはそうしたエピソードがたくさん出てきますね。1000ページ以上もある大著で,読むのが大変でしたが(笑)。あとはリン・マクドナルドの『実像のナイチンゲール』(現代社)も面白かった。
宮本 私も自分の本を書く時に参考にしたのがウーダム=スミスの本です。まだ翻訳が出ていなかったので苦労しましたが,ストーリー作りにはずいぶん参考にさせてもらいました。
『超人ナイチンゲール』にはこういった身近な人とのエピソードがふんだんにあり,彼女の人間味が非常によく表れていて,ナイチンゲールを身近に感じられますね。
「なぜという問いなしに」ケアしてしまう
栗原 私がこの本で強調したかったのは,ナイチンゲールの根幹にある神秘主義です。彼女は尋常でない行動力を持ち,クリミア戦争においてもその後の医療改革においてもがむしゃらに活動しました。ですがそのパワフルさはさまざまな評伝作家から「精神的に少々おかしい」というそしりとセットで紹介されてしまっています。
宮本 確かにナイチンゲールに病跡学的な特記事項はあったにせよ,病人として扱うのはおかしいですね。かといって,一点の曇りもない素晴らしい理想の人物に祭り上げるのもおかしい。私も半世紀前に書籍執筆に当たり担当編集者とやり合ったものですが,今もその傾向は払拭されていないようです。
栗原 これは神秘主義への無理解から来ているのだと思います。神秘主義のキーワードは,「なぜという問いなしに」です。神は絶対的なものだから,何かのための手段や道具になることはありません。どんな目的にも左右されない。その神と一体化しているから,理由もなく,損得も関係なく,それこそ自分の将来さえかなぐり捨てて,体が動いてしまう。例えば,車にひかれそうな猫を助けようととっさに車の前に飛び出してしまう時,頭で考えて動いたというよりは「体が勝手に動いた」と感じますよね。この自分で自分を制御できないというところに神秘主義者は神を感じるわけです。
苦しんでいる患者を見ると「自ずとケアしてしまう」。助けた際の見返りや,病気を移されるんじゃないか,など考えている自己が消え,ただ必然的に,救うべくして救ってしまう。気づいたら患者の感情に自分を投げ込み,患者に憑依してシンクロしている。自分を捨てて何かしたいと思うその行為の中に神は宿るというのが神秘主義の考えだとしたら,ナイチンゲールにとってその行為は,目の前の苦しんでいる人をただ救うことだったと思います。
宮本 「憑依」は,現代の看護では「共感」という言葉で語られる部分ですね。憑依的な共感はその相手と本気で付き合っている時に感じられるもの,長い間一緒にいると伝わってくるもの,と似通っているのではないでしょうか。近代的な看護では第三者としての自然科学的な知見の枠内で患者ニーズのアセスメントをしなければいけない,という考え方が主流です。一方,ナイチンゲールからヒントを得れば,オープンな人間関係を通して,直感的に得られた共感をベースに,量的,質的なデータによる裏付けも取りながら,援助的な人間関係につなぐという援助論が展開できるのではないかと思っています。
依存症ケアとの接点
栗原 クリミア戦争の際は,まさしくそういった看護が行われていたのではないでしょうか。あの場は,もう何をやっても助けられない,手の打ちようがない患者が大勢いるという悲惨な状況で,こう患者にかかわれば治せる,患者が何をすれば治る,という発想ではやっていけない状況だった。正しいとされている人為的,合理的な解決策が通用しない。原因がわからない。「なぜ」という問いが立てられない。だから,いったんその発想を捨てて,自ずと感じたことを実践していく。自ずから然り。そもそもナイチンゲールの考え方は,「病気は回復過程であり,それ自体は“自然の努力”の現れ」というものです。回復を促す主体は人間ではない,合理的に行動する意思や心がけで病気が治せるというのは迷信だとしています。クリミアでのナイチンゲールは,その場で患者と波長を合わせて,何をすれば自然の働きを阻害せず回復を促せるのかを感じ取り,看護をしていたのでしょう。
宮本 ナイチンゲールは,看護とは自然が患者に働きかける上で最も良い状態に患者を置くことである,と言っています。それは環境と人間の相互作用を最適化するために必要とあれば何でもするということで,それは当時も今も看護や医療を超えた一大事業なんですね。
栗原 倫理学研究者の大北全俊は『ナイチンゲールの越境5――宗教』(日本看護協会出版会)の中で,アルコール依存症の自助グループ「アルコホーリクス・アノニマス」で行われる「12のステップ」というプログラムと,ナイチンゲールの看護をリンクさせていました。12のステップでは,まずアルコールに対して自身が無力で...
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栗原 康(くりはら・やすし)氏 東北芸術工科大学 非常勤講師
1979年埼玉県生まれ。早大大学院政治学研究科博士後期課程満期退学。2014年より現職。専門はアナキズム研究。著書に『大杉栄伝 永遠のアナキズム』(角川ソフィア文庫),『村に火をつけ,白痴になれ 伊藤野枝伝』(岩波現代文庫),『死してなお踊れ 一遍上人伝』(河出文庫),『アナキズム 一丸となってバラバラに生きろ』(岩波新書),『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK出版新書)など。
宮本 眞巳(みやもと・まさみ)氏 東京医科歯科大学 名誉教授
1947年新潟県生まれ。東大文学部社会学科卒業。同大大学院医学系研究科修了。保健学博士。都立松沢看護専門学校で看護師資格を取得後,松沢病院に勤務。その後,東京都精神医学総合研究所,横市大看護短大,東京医歯大,亀田医療大などに勤務。著書に『看護場面の再構成』『「異和感」と援助者アイデンティティ』(いずれも日本看護協会出版会),共著に『アディクション看護』(医学書院)など。
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